愛媛県埋蔵文化財センターは24日、松山市北吉田町の垣生山の丘陵中腹部から、地下に降りるコンクリート製構造物が見つかったと発表した。第2次大戦中、近くには松山海軍航空基地があり、海軍の通信所や指揮所として使われた地下室への通路と考えられるという。センターは「戦時中の遺構は発掘調査の事例が少なく、貴重なデータが得られた。不明な点も多いが、大きな成果」としている。
構造物は標高25メートル付近で二つ見つかり、どちらも長さ約6.5メートル、幅約1.6メートル。降りると地下室への出入り口があるが、地下室は天井部分が崩れ落ちてふさがっている。地下室は長さ約7.4メートル、幅約5.2メートル、面積は約38.5平方メートルと推定。センターは地下室について「経年劣化で崩れたか、戦後に占領軍が内部から爆破した可能性が考えられる」とする。
松山外環状道路空港線建設に伴う北吉田馬場遺跡の発掘調査(4月~5月末)で発見した。