まるでゴジラ!? 戦前の埼玉に実在した「妖怪・鵺」40mの巨大造形物 奇妙な絵葉書の意外なルーツ

主に観光地などで販売されている絵葉書。日本では明治期の日露戦争後に大ブームとなり、観光地だけではなく時事ニュースや著名人、はたまた犯罪人の顔が印刷されたものなど、数多くの絵葉書が発売されている。記者は戦前までに発行に発行された絵葉書を200枚ほどコレクションしているのだが、その中には現代人の目から見ると「おや?」と思うような奇妙な絵葉書も多く発行されている。

「武州安光寺源三位頼政鵺退治」と印刷された絵葉書もその1枚である。

この絵葉書は記者が数年前にネットオークションで偶然手に入れたもので、絵面には『平家物語』に登場する妖怪・鵺(ぬえ=猿の顔に狸の胴体、虎の手足に尾が蛇という姿の妖怪)と戦う武将・源頼政とその郎党・猪早太らしき人形が写っている。

見たところ子供向け人形劇の一場面を写したもののようだが、問題なのは写っている人形達のサイズである。絵葉書には人形の大きさも印刷されていたのだが、それによると源頼政は34尺8寸=約10メートル、猪早太は31尺=約9メートル、鵺に至ってはケタ違いの138尺=約41メートルと、まるで「ゴジラ」や「ウルトラマン」を思わせるかような巨大な造形群だったのである。

だが、戦前の日本において40メートルを超えるような巨大かつ精巧な妖怪の造形物が作られていたとは聞いた事がなく、またネット上を探しても「巨大すぎる鵺」に関する資料はヒットしなかった。仮に全長40メートルを超えるような妖怪の造形物が本当に存在したのなら、目撃情報や製作記録のひとつやふたつ残っていても良いはずだ。この巨大な鵺の造形物は本当に存在したのだろうか……。

まだヒントは残っている。絵葉書の説明に書かれていた「武州安光寺」および「古郡」の文字である。地図で調べたところ、「武州安光寺」とは現在の埼玉県児玉郡美里町古郡(ふるこおり)に残る寺院・安光寺という事がわかった。

記者は安光寺および鵺の造形物について、埼玉県児玉郡美里町の役所に問い合わせてみたところ、若い職員は鵺の巨大造形物については見た事も聞いた事もない様子だった。だが、地元の資料には流石に残っていたようで、地元の郷土資料「美里町史」(美里町史編纂委員会編)に詳しい説明が書かれていた。

教育員会提供の「美里町史」によると、古郡の安光寺には古くから大黒天を祀るお堂があった。大黒天は豊穣の神様であり農業の神様でもある。そして大黒天の使いはネズミであり、12年に1度のネズミ年の正月には古郡に住む村の青年たちが数か月がかりで巨大な飾り物を作る習わしがあったようなのだ。

飾り物は「源頼政の鵺退治」のほか、「那須与一の扇の的」、「加藤清正の虎退治」といった歴史の英雄の姿をテーマにしたものが多く採用された。さらに材料は松の木や杉の皮、藁など農村民にとって身近なものだけで作っていたようだ。

問題の「源頼政の鵺退治」は昭和11年(1936年)に製作されたもので、記録として残っている最後の飾り物である。恐らく戦争の影響もあり安光寺の飾り物文化はその歴史と役割を終えたのではないかと考えられる。だが、戦前まで「安光寺の飾り物」といえば高い知名度を誇っており、巨大な飾り物をひと目見ようと隣県から大勢の観光客が訪れ、最寄り駅(八高線松久駅)から安光寺までの長い道のりを露天や土産物屋が埋め、時にはサーカス小屋までもがやってきて日夜問わず盛り上がっていたという。

記者は2024年4月に現在の安光寺および地元取材を試みたところ、90年近く前の行事であるためか、飾り物を直接見たという人には最後まで出会えなかった。だが、現在でも古郡地区内での飾り物の知名度は高いようで記者が絵葉書を見せると、懐かしがる顔で「ウチに巨大な鵺の写真が確かにあったよ」「親戚が製作に関わっていたはずだ」「全く同じ絵葉書を持っている」といった声を聴くことができた。

2024年現在、安光寺および美里町内には飾り物文化の記録はあまり残っていない。だが、今から90年近く前、この土地には確かに40メートルの巨大な妖怪の造形物が存在し観光客達をアッと驚かせていたのだ。

【取材協力】美里町教育員会

(よろず~ニュース特約・穂積 昭雪)

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