トレイン創設メンバーのチャーリー・コリン、58歳で死去

トレインの創設メンバーでベーシストのチャーリー・コリンが死去した。58歳だった。

薬物依存症と長年闘っていたチャーリー、22日(水)に母親がTMZに明かしたところによると、ベルギーのブリュッセルにある友人宅でハウスシッターをしていた際、シャワー中に滑り転倒、その後死亡が確認されたという。

TMZはこう伝えている。「彼が転倒した詳細な日程については不明です。母親によると、友人らが5日ほど前に旅行から帰ってくるまで誰もチャーリーを発見しなかったそうです」「母親は息子を『美しい人間』と呼び、感動的な追悼の言葉を送っていました」

ちなみにチャーリーはブリュッセルでスタジオ作業や映画音楽の仕上げをしつつ、音楽学校で授業をしていたという。

今回の訃報を受けてトレインはメンバーがそろった写真を投稿、インスタグラムにこう綴っている。「僕はチャーリー・コリン(写真の前列左)と会った時、恋に落ちた。最高に素敵で色男だった。さっそくバンドをやろうってなった。彼の独特なベースの演奏、そしてギターによる作品はサンフランシスコ、そしてそれを超えて僕らが知られるようになったきっかけだ。僕はいつも彼のことを心の中で温かく思っている。僕はいつも彼を引き寄せようとしたけど、彼には彼なりのビジョンがあった。君はレジェンドだよ、チャーリー。そっちの天使たちも魅了してくれ」

2003年に薬物依存症によりトレインを強制的に脱退させられたとされているチャーリー、リードシンガーのパット・モナハンは当時こう話していた。「チャーリーは素晴らしいベース奏者だけど、とても苦しんでいた。彼の(依存症との)付き合い方は、周りの人々にとってとても痛々しいものだった」

そしてパットはメンバーらとミーティングをし、自分かチャーリーかの2択を迫ったそうで「この選択に皆反対だった。僕が彼らを厳しい立場に追いやっているのは明らかだったから」と続け、オレゴン州でのライブパフォーマンスでの失態でチャーリーの解雇は決定的になったことを明かしていた。

そんなトレインは、パット、チャーリー、ロブ・ホチキス、ジミー・スタッフォード、スコット・アンダーウッドらが1990年代半ばにサンフランシスコで結成、1998年リリースのセルフタイトルのデビューアルバムで成功し『ドロップス・オブ・ジュピター』『ミート・ヴァージニア』『ヘイ、ソウル・シスター』といったヒット曲で知られるようになった。2002年にはグラミー賞で最優秀ロック・ソング賞と最優秀ヴォーカル入りインストゥルメンタル編曲賞によるダブル受賞を果たしていた。

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