アンジェラ・アキ、『この世界の片隅に』とミュージカル音楽を語る【前編】~台詞と歌の一体感と、童謡のような懐かしさは“狙って”いた

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人と人が関わればそこに誰かの居場所が生まれ、この世界のあちこちにあるそうした居場所は他者の記憶の中で生き、戦争という出来事もまた記憶によって風化を免れる――そんなことが直接的に語られるのではなく、詩情あふれる音楽と演出によって頭ではなく心に届く、至高の日本オリジナルミュージカルが誕生した。5月9日に日生劇場で初日を迎えた、アンジェラ・アキ音楽、上田一豪脚本・演出による『この世界の片隅に』である。活動を休止して渡米してから10年、ミュージカル音楽作家になるという夢を叶えたアンジェラに、開幕の手応えと創作秘話【前編】、アメリカの音楽大学での具体的な勉強内容と今後の展望【後編】を聞いた。

「ミュージカルはコラボレーションで作る総合芸術」

ミュージカル『この世界の片隅に』より ©こうの史代/コアミックス・東宝 製作:東宝

――開幕おめでとうございます。個人的な感想になりますが、こういう日本オリジナルミュージカルを待っていた……!と心から思える素晴らしい舞台でした。

わあ、本当に? ありがとうございます。自分の作品って、「すごく良いものができた」と思った翌日には「もっとこうしなきゃいけなかったんじゃないか」と思ったりと波があって、なかなか自分で「最高!」とは思えないものなんです。それに私の場合、ステージと言ったら今までは自分がパフォーマンスをする側で、見守る側は初体験。パフォーマンスする側だとアドレナリンまみれになれるけれど(笑)、今回は冷静で客観的になっているのもあって、初日の前の晩は不安で眠れなかったんですよ。だから良かったと言ってもらえると、本当にホッとします。

――稽古場見学は何度かしていたのですが、ここまでのものになるとは、舞台で通して観るまで分かっていませんでした。そこでまずは、アンジェラさんにはどこまで見えていたのかをお聞きしたいのですが、たとえば、台詞と歌があそこまで境目なく融合すると思っていましたか?

思っていたというか、狙っていたところではありますね。ミュージカルはたくさん観ているから、色々なやり方がある中で、自分が何を踏襲したくて何を避けたいかというのは初めから明確で、台詞と歌の分離は一番避けたかったこと。どこで音楽が始まって終わっているのか分からないような、一体感のある作品が観ている側として好きだから、そういう作品にしたかったんです。今回は、上田一豪さんの書かれた脚本が元々そうなっていたから本当に作りやすかったですし、一体感というのは稽古中もずっと気にしていたことでした。

――ということは歌だけではなく、台詞のシーンの後ろで流れている音楽も、編曲家や音楽監督ではなくすべてアンジェラさんが作曲されたのですか?

はい、全部私です。私は口うるさい作曲家だから(笑)、編曲にも「晴美はフルートにしたい」「弦楽器はこういうラインで」とかって口を出させてもらっていました。といっても、ミュージカルはコラボレーションで作る総合芸術だから、一方的にということではもちろんなくて。編曲・音楽監督の河内肇さんは、私が曲を作り始めた3年半前から加わってくれていて、一緒に試行錯誤しながら完成させていったという感覚です。私がずっと悩んでいたコードを、河内さんが最後の最後に「こうしたらいいんじゃない?」と変えてくれて、「ありがとう、私がやりたかったのにできなかったのはそれよ!」となったこともありました(笑)。

ミュージカル『この世界の片隅に』より ©こうの史代/コアミックス・東宝 製作:東宝

――台詞と歌の一体感はまた、台詞と詞に“説明し切らない”という共通点があるからでもあるように思います。それが結果的には、頭ではなく心に入ってくるような本作の上品さに繋がっていると思うのですが、創作中には、もっと説明しないと伝わらないという不安に駆られることもあったのではないかと。そこは、「お客さんを信じよう」と……?

私は、「一豪さんを信じよう」でした。もっとはっきり言ったほうがいいのか、逆にもっと抽象的にしたほうがいいのか、私は結構ブレてたんですが、一豪さんは常に明確だったんです。でも一豪さんは、「そこまで言わないで」とは言っても「だからこう直して」とは言わないから、キャッチボールしながら作るのが本当に楽しかったですね。ただ、日本語の美しさを絶対に守ろうという思いは私の中に強くあったから、開幕会見で大原櫻子ちゃんが「どこか懐かしい感じが全曲に共通してる」と言ってくれた時は、「たまたまじゃないの、そこは狙ったのよ!」って(笑)。

――そうだったんですね! 詞も曲も日本的というのは私も感じていたことなので、その“狙い”、ぜひ詳しくお聞きしたいです。

曲の話になりますが、明治時代にヨーロッパに勉強に行った山田耕筰先生のような作曲家が、戻ってきて書いた《赤とんぼ》といった日本の名曲には、独特の温かさがあるじゃないですか。それはメロディーもハーモニーも、洋楽を取り入れた邦楽になっているからなんです。勉強してきたことをただ真似するんじゃなく、日本人の琴線に触れるものにしたいって、先生たちが試行錯誤して作った名曲たちが、歌い継がれて現代の私たちにも親しまれている。それを分析して取り入れて作ったから、今回の楽曲に懐かしさを感じてもらえるのだと思います。

「再演を重ね、これからゆっくり100点にしていきたい」

――“台詞と歌の一体感”に加え、“音楽の統一感”というのも、通して観て初めて見えたものでした。楽曲のバリエーションは豊かなのに、作品全体がひとつのトーンでまとまっているのは、印象的なモチーフが繰り返し登場しているからかと思います。1曲目の《この世界のあちこちに》イントロ冒頭の、あのたった5音のモチーフはどのように生まれたものなのでしょうか?

