斎藤工が俳優として感じ続けてきた“違和感” 新しい世代のクリエイターに見た希望とは

木村拓哉主演ドラマ『Believe-君にかける橋-』(テレビ朝日系)で気になる存在感を放っている弁護士・秋澤良人役の斎藤工。

会社のために謂れのない罪を被った狩山(木村拓哉)に、「私は弁護士として、あなたの幸せを一番に考えてきました」と語りかけるその表情は、心強い味方のようにも、腹の底に何か隠しているようにも見える。

主演の木村とは、『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日系/以下、『BG』)以来の共演となる斎藤に、役者目線で見た木村のすごさや、映像業界に対して思うことを聞いた。(編集部)

「手応えは一生感じないまま死んでいくと思います(笑)」

――本作は『BG』チームが再集結した作品です。最初にお話を聞いたときの感想は?

斎藤工(以下、斎藤):他のキャストさんの情報はなかったんですが、井上(由美子)先生が木村さんに対して、ドラマを通してどういったラブレターを書かれているのか、すごく興味深かったです。やはり積み重ねていくクリエイティブというものがあって、とくに“脚本家×主演”という関係性に関しては、それを強く感じていて。同時代性を持って、いち視聴者として作品を見つめてきた人間としては、木村さんとクリエイターによる新たな化学反応に立ち会えるというワクワク感、期待感が最初に生まれました。

――同じチームにもう一度呼ばれることに対するお気持ちは?

斎藤:映像業界はすごく狭いので、スタッフさんとは別現場でもよくお会いするんですよ。僕が出ているテレビ朝日のドラマはだいたい常廣(丈太)監督ですし、「どこまでがチームか」というところはあると思いますね。制作部や助監督は本当に少なくて、スタッフの取り合いみたいになっていたりもするので、同じチームの特別感というよりは「これまで築いてきた線が、またありがたい交差をしているな」という感覚です。

――これまでにも木村拓哉さんと共演されていますが、あらためて役者目線で見た木村さんのすごさとは?

斎藤:木村さんは徹底的にご自身の肉体と精神を追い込んで役に入られる方なので、今回は“塀の中に入る”という感覚について、想像と実態をどう擦り合わせていくのかな、と思いました。情報はあれど、役作りしようがないといえばないじゃないですか。いち視聴者としてそういった楽しみがある一方で、面会室で狩山と対峙するシーンの撮影時には木村さんの表情を見て背筋がゾッとしました。光を浴びない場所で過ごしてきた人間……実際の光というより、心に光を浴びてこなかった人間の目だったので、凄まじい落とし込みをされているんだなと。毎回、同じ表現者としてそういった圧巻の何かを感じるんですが、今回はとりわけ木村さんの幹の分厚さを感じました。

――そんな狩山の弁護士である秋澤良人は、今までの斎藤さんのイメージとは違う役柄なのかなと感じます。

斎藤:そうなんですよね、執拗に汗を浮かべているっていう。井上先生からは『昼顔』(フジテレビ系)、『BG』とこれまでにいろんなキャラクターをいただきましたけど、秋澤は自分でも見えていない自分の中にあるものなのかな、と思っています。客観的な部分は井上先生にお任せしているので、自分ではどうなっているかまったくわからないです(笑)。今日もインタビューで「どうやって役作りを?」と聞いてもらうことになるよなと思いながらも、そのアンサーが不確定なものでしかなくて。でも今回は、とにかく井上先生からの“汗をかいている”という奇妙な指示とどう向き合っていくか。ヘアメイクさんとは「コントになりすぎないレベルでやっていこう」とお話していて、そこに何か鍵があるはずだと信じています。ただ、台本も途中までしかもらっていないので(※4月下旬インタビュー時点)、「ここからどうなっていくんだろう」とまだ漠然としていますね。

――となると、これまで役を演じられてきて手応えは?

斎藤:まったくないです。でも、それはどの作品も同じで、できれば試写会にも行きたくないくらい。自分の声を初めて録音したものを聞いたときのような違和感が未だにあるんです。自分でコントロールして、「この役柄をこうやって演じよう」みたいな思いがあればあるほど失敗してきたんですよね。結局「自分しか見ていない」ということになってしまって、みんなで1枚の絵を描いているのに、僕だけ絵の具も違えば、筆も違う。俳優としてあるまじき感覚かもしれないけど、手応えが本当になくて。その中で今回も、脚本にあるヒントを手がかりに役を手繰り寄せているつもりでいます。でも、きっと手応えは一生感じないまま死んでいくと思います(笑)。

――違和感をずっと抱えているのは、ご自身にとって負荷になるのかなと。

斎藤:どの業種であっても、負荷のかからない仕事は仕事じゃないと思うんですよね。なので、僕にとってこの職業に対する負荷はそこなのかなって。逆に、なんの悩みもなく「自分のパフォーマンスが間違いない!」と思ってやっていたら、やりがいもないでしょうし。むしろ、そんな混沌とした不安さえも映ってしまう面白さがこの世界にはあるのかなとも思うので、その負荷を確かめながら演じています。

山中瑶子、奥山大史ら若手監督に感じた希望

――最後に、斎藤さんがこれからも役者を続けていく上で“信じたいもの”を教えてください。

斎藤:僕が日本の俳優をやっている上で、民放ドラマ、映画、配信作品も含めて、明らかに“今までが通用しない時代”に突入しているのに、旧型の“古き良き”ということを掲げて、アップデートせずに「今まで通りにいきましょう」という力が映像業界には強くあるなと感じています。個人としては、みんなが「更新していく」「新たなシステムにしていく」という時代になっているけど、おそらく組織のジャッジというのはまた別で。映画を作っている立場から見た景色としては、その“組織の判断”がネックだなと思っています。個々としては、クリエイターもそうだし、役者さんもそうだし、自分のIPにいかに価値をつけていくか。もうずいぶん前から、海外との合作など新たな可能性を見出していかなければいけない時代に来ているのに、僕を含めて未だに腰が重い人たちが多いな、という思いです。ただ、それだけを見ちゃうと“信じられる希望”に結実しないですし、悲しいかな日本はインバウンドを含めた外圧によって初めて変わっていける国だと思うので、そこから何かヒントを得て、「なんで日本人なのか」「日本で生み出せるものはなにか」というところへ原点回帰するのではないかと信じています。

――斎藤さんはプロデュース業や監督業もされているので、やはりクリエイター目線になってくるんですね。

斎藤:そうですね。今年のカンヌ国際映画祭の「監督週間」に山中瑶子さん、「ある視点」部門に奥山大史さんというすごく若い日本の監督が選出されたんですよ。今日、奥山さんの『ぼくのお日さま』を観に行ったら、本当に今までの日本にはなかったような作家性を持っていて、僕の心配をよそにきっとそういった人たちが光を掴んでいってくれるんだなと。新しい世代の人たちは、純然たる存在というよりはハイブリッドな方たちが多い気がしていて、僕は今、そんな彼らに何かを託したいな、という気持ちでいっぱいです。
(文=nakamura omame)

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