『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』現在の世界と心境の変化 ※注!ネタバレ含みます

※本記事は物語の核心に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』あらすじ

入試に合格し、亜衣や凛と同じ大学に通うことになった門出と凰蘭。大学では竹本ふたば、田井沼マコトと意気投合、会長の尾城先輩がいるオカルト研究会に入部してキャンパスライフが始まった。一方、宇宙からの〈侵略者〉は東京のそこかしこで目撃され、自衛隊は無慈悲な駆除活動を粛々と実行していた。上空には、傾いて煙が立ち上る母艦。政府転覆を狙い〈侵略者〉狩りを続け過激派グループ・青共闘の暗躍。世界の終わりに向かうカウントダウンが刻まれる中、凰蘭は、またもあの不思議な少年・大葉に遭遇する…。

日本の内向きな空気感の投影


浅野いにお原作漫画の初アニメーション作品として、前章、後章に分けて公開される、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』。その物語は、宇宙から襲来した何者かの「母艦」が空に覆いかぶさる東京を舞台に、門出(かどで)と“おんたん”こと凰蘭(おうらん)のオタク系少女コンビが、世界崩壊の危機のなか青春を走り抜けていく姿が描かれていくというもの。

震災の記憶と、政治や国民の動向を踏まえながら、ゲームやアニメ、アイドルなどサブカルチャーの数々に囲まれた、2010年代以降の日本に対する、浅野いにおならではの気分と実感が反映された、ある意味“文学的”といえる内容を、原作同様につめこんだ『前章』に引き続き、「人類終了」までのカウントダウンが着実に迫る『後章』の見どころは、原作漫画と異なる方向に転がっていくオリジナル展開である。

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』予告

“侵略者”とみなされた存在が大量虐殺され、親友の死という、取り返しのつかない「世界線」の“やり直し”が示唆された物語を引き継いだ本作で描かれていくのは、入試に合格した門出とおんたんの大学生活だ。そこでは前作で高校生活をともに過ごした、癒し系の亜衣やBL好きの凛に、新しく竹本ふたば、田井沼マコトが加わる。そして、謎の少年・大葉圭太が、彼女たちの日常を大きく変えていく。

門出やおんたんたちが参加する、大学でのオカルト研究部の活動や、侵略者保護団体「SHIP」の政治運動、「侵略者狩り」を開始した過激派グループ・青共闘の暗躍、そしてネット上の不寛容など、若者たちは自分たちの考えに従い、それぞれに母艦がもたらす危機感や焦燥感に対する動きを見せていく。

そういった世の中の流れが示しているのは、紛れもなく現実で起こった東日本大震災、原発事故後の日本の政治的な動きや人々の反応に近いものだといえるだろう。「侵略者」に対する戦闘行為や暴力は、急速に閉塞化し、寛容さが失われていく日本の内向きな空気感が投影されていると感じられる。そして、世界の終わりに向けてカウントダウンが進行していく趣向は、そんな社会が破滅へと向かっていく危機感の反映だと見ることができる。

『ドラえもん』『AKIRA』への接近


原作漫画同様、本作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』でも描かれる圧倒的な“破壊”は、原爆のきのこ雲に象徴される、第二次大戦時の各都市への空襲によって徹底的に破壊されていく日本の姿にも重ねられる。日本人にとっての“終わり”のイメージはやはり、なす術のない暴力的な大爆発の記憶に結びついている。

この破壊のイメージそのものをスペクタクルとして表現し、社会の暴走による新たな戦後の姿を描いたのは、大友克洋の手による漫画、劇場アニメ作品『AKIRA』(88)だった。そういう方向から考えれば、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は、浅野いにお版の『AKIRA』だととらえることもできる。

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の原作漫画では、さらにそこに「イソベやん」という劇中の漫画作品として暗示された、国民的漫画『ドラえもん』の影も示唆される。作品そのものが、『ドラえもん』の「現代解釈版」だというのである。現代社会に未来的な「ひみつ道具」が存在すれば、陰惨な結果を迎えることもあるだろう。

ドラえもん』や『AKIRA』といった、漫画界の強力なタイトルへの、独自路線での接近は、おそらくは浅野いにおの漫画表現の挑戦であり、そこで現代社会を映し出そうという意気込みの反映だと考えられる。であれば、そこで描かれる展開や結末は、必然的にメッセージ性を帯びたものとなる。そこで注目したいのは、やはり原作漫画とは異なる展開を見せる、本作の後半のストーリーということになってくるはずだ。

