『暴れん坊将軍』ヒットの陰に「師の存在」…松平健が影響を受けた「伝説の名優」

松平健  撮影/有坂政晴

1975年に俳優デビューして以来、『暴れん坊将軍』の徳川吉宗役で時代劇俳優としての地位を揺るぎないものにした松平健さん。さらに、歌手としても2004年にリリースした『マツケンサンバII』が大ヒットし、令和の今でも世代を超えて愛される一曲となっている。そんな松平さんの「THE CHANGE」とは?【第1回/全4回】

今年、芸能生活50周年を迎える松平健さん。1953年に愛知県で誕生した青年が「松平健」となったのは、19歳のときだった。

「実はその間に、もうひとつ“松本二郎”という芸名がありました。劇団での初舞台の役名をそのまま使っていたんですが、テレビドラマに出ることになって、プロデューサーが『その名前じゃ、ちょっとなぁ』と“松平健”という芸名をつけてくれました。由来ですか? ちゃんと聞いたことはないんですけど、私が、松平氏ゆかりの三河出身だったからじゃないかと思います」

松平といえば、徳川家康が改姓する前の名字だ。「松平健」と名乗って6年後、江戸幕府の八代将軍・徳川吉宗が主人公の『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)に抜擢され、時代劇スターへの道を歩むことになるのだから、運命というのは不思議である。

「『暴れん坊将軍』はやっぱりヒーローですから、カッコよく見せなきゃいけない。時代劇の魅力って、やはり殺陣の存在が大きいと思うんです。そういう意味では、やはり勝新太郎先生という師匠に出会えたことは大きいですね」

これも運命と言える勝新太郎さんとの出会い――。駆け出しの俳優だった松平さんは、1974年に勝プロダクション入り。勝さんの演技や殺陣を間近で学ぶことになる。

「とにかく、殺陣のスピード感とカッコよさが圧倒的で、すごく勉強になりました。そのテンポや動きは、ずっと脳裏に焼き付いていますね。私は『座頭市物語』(フジテレビ系)という勝先生主演のテレビドラマで本格的にデビューしたんですが、そばで勝先生が演じる座頭市をずっと見ていて、“やっぱり時代劇は面白いな”と感じていました」

「年齢は重ねても気持ち的には若い頃と一緒」

師匠から学んだ殺陣は、出世作『暴れん坊将軍』の大きな見どころともなった。7月から明治座で行われる『松平健芸能生活50周年記念公演』では、生の舞台で『暴れん坊将軍』が披露され、「スカッとする立ち回り」も見られるという。

松平健  撮影/有坂政晴

「実は修業時代に、明治座での勝先生の舞台『播磨とお菊』に端役で出していただいているんです。ですから、今回の芸能生活50周年記念公演が明治座というのにも、運命を感じますね」

松平さんが明治座の舞台を踏むのは今回が24回目。毎年のように座長公演を行ってきた場所だけに、愛着があるという。

「『播磨とお菊』のときは、こんなに大きな舞台に立つのは初めてだったので、とても緊張したのを覚えています。でもそれ以降、明治座にはずっとお世話になっていて、いわゆる“ホーム”という感覚ですね。そんな場所で、久しぶりの徳川吉宗・徳田新之助役を演じます。

今私は70歳ですが、23歳から『暴れん坊将軍』をやってきて、吉宗が亡くなった年齢(68歳)を超えてしまった。ただ、年齢は重ねても気持ち的には若い頃と一緒なんですよ(笑)。自分ではテレビでやっていた頃とそんなに変わっていないので、昔のまんまでできればいいなと思っています」

芸能生活50年を超えても、松平健はまだまだ輝き続ける。

松平健(まつだいら・けん)
1953年11月28日生まれ。1975年にテレビドラマ『座頭市物語』(フジテレビ系)でデビュー。1978年から『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)で、徳川吉宗役を演じ、時代劇俳優としての地位を確立。以降、多数の映画やドラマで活躍し、代表作にNHK大河ドラマ『草燃える』『義経』『鎌倉殿の13人』、『リーガルハイ』(フジテレビ系)、『PTAグランパ』(NHK BSプレミアム)、『下剋上球児』(TBS系)などがある。歌手としても2004年『マツケンサンバII』が大ヒット。現在も老若男女に愛される楽曲となっている。

© 株式会社双葉社