神戸連続児童殺傷27年、問い続ける父 遺族の土師さん「なぜ息子は命を奪われたのか」

事件からの27年間を振り返る土師守さん=神戸市中央区(撮影・長嶺麻子)

 1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で小学6年の土師淳君=当時(11)=が亡くなってから24日で丸27年となった。父親の守さん(68)が取材に応じ、「なぜ息子は命を奪われたのか」と今も問い続けていると語った。犯罪被害者として訴え続けてきた支援の拡充は、さらなる改善に向けて課題と向き合うとした。

 胸の内に浮かぶ淳君は、ずっと11歳の姿のままだ。「素直で心の優しい子」と慈しむ。一緒に過ごした日々は決して色あせない。

 「なぜ命を奪われなければならなかったのか。納得できる答えがほしい」。加害男性に対しては「事件に真摯に向き合ってほしい」との姿勢を貫いてきた。

 2004年に初めて加害男性から手紙が届き、淳君の命日の前に弁護士から受け取ってきた。しかし、15年に突如、遺族に無断で事件を記した手記「絶歌」を出版。手紙は17年を最後に途絶えた。

 手紙を書くことで、男性が事件と向き合えば、事件の真相に近づく可能性があると信じている。「その結果を、答えを、私たちに伝え続ける努力をしてほしい」と願う。

 守さんは、18年にいったん解散し、2年前に再び発足した「新全国犯罪被害者の会(新あすの会)」などで活動している。犯罪被害者となった27年前、受けられる補償や権利は何もなかった。「私たちが感じたつらさが二度と繰り返されないように」。そんな思いで、仲間たちと奔走した日々を誇らしく思う。

 兵庫県は昨年、犯罪被害者のための支援条例を施行。今春から被害者や遺族への見舞金制度が始まった。ただ、課題はまだ残っている。例えば、被害に遭った子どもらへの教育面の支援。事件の影響で登校できなくなるケースが相次ぎ、「教育委員会がきちんと対応を」と訴える。対応のスキルを身に付けた臨床心理士らの養成も必要とみる。

 長い歳月を経て、体調を崩すことが増え、老いを感じることも多くなった。そして、孫にも恵まれた。日常では旅行に行き、好きな本を読み、食を楽しむ。

 「時の流れが私たちの生活を安定させてくれた。ただ、本当の意味での心の安寧は来ないのかも、という気もしている」と静かに語った。(末吉佳希) 【神戸連続児童殺傷事件】1997年2~5月、神戸市須磨区の住宅街で小学生5人が相次いで襲われた。3月16日に小学4年の山下彩花ちゃん=当時(10)=が金づちで殴られ1週間後に死亡、5月24日に小学6年の土師淳君=同(11)=が殺害された。兵庫県警は6月、当時14歳だった中学3年の少年を殺人などの容疑で逮捕。少年は関東医療少年院に収容され、2005年に退院した。事件は、刑罰の対象年齢を引き下げる少年法改正の契機となった。

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