教養としてのポップミュージック【世界初のCD曲から5選】CDは日本に始まり日本に終わる?  “世界初の音楽CD” の座をかけた “アバ vs. ビリー・ジョエル論争” とは?

CD市場は既に絶滅したのか?

思えばこの半世紀の間、音楽市場は大きく様変わりした。実際、国内外問わず無数の変化があったが、中でも特にインパクトが大きかった変化は音楽のデジタル化ではないだろうか。もちろん一口にデジタル化といっても、“楽器・作曲のデジタル化” といった “作り方” の変化から、“音楽媒体・流通のデジタル化” という “届け方” の変化まで色々とあるわけだが、今回は後者にフォーカスして見ていきたい。

ロンドンに本拠を置く “IFPI(国際レコード産業連盟)” が毎年発表している『GLOBAL MUSIC REPORT』によると、2023年のCDやレコードなどの「音楽パッケージ商品」の全世界売上は51億ドルだったが、ストリーミングやダウンロードといった “音楽デジタル配信” の売上はその約4倍の202億ドルに達している。

両者の差は、2014年に初めて後者が前者を上回って以来年々広がっているが、人々が新しい方法で音楽と接する手段を覚えてしまった今、このトレンドが逆戻りする可能性はほとんどゼロに近い。しかも、近年アナログレコードが復活の兆しを見せていることを考えると、 “音楽パッケージ商品” の中でも、CDが絶滅への道まっしぐら状態であることは疑いようがないだろう。

ただ、これはある意味で仕方のないことで、どんな商品にも人間や動物と同じように寿命がある。ビジネスの世界では、新商品が市場に投入されてから衰退・消失するまでの過程を “プロダクトライフサイクル” と呼んで “導入期 → 成長期 → 成熟期 → 衰退期”の4段階に分けることがあるが、CDをこれに当てはめると、10年以上前から “衰退期” にあったのは明らかだった。欧米市場では、既にCDは絶滅したとさえ言われている。

日本の特殊なビジネスモデル “握手券CD”

ただ、日本の場合はちょっと特殊で、今でもCDが売れる稀有な市場となっている。その理由の1つが通称 “握手券CD” の存在で、一部のアイドルグループのCDに特典として “握手券” が付いているのだが、要はアイドルのファンが “推し” と握手することを目的にCDを買うわけである。

しかも、熱狂的なファンともなると、1人で何10枚・何100枚と “大人買い” するらしい。確かに同じ100万枚売るにしても、100万人に1枚ずつ買ってもらうより10万人に10枚ずつ買ってもらう方が効率が良いし、人口減・少子化の日本でファンの数を増やすのが難しいことを踏まえると、“握手券CD” は良くできたビジネスモデルと言える。

とは言え、ファンとの接触イベントはアイドル当人たちにとって負担が大きい上、過去には事件も起きている。それに、アイドルグループがCDをリリースするたびに大量のポリカーボネートがゴミになるのは、地球環境にとっても優しくない。そう考えると、このモデルには限界があると言わざるを得ない。そんな訳で、CDの時代は近い将来ここ日本で終焉を迎える… と僕は予想している。

では、CD時代は一体いつ、どこで始まったのだろうか?

“世界初の音楽CD” アバ vs ビリー・ジョエル論争

世界初となる商用音楽CDが “製造” されたのは1982年8月17日のことで、場所はオランダとドイツを本拠地とするレコード会社、ポリグラム(現:ユニバーサル ミュージック)のハノーファー工場、タイトルはアバの『ザ・ヴィジターズ』だった。しかし、世界で初めて “販売” された商用音楽CDは、このアルバムではない。アバより2週間早く、日本の「CBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)」からビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街(52nd Street)』がリリースされたからだ。同年10月1日のことである。

そこで、“世界初の音楽CD” の座をかけた “アバ vs. ビリー・ジョエル論争” が勃発するわけだが、 “CD市場の始まり” という観点から言うと、先に市場に出たビリー・ジョエルということになるだろう。ちなみに、世界最大の音楽市場である米国でCDが発売されたのは1983年3月2日のことなので、正真正銘、CD時代は日本で始まったと断言できる。

一気に50タイトルのCDが発売された1982年10月1日

実は、その10月1日には『ニューヨーク52番街』だけでなく、一気に50タイトルのCDがソニーから発売されている。“クラシックだけでなく、ポップスやロック、歌謡曲まで揃えた” というソニーの意向を反映して、クラシックが15タイトル、ポップミュージックが35タイトル(洋楽22タイトル + 邦楽13タイトル)という幅広い構成になっている。まあ、邦楽より洋楽の方が多い点や、洋楽の中にジャズ・フュージョン系のインストゥルメンタル・アルバムが5タイトルも含まれている点などは、多くの聴き手がカラオケで歌うことを想定しながら楽曲を購入する現代では考えにくいだろう。

と言うことで、今回はその “世界初のCDソフト50タイトル” のうち、インストゥルメンタルを除いた洋楽17タイトルの中から大ヒットした5曲を選んでみた。ぜひ皆さんにも聴いていただき、今まさに終わろうとしているCD時代の “始まり” に思いを馳せてほしい。

世界初のCDソフトより5曲をピックアップ

【第5位】 TOTO 「アフリカ」 アルバム『TOTO IV~聖なる剣』からの第2弾シングル。本作に関する出来事を時系列に見ていくと、1982年4月 アナログ盤リリース → 10月 CDリリース → 1983年2月 グラミー賞の最優秀アルバム(Album of The Year)受賞… となるので、グラミー受賞時点でCD化されていた世界初のアルバムということになるのではないか。

【第4位】 REOスピードワゴン 「キープ・オン・ラヴィング・ユー」 アルバム『禁じられた夜(Hi Infidelity)』からの先行シングル。このアルバムは全米アルバムチャート(Billboard 200)で1981年2月から15週連続1位、同年の年間チャート1位を記録、全世界で2,000万枚を売り上げた。 “産業ロック(英語ではDinosaur Rock)” と揶揄されることも多いが、これだけ売れたら誰も文句は言えまい。

【第3位】 バーブラ・ストライサンド 「ウーマン・イン・ラブ」 アルバム『ギルティ』からの先行シングル。シングル、アルバム共に1980年にリリースされ、ほぼ全世界のヒットチャートでNo.1を獲得した。アルバムのジャケットを見れば一目瞭然だが、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったビー・ジーズのバリー・ギブがプロデュースしており、 事実上彼との共作・共演作品である。

【第2位】 マイケル・ジャクソン 「今夜はドント・ストップ(Don't Stop 'til You Get Enough)」 初めてクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えて制作されたアルバム『オフ・ザ・ウォール』からの先行シングルで、マイケル・ジャクソン自身が作詞作曲を手掛けている。アルバムは1979年8月にリリースされたが、彼の “ソロアーティスト” としての快進撃は、ここから始まったと言えるだろう。

【第1位】 ビリー・ジョエル 「マイ・ライフ」 アルバム『ニューヨーク52番街』からの第1弾シングル。このアルバムは全米アルバムチャートで1978年11月から8週連続1位、同年の年間チャート1位を記録し、80年2月にはグラミー賞の最優秀アルバムを受賞した。ニューヨーク出身者が地元ニューヨークを描いた、まさに時代の1枚。

カタリベ: 中川肇

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