2009年ロンドンG20でイギリス政府通信本部が仕掛けていた諜報活動

「イギリスは学問的な分野も含めてインテリジェンスの本家であり、アメリカはその分家」だと言われている。2013年のエドワード・スノーデンの漏洩資料には、イギリス関係のものがたくさんあった。イギリスの諜報活動について、近現代史研究の第一人者・江崎道朗氏と元内閣衛星情報センター次長の茂田忠良氏が解説します。

※本記事は、江崎道朗×茂田忠良:著『シギント -最強のインテリジェンス-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

自由に使えるネットカフェを設置して通信を傍受

江崎:2009年に開催されたロンドンのG20(金融・世界経済に関する首脳会合)に関して、すごいエピソードがあるそうですね。

茂田:ロンドンのG20におけるGCHQ(イギリスのシギント機関である政府通信本部)の取り組みですね。2008年11月にアメリカのワシントンDCで第1回G20首脳が開催され、第2回首脳が翌2009年4月、イギリスのロンドンです。G20の財務省・中央銀行総裁会議も9月にロンドンで開催されています。

当然、議長国であるイギリスとしては失敗できません。そこで、当時のブラウン首相がGCHQに対して、政府を最大限に支援するよう命じたわけです。この指示を受けて、GCHQは特別チームを設置して、メールや電話の傍受など各国の代表団に対する通信傍受を大々的に行いました。

江崎:各国のシェルパ(首脳の補佐役となる事務方代表者)の情報も含めて、全ての情報を取れということですね。

茂田:ええ。シェルパはもちろん、首脳や閣僚の通信情報も取る。それに加えて、当時重視されていたのは情報の速報性でした。会議が終わってから報告をもらっても、どうしようもない。会議のプロセスで「しっかりと情報をよこせ」ということです。

GCHQがそれに応えて頑張った結果、「画期的な諜報能力(grand-breaking intelligence capabilities)」を発揮できたという自画自賛の言葉がスノーデンの漏洩資料にあります。

では具体的にどのような手法を使ったのか。

ひとつはインターネットカフェの設置です。「海外の代表団の皆さん、ここにインターネットカフェがあります。便利なのでご自由にインターネットをお使いください」と言いつつ、カフェで送受信されるメールを傍受していました。

またその際、利用者がログインするためのIDやパスワードなどのデータも収集して、会議後のシステム侵入に役立てています。タダより高いものはありません(笑)。

▲自由に使えるネットカフェを設置して通信を傍受 イメージ:Halfpoint / PIXTA

江崎:国際会議の主催国が、堂々と各国の情報を盗聴しているわけですね。

茂田:そういうことです。もうひとつは、ブラックベリーのスマートフォンへの侵入です。その当時、一般的にブラックベリーのスマートフォンが、携帯電話のなかでは最もセキュリティ強度が高いと言われていました。そのため、心ある人は傍受される可能性が低いということでブラックベリーを使っていたわけです。

江崎:そうでしたね。たしかに、米軍の情報関係者でブラックベリーを使っている人がいました。

茂田:当然、当時の各国代表団員もブラックベリーを使っている人が多かったのですが、GCHQはそこからしっかりと情報成果を上げています。と言うことは、当時すでにGCHQは、ブラックベリーの秘匿通話システムの解読に成功していたということです。

江崎:もちろん、解読に成功していたことは秘密にしていたわけです。

通信記録から会議のキーマンをあぶり出す

茂田:では当時、重視されていた「情報の速報性」に関して、GCHQはどのように取り組んでいたのか。

例えば、午前の会議と午後の会議の合間、昼休みなどの休憩時間に、代表団員は近しい人間と互いに連絡を取ることがあります。そのタイミングで、会議の流れの現状と今後の対応を確認し合うといったことをするのです。

もちろん、その会話の内容は貴重な情報です。ただ、その会話内容を傍受したところで、それをインテリジェンスとして役立つレベルに情報化するのに時間がかかる。休憩後の会合には間に合わないという問題がありました。

そこでGCHQは、その休憩時間に誰と誰がどれくらいの頻度で連絡を取り合ったのかがわかる一枚のチャート図を作り、それを休憩後の会議の直前にイギリスの代表団に渡したのです。

