「“墜ちた人”と見られるのがつらかった」、いしだ壱成「薬物逮捕」と「父の励まし」

いしだ壱成 撮影/宮本賢一

1992年にデビューすると、『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)、『未成年』、『聖者の行進』(TBS系)など、ヒットドラマに次々と出演。若くして人気俳優としての地位を確立したいしだ壱成。同じく人気俳優である父を持ち、栄光と挫折を経験した彼の「THE CHANGE」とは?【第2回/全2回】

ドラマで主役を務めさせていただくようになってくると、だんだん自分の中で何か違和感のようなものが芽生えていきました。テレビドラマで主役を演じる自分が、虚像というか、虚栄というか、少しおかしな虚飾の世界にいるような。

例えば、休みの日に街を歩いても、「サイン、ください!」と声をかけられたり、買い物をすると次の日にはそのお店に「いしだ壱成愛用の○○」と札が立ったり……。

もともと目立ちたがりの気質でもなかったですし、まさか自分が周囲から注目されるような存在になるとは思ってもいなかったので、ちょっと周りの変化についていくことができていなかった。そうやって本来の自分と偶像の自分がかけ離れていけばいくほど、ある種の怖さを感じるようになっていきました。

薬物に手を出してしまったのも、今振り返れば、そんな怖さから逃げるためだったように思います。すべては自分の弱さや甘えが原因です。

2001年に逮捕され有罪判決を受けると、周囲から人が一気に離れていき、多くのものが音を立てて崩れていきました。

生活レベルが下がるのはそれほど気になりませんでしたが、メジャーな舞台からドーンっと落ちていって、周りの人たちから“墜ちた人”という見方をされるのを感じるのはとてもつらかったですね。

そして、復帰へ向けてもがいてもなかなかうまくいかない。後悔をしない日はなかったです。もちろん、自分が悪いんですけど。

これまでいろいろなことがあったけど、それを演技として表現すればいい

苦しい日々が続いて、「死にたい」と考えることもありましたし、うつ病も患いました。ただ、そんな時期にも声をかけてくださる人がいて。これが本当に救いになりました。

「人生のすべては芝居の糧になる」と励ましてくれた方がいましたし、「苦労すればするだけ、芝居ってのは深くなっていく。これから芝居が楽しみだよ」と声をかけてくれた方もいました。それで目の前がパッと開けたというか、何かが吹っ切れた気がしました。「あ、役者やってもいいんだ」って。これまでいろいろなことがあったけど、それを演技として表現すればいい。むしろそれができるのが役者なんだって思えるようになったんです。

今でもうつ病は治ってはいませんが、いろいろな方からこんな言葉をもらえたことが転機となって、「役者として生まれてきて、役者として死んでいこう」と、あらためて決意を固めました。生きていく中で、いろいろな時代がある中で、このつらかった日々も何かの糧にはしなければいけないと今では思っています。

つらい時期には、自分が俳優になるきっかけをくれた父からも、多くの励ましの言葉をもらっていました。そんな父とは昨年、映画『散歩屋ケンちゃん』で初共演を果たしました。この映画では親子の役だったので、また共演する機会があれば、今度は敵対する役もいいかもしれませんね。

また、これからは俳優業だけでなく、作品を制作するスタッフ側の仕事にも関わりたいと思っています。地方を舞台にした観光映画や演劇祭などにも興味があります。

プライベートでは……結婚ですかね? 安心して嫁に来てもらえるように、これからガンガン仕事を頑張っていきたいですね。

いしだ壱成(いしだ・いっせい)
1974年12月7日生まれ、東京都出身。父は俳優の石田純一。2歳のときに両親が離婚し、母に引き取られ、国内外を転々としながら育つ。16歳のときにオーストラリアでの留学から帰国後、父と再会して役者を目指すようになる。92年に俳優デビュー。以後、『ひとつ屋根の下』『未成年』『聖者の行進』などの大ヒットドラマに出演し、人気俳優となるが、2001年に大麻取締法違反で逮捕、執行猶予付きの有罪判決を受ける。2年間の謹慎期間を経て2003年に活動再開。以後、音楽や舞台などを中心に活動する。

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