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60歳でモデルデビュー、73歳で自分のお店を持つ、62歳で人生のパートナーに出会う……など、自分らしい生き方をしている60歳以上の女性51人をインタビューした『60歳からの生き方図鑑 いくつになっても「今がしあわせ」と言える女性でありたい』(百田なつき編著・グラフィック社)。本書の中から、「自分らしく生きている女性」を一部抜粋・編集してご紹介します。第1回目は、転機があるたびに仕事を替えて、還暦を過ぎてからパーソナルスタイリストを始めた、織田ゆり子さんにスポットを当てます。
<Profile>織田ゆり子さん
年齢 68歳
出身地 愛媛県
住んでいるエリア 神奈川県
同居家族 ひとり暮らし
子ども 息子1人
持ち家か賃貸か 持ち家
お仕事・職業 パーソナルスタイリスト・作詞家・WEB制作業
年金受給 有
はじめに
――まず、かんたんにあなたについて教えてください。
23歳で結婚、24歳で出産し、離婚。ちょっと荒れた日々を送っていましたが、一念発起して音響メーカーの音楽カレッジで作詞や脚本を学びました。
20代から30代は有名歌手の作詞やステージ構成、ミュージカルの脚本など精力的に仕事をしていましたが、40歳のときに急性腎炎で体を壊してしまいました。
体が回復せず、仕事を替えることになり、当時流行っていたITに興味を持ち、メーカーのプログラミングの講師となり50代まで全国を飛び回っていました。60歳になったころから太り過ぎを反省してダイエットを決意。半年で8㎏痩せたことからファッションに興味が湧きました。昔からスタイリストや美容師さんたちとの付き合いが多かったので、パーソナルスタイリストを開始しました。
<My History>
23歳 結婚
24歳 長男出産、離婚
25歳 放送作家・作詞家として仕事開始
40歳 急性腎炎のため全ての仕事をやめる
41歳 プログラミングの資格取得
42歳 ITインストラクターとして全国を飛び回る
51歳 父親の会社を引き継ぎ役員に
53歳 会社を退社
56歳 心理カウンセラーの資格取得
60歳 パーソナルスタイリストを始める
還暦を迎えてからファッションと美容の仕事をスタート
――現在のあなたについて詳しく教えてください。
ずっと前から続けていた文筆業(作詞)、WEB制作業を継続し、還暦を迎えてからはブログでファッションと美容のアフィリエイトもスタート。一日の大半はパソコンの前です。
メインの仕事はパーソナルスタイリストとファッションライターをしています。心理カウンセラーの資格を持っているのでお客様のお宅に出向いてお悩みに沿ったコーディネートのアドバイスやクローゼットの整理をし、一緒に服を買いに行くお手伝いをしています。
しかしここ3年くらいはコロナ禍で外出が難しかったため、ネット中心の活動をしていました。SNSに毎日アップすることで注目度が高まり、ファンになってくれる方が増え、雑誌の記事や取材の依頼もいただくことが多くなりました。還暦を過ぎて自分のやりがいを見つけられたのが嬉しくて楽しいです。
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「アパレル企業とも親しくなり、シニアにおすすめのさまざまなコーディネートを考えるのは楽しい」(『60歳からの生き方図鑑より)
生活スタイルは完全な夜型です。朝は10時に起きて、午前中に家事をして仕事は午後からスタート。仕事は自撮り画像を編集したり、プログラミングをしたり、原稿を書いたりと、日によって内容はさまざまですが、終わるのは夜1時ごろ。その後はお肌のメンテナンスとストレッチを1時間ほど頑張ってから就寝します。ベッドの中で読書するので、眠りにつくのは深夜3時ぐらいです。
人生の転機は40歳と51歳のとき
――人生最大の転機を教えてください。
転機があり過ぎましたが、その中でも最大の転機は、40歳で病気になって、仕事を替えなくてはならなくなったことでしょうか。音楽・放送関係の仕事は、NHKで作詞した『赤いやねの家』が小学生の教科書に載ったり、ミュージカルの脚本を書いたり、やりがいがあり楽しい仕事だったので、それをやめてしまうことはつらかったです。当時は心も荒れていたので、次々と恋人を作り、親と子どもにも迷惑をかけました。しかし家族が応援してくれて、IT業で身を立てるまでになったことは嬉しかったです。
もうひとつの転機は、51歳のとき、私の理解者でいてくれた父が脳卒中で倒れ、半身不随になったことです。父の会社の仕事を引き継ぎ、私が社長に就任しました。でも幹部と折り合いが悪く、2年で会社を追い出されることに。それもつらかったのですが、何より苦しいときに支えてくれて、一生を共にしようとした恋人に胆管癌が見つかり、半年で亡くなり、失意のどん底に落ち、毎日泣いて暮らす日々でした。
WEBとパーソナルスタイリストの仕事で生活費を稼ぐ
――日々のお金のやりくりについて教えてください。
年金では足りないので、WEB制作業やパーソナルスタイリストの仕事を続けて、生活費を増やすようにしています。衣食住には困りませんが、難病の脊柱管狭窄症は治ることのない病気です。動けなくなったら働けないことを実感したので、健康に気をつけることと、身軽であるために無駄な買い物は控えるようにしています。
古稀が近くなってくると、夢も目標もありせんが、少なくとも周りに迷惑をかけず、健康体を保っていけることが大事だと思っています。