『虎に翼』妊娠と出産に“怒る”朝ドラヒロインは初? 寅子の境遇に見るリアルな女性描写

あれだけ「辞めていった仲間の分も」と気負っていた寅子(伊藤沙莉)が、弁護士の職を手放した『虎に翼』(NHK総合)第39話。あの寅子に戦意を喪失させたのが妊娠・出産だった。いや、正確には彼女の妊娠に対する周囲からのリアクションと、社会からの要請、誰にもわかってはもらえない孤独だった。

これまでもヒロインの妊娠・出産を度々扱ってきた朝ドラ。本作では寅子の妊娠が発覚した後、先輩女性弁護士が家庭の事情で立て続けに弁護士を辞めていく様子が描かれる。

「結婚しなければ半人前、結婚すれば弁護士の仕事も家の事も満点を求められる。絶対満点なんてとれないのに」という久保田(小林涼子)の涙ながらの訴えが心を刺す。寅子にも身に覚えがあることだけれど、自分も確実に対峙することになる未来であることは目に見えているからこそ、それに屈してしまった久保田にガッカリしてしまう自分もいるのだろう。「それを乗り越えてみせるのは私しかいない」と一人で頑張るほかないと、より意気込んだ矢先に、妊娠後の自分の希望に全く掛け合ってくれない、聞く耳を持とうとしてくれない職場や恩師の姿に幾重にも心を挫かれてしまう。

近年の朝ドラでは『エール』の音(二階堂ふみ)のように夢を掴む一歩手前で妊娠が発覚し、悩んだ末にその挑戦を先延ばしする様子が描かれることも少なくなかった。夢の公演出演への切符を手に入れてすぐ妊娠が発覚し、舞台出演は諦めるも、母となった後にも自身の“好き”を諦めず別の形で追求していく音の姿が印象的だった。

あるいは『なつぞら』のなつ(広瀬すず)のように、仲間と共に社長に直談判し出産後も働く権利を手にするケース。後者はもちろん、前者も様々な思いがあっても、妊娠・出産と自身の人生になんとか折り合いをつけ、夢を完全には手放さずに進んでいくヒロインの姿が描かれてきた。

しかし、本作のヒロイン・寅子は妊娠に際して、とてつもなく怒っている。桂場(松山ケンイチ)の言葉を借りれば「怒りが染みついている」。妊娠・出産に戸惑うヒロインの姿は多数観られたが、ここまで怒りが滲んでいるヒロインは初めてではないだろうか。

本人にいくら妊娠直前まで働きたいという意志、そして出産後すぐに復帰したいという思いがあっても、妊娠すると全く別物の“母体”として優先される。そしてその「妊娠」は社会を上げて、事務所をあげて喜ばれるべきものだと、皆が疑うことなく信じている。その配慮はありがたいが、“母体”と見なすや否や、一気にその枠組みに当てはめられ、無個性なものとして扱われてしまう。あれだけ“枠”にはめられるのを嫌っていた寅子でさえも。

これまで寅子が必死の想いで積み上げてきたものも、出産を前に「仕事なんかしている場合じゃないだろ」と“仕事なんか”呼ばわりだ。自身が女性として法曹界に足を踏み入れるきっかけを与えてくれた恩師の穂高(小林薫)が、当たり前かのように口にする“配慮”に胸を抉られ、「はて?」が飛び出す。

法律事務所では、あえて妊娠について報告していなかっただろう寅子だが、そんな彼女の葛藤や苦悩はなきものにされ、穂高が雲野(塚地武雅)らに先に伝えてしまっていたのもそうだ。妊娠について当然のことのように喜ばしい側面のみにフォーカスし、“めでたいことなんだから周囲に話したっていいでしょう”と言わんばかりに。極めてパーソナルでセンシティブな話題をたちまち“皆の知るところ”にしてしまう。いまだにそんな人がいるのだから当時は尚のこと仕方のないことと言えるかもしれないが、完全に距離感にバグありだ。

個人差はあれど身体的な制限が出る妊娠が、寅子を本人が望むと望まざるとにかかわらず、自分一人で抱え込みながら第一線で戦い続ける地獄の道から降ろした。

優三(仲野太賀)と娘との驚くほど穏やかな日々は、寅子に半径数メートルの幸せをしっかりと実感させ、守らせ噛み締めさせる一方、社会の端っこで困り果てている弱者について“自分ごと”として向き合おうとするかつての寅子の勢いを一気に遠ざける。競争の土俵にも上れなかった同じ女性の無念の分だけ自分が頑張るという彼女の使命感はすっかり鳴りを潜める。能力のある女性たちが翼を奪われ、いつの間にか自らそこから飛び立つ力さえも失くしていく、“無効化される”過程を本作はありありと描く。自らそこから飛び立とうとしないということが決して現状に甘んじて安住しているわけではないという女性の描写がリアルだ。

さて、戦争に揺れる日本で、困窮する人が多数溢れるこの状況下。男手が戦場へ送り込まれる中、寅子は本当に引き続き子育てに専念していられるのか。周囲から勝手に社会から家庭へと押し込まれた寅子。その彼女を、今度は社会側が、理不尽にも思えるかもしれないが、必要とし担ぎ出される時がまた近づいているような気がする。
(文=佳香(かこ))

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