『ジュラシック・ワールド』を成功に導いた2作目 “無茶ぶり”に応えたJ・A・バヨナの手腕

大ヒット作の続編は難しい。残念な例は数多くあるが、いまや不朽の名作と呼んで差し支えない『ジュラシック・パーク』(1993年)の続編、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997年)もその代表格のひとつだろう。

圧倒的不評にさらされた理由はさまざまだと思うが(脚本家デヴィッド・コープの底意地の悪さが前面に出すぎたシナリオとか)、最も反感を買ったのは「恐竜が米国本土に上陸してしまう展開」ではないか。それまでの舞台は、いわば恐竜たちのテリトリーである自然界に、部外者である人間=エサが乗り込んできてサバイバルアクションを展開するからこそ手に汗握って観ていられた。それなのに、現代アメリカの市街地にTレックスが現れ、怪獣のごとく大暴れしても安っぽいモンスター映画にしか見えず、興醒めも甚だしかった(前作であれだけ冴えた演出技を見せてくれたスティーヴン・スピルバーグの「古いタイプの怪獣映画少年センス」を見せつけられるのも、なかなかキツイものがあった)。だから3作目『ジュラシック・パーク3』(2001年)では絶海の孤島を舞台にした恐竜vs人間のシンプルな活劇に戻っていて、ホッとした覚えがある。

リアルな恐竜と、ジャンル的に近いようで遠い怪獣映画との食い合わせは極めて悪い。でも、まったく種類の異なるジャンルムービーならどうか……? のちに『ジュラシック・ワールド』(2015年)を手がけるコリン・トレボロウ監督には、そんな考えがあったのかもしれない。

●J・A・バヨナが重要な“2作目”に抜擢された理由

紆余曲折あったシリーズを鳴り物入りで再起動した『ジュラシック・ワールド』は、1作目の頃には実現できなかった趣向を多数盛り込み、グレードアップを図っている。最大の特徴は「開園後のパークを舞台にしている」ということだろう。『ジュラシック・パーク』1作目では「オープン前の見学ツアー」という設定で、登場人物の数を減らして場面や展開をタイトに絞り、大勢のエキストラが絡むような複雑な合成シーンは避け、恐竜たちとの遭遇をパーソナルな恐怖や驚愕とともに描くことに注力。この工夫により各場面のサスペンスやアクション、エモーションも鮮烈な印象をもたらした。しかし、VFX技術が発展した『ジュラシック・ワールド』では人間の群衆と恐竜の絡みがふんだんに盛り込まれ、よりパニック映画的な興趣を増している。バリエーション豊かになった恐竜たちの大暴れと、パークの崩壊を無節操なまでの大々的スケールで描き、シリーズ1作目と並ぶ全世界興収16億ドルという大ヒットを記録した。

さて、問題は次の1本である。あの残念な『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』と同じ轍を踏むのか。すでにパークが廃墟となり、恐竜たちが野に放たれた状態から始まるところも同じ。さらに恐竜たちが米国本土に上陸する展開もあるという。ハッキリ言ってイヤな予感しかしない。

コリン・トレボロウは、早い段階から「恐竜と人間が共存する世界」を描く三部作の構想を進めており、その重要な橋渡しとなる第2部の監督に、なんとスパニッシュ・ホラーの秀作『永遠のこどもたち』(2007年)のJ・A・バヨナを抜擢する。バヨナはこの長編デビュー作で、ムードたっぷりのゴシックホラー世界を作り上げつつ、観客の恐怖と涙を同時に誘った。その才能はパトリック・ネス原作のダークファンタジー『怪物はささやく』(2016年)でも発揮されている。このスペイン生まれの才人を、トレボロウはなぜ大ヒット・フランチャイズに招いたのか? それは「ゴシックホラー」要素という新機軸をシリーズに持ち込むための人選だった。

なお、バヨナ監督は2004年のスマトラ島沖地震を題材にした『インポッシブル』(2012年)で、ある家族の決死のサバイバルを生々しく描き出している。迫真のサスペンスと人間ドラマ演出の両立、そしてVFXとプラクティカル・エフェクトを巧みに組み合わせる処理能力の高さは、『ジュラシック・ワールド』の製作陣を大いに納得させる材料にもなった。後年、バヨナ監督は1972年のアンデス飛行機墜落遭難事故を題材にした『雪山の絆』(2023年)で、再びサバイバル・ドラマの名手として手腕を示している。

恐竜とゴシックホラーの融合……無茶ぶりとも言えるオーダーに、バヨナ監督は全力で立ち向かう。かくして異貌の超大作『ジュラシック・ワールド/炎の王国』は完成した。

物語は前作の3年後から始まる。パーク崩壊後、放置された恐竜たちは自力で生き延びていたものの、イスラ・ヌブラルの火山活動の活発化により今度こそ全滅の危機に瀕していた。一方、「ジュラシック・ワールド」の元運営責任者クレア(ブライス・ダラス・ハワード)は、改心したかのように恐竜保護活動団体・DPGを設立。「ジュラシック・パーク」の生みの親である故ジョン・ハモンドのパートナーだった実業家ベンジャミン・ロックウッド(ジェームズ・クロムウェル)の屋敷を訪ね、活動支援を取り付ける。さらに彼女はロックウッド財団の依頼で、生き残った一部の恐竜を捕獲・救出するべく、元恐竜飼育員のオーウェン(クリス・プラット)とともに再びイスラ・ヌブラルへと向かう。だが、それは恐竜を食い物にしようとする者たちの陰謀だった……。

