木更津愛、強い方だった 中尾彬さん死去 PR大使4期、活性化に尽力

第4期「木更津PR大使」の委嘱状を手にする中尾彬さん(右)=昨年11月、木更津市

 俳優業のかたわら芸術への造詣も深く、出身地・木更津市の活性化のため尽くした中尾彬さん。突然の訃報に「寂しい」「残念」などと関係者から悲しみの声があふれた。

 中尾さんは、市のPR大使を2017年から務め、4期目。これまで成人式でのメッセージ、市制施行80周年記念動画への出演などで協力している。

 昨年11月、「80代になり、『終活』をしている。みんなに見てもらったほうがいい」と、自身の作品3点を含めた美術品コレクション38点を市に寄贈した。今年3月には市中央公民館で「中尾彬コレクション展」が開催され、市民から好評だった。

 渡辺芳邦市長は「木更津PR大使4期目ご就任の際、木更津市が明るくなったと、いろんなものが日の目を見て活気につながっていると笑顔でお話しされたことを思い返し、追慕している」と追悼のコメントを発表した。

 家族ぐるみの付き合いだったという老舗和食店「宝家」の大おかみ、鈴木まり子さん(73)は「(妻の)志乃さんからのメールで知り、ショックを受けた。店の表看板やパンフレットの文字を書いてもらい、アサリ御膳、アサリカレーなどは、中尾さんから教えていただきメニューに取り入れた。木更津愛の強い方だった。寂しい」と惜しんだ。

 出身校の県立木更津高校の玄関正面には、中尾さんが1982年にフランスのル・サロン展で国際賞を受賞した油絵「故郷(ふるさと)」が飾られている。教職員は「2007年に絵を寄贈され、その折に高校時代の思い出と、芸術や人生について生徒と座談会をしている。ご冥福をお祈りする」と語った。

 木更津わたくし美術館館長の中村儀介さん(75)は、中尾さんを含む「千葉ゆかりの作家展」を16年に開催した。「中尾さんの絵を数点持っているが、新しい絵を見ることができなくなって残念だ」と振り返った。

© 株式会社千葉日報社