ミュージカル『この世界の片隅に』より ©こうの史代/コアミックス・東宝 製作:東宝

ミュージカルの音楽を勉強する中で、モチーフを効果的に散りばめていくことの重要性は感じていたので、今回も絶対必要だなと。私が好きな、その作品を象徴するような強いモチーフってだいたい短くて、かつオープニングのド頭に来てるんですよ。だから今回も、5音以上は要らないなと思っていくつか作って、その中からド頭のシーンに合ったモチーフを採用しました。

――あのモチーフは、そのままの形だけではなく、反転した形でも随所に登場していますよね。それもやはり、お好きなミュージカルを参考にされてのことですか?

いえ、それは私の感覚ですね。最初はそのままの形であちこちに散りばめていたんですが、ちょっと多すぎるかなと思って反転させたんです。すずの知っていることが語られるシーンではそのままの形、すずの知らないところで何かが変わっていくシーンでは反転した形で使っています。そんな凝ったことをしても誰も気付かないと思ってたから、気付いてもらえてうれしい(笑)。

――気付く気付かないにかかわらず、温かく優しいあのモチーフが全体を貫いていることは、誰もが心地良く感じていると思います。ある歌のメロディーの一部が、別のシーンの台詞のバックで流れているということは、この5音モチーフに限らず結構ありますよね?

そうですね。たとえばすずと周作の《醒めない夢》の「まるで夢の様に」部分のメロディーを、すずとリンのシーンで、周作の存在を感じさせたい時にひっそりと入れていたり。リンの《スイカの歌》も実は、そのままの形や反転形で色々なところに登場しています。もっとマニアックなところで言うと、《この世界のあちこちに》の「この世界の朝焼けに」部分のハモリのあるパートが、《醒めない夢》の「あと少しこの夢を見させて」のメロディーと同じだったりもするんですよ。

ミュージカル『この世界の片隅に』より ©こうの史代/コアミックス・東宝 製作:東宝

――それもまた“音楽の統一感”に繋がっているのでしょうし、マニアックなことにもっと気付きたいという思いにも駆られます(笑)。前知識なく観てもスッと心に入ってきて、知れば知るほどまた観たくなって、観れば観るほど発見のある、やはり素晴らしいミュージカルですね。

ありがとうございます。正直に言うと、同じモチーフやメロディーを使い過ぎちゃったかもしれないな、と思うこともあるんです。でもそこは自分に優しく(笑)、もし再演ができたら、その時に見直したらいいのかなって。脚本も見直して、それに合わせて曲の入り方を変えたり、曲を増やしたりしてもいいかもしれないですよね。初演の今の時点での“正解”は今回の形だけど、これが“完成形”ではなく、これからゆっくり100点にしていけばいいのかなと思っています。

――すでに初演とは思えない完成度ですが、さらに上がるならば、私も再演が今から楽しみです。ではここからは、アンジェラさんがミュージカル音楽作家デビューにして、ここまで完成度の高い音楽を作れた理由に迫っていければと思います。

後編に続く)

取材・文:町田麻子

★ミュージカル『この世界の片隅に』開幕会見レポートはこちら

★昆夏美・大原櫻子・海宝直人・村井良大インタビューはこちら

<公演情報>
ミュージカル『この世界の片隅に』

原作:こうの史代
音楽:アンジェラ・アキ
脚本・演出:上田一豪

出演:
浦野すず:昆夏美/大原櫻子(Wキャスト)
北條周作:海宝直人/村井良大(Wキャスト)
白木リン:平野綾/桜井玲香(Wキャスト)
水原哲:小野塚勇人/小林 唯(Wキャスト)
浦野すみ:小向なる
黒村径子:音月桂

白木美貴子 川口竜也 加藤潤一
飯野めぐみ 家塚敦子 伽藍琳 小林遼介 鈴木結加里 高瀬雄史 丹宗立峰
中山昇 般若愛実 東倫太朗 舩山智香子 古川隼大 麦嶋真帆 桑原広佳 澤田杏菜 嶋瀬晴
大村つばき 鞆琉那 増田梨沙

【東京公演】
2024年5月9日(木)~5月30日(木)
会場:日生劇場

【全国ツアー公演】
6月6日(木)~6月9日(日) 北海道公演・札幌文化芸術劇場hitaru
6月15日(土)・16日(日) 岩手公演・トーサイクラシックホール岩手大ホール(岩手県民会館)
6月22日(土)・23日(日) 新潟公演・新潟県民会館大ホール
6月28日(金)~30日(日) 愛知公演・御園座
7月6日(土)・7日(日) 長野公演・まつもと市民芸術館
7月13日(土)・14日(日) 茨城公演・水戸市民会館グロービスホール
7月18日(木)~21日(日) 大阪公演・SkyシアターMBS
7月27日(土)・28日(日) 広島公演・呉信用金庫ホール

チケット情報:
https://w.pia.jp/t/konosekai/

公式サイト:
https://www.tohostage.com/konosekai/

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