前半では恐竜島ことイスラ・ヌブラルを舞台に、制御不能な恐竜たちと捕獲部隊の追いつ追われつがスリリングに描かれる。部隊のリーダーを演じるのが『羊たちの沈黙』(1990年)のバッファロー・ビルことテッド・レヴィンという時点で、なんだか雲行きが怪しい。

案の定、クレアもオーウェンも恐竜愛のない連中に裏切られ、さらに大噴火目前の島からの脱出ミッションも同時にこなす羽目になる。近づくだけでも危険な超高温の溶岩を、熱湯か何かだと思っているようなディザスター描写のユルさは小学生にも呆れられること必至だが、麻酔銃を撃たれたオーウェンが麻痺状態で迫り来る溶岩流から逃げるシーンはちょっと面白い。ちゃんと自然科学の知識を持った視聴者は、ぜひ容赦なく画面に突っ込みを入れてほしい(それも映画の楽しみである)。

そもそもバヨナって恐竜に興味あったっけ?という不安は、秀逸なキメ画の数々がしっかり打ち消してくれる。噴火する火山をバックに咆哮するティラノサウルス、火砕流に吞まれゆく島の桟橋で捕獲部隊の船を見送るブラキオサウルスなど、思わず涙しそうになるカットも少なくない。人間たちが勝手に見捨てた廃墟で健気に生きる恐竜たちの姿や、オーウェンと家族同然の絆で結ばれたヴェロキラプトル“ブルー”との再会シーンも感動的だ。

●ゴシックホラーと恐竜パニックの融合

映画の後半は、なんと米大陸本土のロックウッド邸が主な舞台となる。人里離れた森のなかに建つ豪邸には、一体どんな秘密が隠されているのか? 自分がこの企画に招聘された意味をしっかり理解しているJ・A・バヨナの演出は、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』で大はしゃぎぶりを露呈してしまったスピルバーグとは異なる、本気の大人の仕事である。もちろん、舞台の規模がコンパクトになれば、恐竜と人間が対峙するシーンも“対個人戦”がメインとなり、サスペンスも増す。

少女が横たわる真夜中の寝室にインドラプトル(遺伝子操作によって誕生した新型恐竜)が忍び寄り、古典的モンスターのごとく窓から顔を覗かせるシーンなど、ゴシックホラーと恐竜パニックの融合をごくスムーズに成立させていてさすがだ。また、広大な屋敷の豪奢で小奇麗な表向きの面と、その裏側に隠されたダークで血の通わない面の描き分けがナチュラルに上手い。カビ臭さとハイテクが同居する、牢獄めいた地下施設の描写はギレルモ・デル・トロ作品も思い出させてムード満点。

ロックウッド翁に溺愛される少女メイジー(イザベラ・サーモン)は、今作から登場するシリーズの重要なキャラクターだ。謎めいた彼女の存在は、かの『フランケンシュタイン』も思わせる禁忌のムードを漂わせ、ゴシックムードはさらに倍増。自らの出生の秘密を知り、やがて人間よりも恐竜たちのほうに共感を傾けていく彼女の“決断”が、劇的なクライマックスを生む。

メイジーの世話役もつとめる家政婦アイリス役を演じるのは、名女優ジェラルディン・チャップリン。かの喜劇王チャップリンの娘であり、公私にわたるパートナーだったカルロス・サウラ監督の『ペパーミント・フラッペ』(1967年)や『カラスの飼育』(1976年)、ペドロ・アルモドバル監督の『トーク・トゥ・ハー』(2002年)などの出演作で、スペイン国民にも昔から愛されている女優である。バヨナ監督は初長編『永遠のこどもたち』から本作まで、深い敬愛を込めて彼女を起用してきた。過去の悲劇と秘密を背負いながら、孤独な少女を守り育ててきた家政婦を演じるジェラルディン・チャップリンの存在感は、まさにゴシックそのものである。

一方、コリン・トレボロウは今作で共同脚本と製作総指揮に回りつつ、新シリーズに共通するサブテーマを盛り込むことを忘れない。つまり、利潤追求のためにモラルを失った企業の暴走、そして資本主義社会が招く破滅への警鐘だ。「人気タイトルのフランチャイズ化で稼ぐ連中が何を言うか」と言いたい気持ちもわかるが、ここは素直に、現場の作り手たちのしたたかな反骨心の表明と受け取っておこう。『炎の王国』では、恐竜たちを生体兵器やステイタスシンボルとしか見ていない戦争成金や大富豪たちが、屋敷内でオークションに興じる醜悪で退廃的な姿も描かれる。ヨーロッパの業深い歴史を身近なものとして学んできたバヨナ監督だからこそ実感を込めて描ける場面であり、その会場が阿鼻叫喚の修羅場と化すクライマックスは痛快そのものだ。

持ち前の作風を活かしつつ、大ヒット作の続編というプレッシャー不可避の超大作を見事にモノにしてみせたJ・A・バヨナ。「弘法も筆の誤り」的な仕上がりになった『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』とは非常に近いシチュエーションから出発しながら、一線を画す作品になったと言えよう。本作で恐竜と人間世界の橋渡しを果たしたあと、続く『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』(2022年)では、コリン・トレボロウが再び監督に復帰。さらに意表を突くかたちで展開する壮大なスケールの物語は、翌週の放送をお楽しみに。
(文=岡本敦史)

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