デビュー45周年を迎える沢田聖子 名古屋に愛されたシンガー【続・東海エリア探訪記】

レコードの発売を記念したライブにて(スターパインズカフェ、東京・吉祥寺)。名古屋では6月1日・2日にパラダイスカフェ21(今池)で開催。

ピアノの前にちょこんと座り、思春期ならではの心の揺らぎを巧みに綴った楽曲を弾き語りでひたむきに歌い、シンガーソングライター・沢田聖子さんがデビューしたのは1979年5月25日のことで、本日、45周年を迎える。

レコードの発売を記念したライブにて(スターパインズカフェ、東京・吉祥寺)。名古屋では6月1日・2日にパラダイスカフェ21(今池)で開催。

沢田さんは東海エリアとの縁が強く、名古屋出身かと尋ねられることがあるほどだった。はじめてソロリサイタルを開いたのは名古屋のヤマハホールで、「沢田聖子のさわやかジョッキー」(東海ラジオ放送)や「沢田聖子のマインドスケッチ」(FM愛知)など、名古屋のラジオ局で名前を冠した番組を担当した。愛知や岐阜にある大学の学園祭にもよく招かれ、ファンによる手書きの同人誌が作成された。
「デビューにあたり、プロデューサーが全国に協力を呼びかけるなか、とくに名古屋の方が積極的だったというのが背景にあると思います。天むすや手羽先をいただくのが毎回、楽しみでした」
全国的に見ればメディアへの露出は少なく、「おとなしい」「清楚」といったイメージが一人歩きしていた。それに反して歌は鋭く、本当はどういう人なのか不思議に思えた。ただラジオ放送のDJでは明るくひょうきんな素顔を隠さず、自ら“食いしん坊”と言ってはたびたび食べ物を話題にした。そんな姿に親しみを覚え、放送を受信できる東海エリアには多くのファンが生まれた(インターネット以前、電波が届かなければ聞けなかった)。
以来45年、地道に活動をつづけ、毎年のように新しいアルバムを製作し、全国のライブハウスを回ってコンサートを開いてきた。いまもライブに通う当時のファンが少なくない。

サウンドプロデューサーである林有三さん(左)と、ギターリストの福田眞國さん(右)に支えられるステージ。

デビュー45年を記念し、この22日には『Anniversary Best Self-Cover Album 石の上にも45年』(ユニバーサル ミュージック)を発表した。この15年あまりインディーズで活動してきた沢田さんにとって、久しぶりのメジャーレーベルになる。
「CDの盤面は私がこれまで着たチョッキを並べているのですが、これ、“ベスト”って意味なんですよ。気づいてもらえました?(笑)」
年を重ねて大人への階段を上るたび、恋を、愛を、家庭を、人生を歌にしてきた。45年のあいだに製作した楽曲は250曲あまりにおよぶのだが、そのなかから16曲を選りすぐり、新たなアレンジで録音した。20代の声に60代になったいまの声を重ねるという試みもおこなっている。キーは下がったと言うものの、声質はデビュー当時と変わらない。
どれもよい歌なのだが、だれもが口ずさめるシングルヒットはこれまでない。それで方向性を見失い、何度も歌うのをやめようと思いながらもつづけてきたと言う。副題にある「石の上にも」は、沢田さんの偽らざる心境だ。往年のファンはもちろん、若い世代にも沢田聖子のつくる楽曲を再発見して欲しい。

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