江崎:なるほど、その図で相手国のキーマンが誰か、といった情報がわかるわけですね。

茂田:ええ。イギリスの代表団は、そのチャート図を見ることで、休憩時間に関係国間で下調整をした人物などを割り出し、それを頭に入れたうえで休憩明けの会議に臨むことができます。このGCHQの取り組みは非常に評価されたそうです。

ちなみに、これはメタデータの分析です。通信の中身(コンテンツデータ)ではなく、誰と誰が何時どのように通信したのか、という事実そのものが価値のある情報になるということですね。

江崎:それは重要な情報ですよね。結局は、誰がキーマンなのかという話ですから。

茂田:そうです。だから、裏で調整をかけているキーマンは誰か、という情報には大きな価値があります。キーマンがわかれば、その人物を説得するなどといった作業にも移ることができます。また、休憩前の会議の流れから、休憩後の会議でどう出てくるかという想定もできるわけです。

▲通信記録から会議のキーマンをあぶり出す イメージ:Gaudilab / PIXTA

国際会議はポーカー的な駆け引きをする場所

茂田:より具体的な話としては、このG20において、ロシアのメドヴェージェフ大統領(当時)とモスクワ間の電話を傍受したというエピソードもあります。メドヴェージェフ大統領は、重要事項に関してモスクワと通話して確認していました。

もちろん、それは当時ロシアが持っていた最高の暗号化通信によって行われていましたが、GCHQはその通話の傍受解読レポートをNSAから提供されて、イギリス代表団に渡すことができたそうです。

つまり、アメリカNSAはこの当時、ロシア最高の暗号通話を解読できていたということです。また、当時の参加国の一つである南アフリカの外務省のシステムに、GCHQが事前に侵入して、G20に出席する代表団の対応要領を入手していたという話もあります。そのお陰で、南アフリカの対応方針を事前にイギリス代表団にブリーフィングできたのだとか。

その他、よくわからない動きをしていたトルコ代表団に対しては、随行団員もターゲットに含める徹底的な通信傍受体制を敷いて、しっかりと情報収集したという話も漏洩資料に出ています。

江崎当時、G20でこれをやっていたということは、イギリスはその他いろいろな会合でも同じような体制をとってやっているということですよね。

茂田その通りです。国際会議や交渉はどんなものであれ、参加各国の利害の違いが基底にあります。そのため、一定程度はポーカーゲーム的な色彩を帯びるわけです。ポーカーでは、自分の手札を秘密にしたまま、他の参加者の手札を知ってゲームをすることができれば、圧倒的に有利になります。

そのためにインテリジェンス機関は、重要な国際交渉に際しては、当然相手の手札、手の内を探る活動をしているのです。相手の手の内を見ながら交渉する。これがインテリジェンスの任務です。前述の通り、イギリスはそれをやっているわけですが、当然、アメリカだってやっています。

江崎アメリカが対外交渉に強いのも、こうしたインテリジェンス、具体的には相手国首脳の通信を傍受、はっきり言えば盗聴をして、相手の手の内を知っているからですね。

▲国際会議はポーカー的な駆け引きをする場所 イメージ:BluebeatTS / PIXTA

茂田その通りです。アメリカの大統領が首脳会談をする際には、事前に外国の首脳の手札、手の内がどのようなものか、相当のブリーフィングを受けているのです。ですから、2013年にスノーデンによる情報漏洩で大騒ぎになり、インテリジェンス、特にNSAがアメリカのマスメディアから袋叩きに会いましたが、時のオバマ大統領はインテリジェンスを擁護しました。大統領自身が最大の受益者だからです。

驚くべきことに、2007年にアメリカのアラスカ州で国際捕鯨委員会(IWC)年次総会開催されたのですが、そのアメリカ代表団に対しても、NSAが前述のGCHQと似たような情報支援を行っています。

我々の感覚で言うと、「捕鯨なんて、もはやアメリカの国益の中核ではないだろう」と思ってしまいますが、実際はそんな分野までシギント機関が支援しているのです。そういう世界だということですね。


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