原作と比較して最も異なる点は、意外な“ある人物”の活躍が無くなっているというところである。ここが原作のストーリー上の“大仕掛け”であり、前半から用意された伏線の回収でもあったことを考えると、映画版のストーリー展開は、かなり淡白な印象を持たせるものとなっている。

原作漫画とアニメ、製作年代の差


本作同様に原作者がかなりの部分で製作にかかわっている『前章』のスケジュールの遅れを考えると、この大仕掛けの欠如に製作上の事情からの影響を邪推することもできるが、さすがに大事な部分を投げっぱなしにしたのだという解釈は乱暴に過ぎるだろう。ここには、ストーリー上の必然的な意味があるはずなのである。

原作において、門出たちの“親世代”の代表である人物が活躍するという展開は、少女たちを主人公にしていたはずの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』が、じつは、その人物に近い世代であるといえる浅野いにお自身の個人的な実感であったことが示唆されているのだと解釈することもできる。そこに、若者が割りを食うような社会を作り出してしまった、「おっさん世代」の贖罪の意味も含まれているのだとすれば、これが浅野いにおなりの“誠実さ”だったのではないかと考えられる。

しかし、2014年から2022年にかけて連載された原作漫画から、2024年まで製作されていた劇場アニメーションには、時間の差が存在する。東京オリンピックから大阪万博へと、不安感を喚起させる対象もシフトされた。そんなズレと気分の変化が、異なるラストにたどり着いた大きな理由になっているのではないだろうか。

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee

原作で用意されていた大仕掛けとは、過去への時間移動を利用して、悲劇を回避するパラレルワールドの一つを生み出そうという試みだった。それは、『ドラえもん』の現代解釈版としての役割を果たすとともに、「SF漫画」としての面目躍如を果たしたといったところだろう。ただ一方で、それが問題含みの世界を生きる人々にとって、具体的な解決策になりにくいことも事実なのだ。なぜなら、原作で未来への警鐘が描かれた後も、世界では新たな戦争、紛争によって多くの人々が犠牲になり、日本でも不寛容による悲劇の数々が起き続けているからである。その喪失は、すでに不可逆なものなのだ。

本作では、大葉圭太から、おんたんが“やり直し”をしているという真相を知らされ、さらに新たな時間移動を画策しているのではないかという懸念を受けた田井沼マコトが、「悪いと思うんなら、こっちの世界で責任取るのが筋なんじゃねーの?」と、発言をしている。このセリフを踏まえると、原作の解決はパズルのピースがはまるような気持ちの良いものだった反面、一部で責任を回避しているようにも感じられるのである。過去をやり直したところで、圧倒的な破壊や、悲劇が起こった世界線は存在し続けるのだ。

現在の世界と心境の変化


理不尽な理由や、人々の不寛容から、社会では多くの被害が生まれている。それを無かったことにしようとするのではなく、痛みとともに、そんな悲劇を引き起こした社会の一部として責任を受け入れ、いまの問題、新たな問題にも対処する……。それこそが、より誠実な事態との向き合い方ではないのか。もちろん、監督の黒川智之や、脚本の吉田玲子らとの協議を経てのことだとは思われるが、少なくとも、製作に参加している原作者として、ストーリーやテーマについて重要な立場にいることが想像される浅野いにおの“気分”は、いまそこにあるのではなかと考えられるかもしれない

興味深いのは、おそらくはそんな原作者の心境の変化が、このアニメーション作品に投影されただろうという点だ。このような大幅な改変は、いまのアニメーション業界の製作事情からすれば、なかなかチャレンジできない部分領域での仕事だといえる。しかし、原作者が製作に深くかかわることで、むしろそこに変化を加えやすくなる場合もあるのであるったのだとしたら、それはかなり興味深いことだといえないだろうか。

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee

近年、漫画原作を持つアニメーション作品は、原作の展開を大きく改変することを避けるようになってきている。しかし、原作漫画の展開がいつでも不可侵のものであり、ストーリーを忠実に守ることだけが、必ずしも原作者を尊重する行為になるかといえば、そうとばかりはいえないだろう。なぜなら、アニメ作品が製作されている時点で、原作者の考えが変化したり、成長を迎えている可能性もあるからである。

そんな原作者のそういった意味において、現在の“気分”にフレキシブルに対応したであろう本作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』は、原作漫画を持つアニメーション作品のなかで、アニメーションの製作者たちと原作者の意志を尊重したことで内容が改変されることになったという、とりわけ興味深い経緯を辿った作品として記憶されていくことになるだろうのかもしれない。

文:小野寺系

映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。

Twitter:@kmovie

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『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』

5/24(金)全国ロードショー

配給:ギャガ

©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee

© 太陽企画株式会社