【アスリートのセカンドキャリア】「サッカー界とも新たな形で、プラスの風を」現役中に出会った〝好き〟がセカンドキャリアのカギになる 元サッカー選手・坂井達弥

幼少期からサッカーに打ち込み、日本代表選手としても活躍、プロ引退後はタイで農業に挑戦する坂井達弥さん(33)。農業を始めたきっかけは、現役時代から配信していたYouTubeの企画で出会った、果物の王様・ドリアン。ドリアンへの〝好き〟がセカンドキャリアの原点となり、現在は本場・タイでドリアンのオーガニック栽培に挑戦しています。日々、挑戦し続ける坂井さんに、これまでの軌跡、アスリートのセカンドキャリアについての考え方、スポーツ界や社会とのプラスの繋がり方についてお話を聞きました。

PROFILE【坂井達弥】

1990年11月19日生まれ、福岡県福岡市出身。東福岡高校から鹿屋体育大学に進学。大学卒業後は、プロサッカー選手として、サガン鳥栖、松本山雅FC、V ・ファーレン長崎、大分トリニータ、モンテディオ山形など、多くのJリーグで活躍。2014年には、日本代表にも選出。その後はタイ・リーグ1のサムット・プラーカーン・シティFC、タイ・リーグ2のネイビーFCへと活躍の場を広げ、2022年に現役を引退。現在は、タイで農業に挑戦。妻・夏美さんとのYouTubeも高い注目と人気を集める。

【関連リンク】坂井達弥さんの公式YouTubeチャンネル

順風満帆なサッカー生活 強豪校から大学進学、そしてプロへの挑戦

Q.サッカーを始めたきっかけは?
坂井達弥さん(以下、坂井):6つ上の兄が、僕が歩き出す頃に、幼稚園などでサッカーをしていました。その様子を見ていて、サッカーにすごく興味を持ったのが、サッカーを始めたきっかけです。親からは、それくらいの頃から、1人で公園などでボールを蹴り始めていたと聞きました。
本格的にサッカーに取り組み始めたのは、小学校2年生頃でした。地元の少年団に入って練習し始めたのも、その頃でしたね。それまでは、本当にボールを蹴って遊んでいたくらいで…。
でも、地元の少年団に入って練習し始めた頃から、より本格的にたくさん練習したいと思うようになって、他のチームを探していた時、住んでいた場所の近くでアビスパ福岡のジュニアがあるということを知りました。そこから、セレクションを受けて、アビスパ福岡のジュニアに加入することになりました。専門的に教えてもらうようになったのは、その頃からだったと思います。

Q.その後の進学先は、サッカーの強豪・東福岡高校。高校卒業からプロの道へと歩みを進める選手も多い中、大学への進学を決められた理由は?
坂井:小さい頃は、高校卒業後にプロになるというのが、自分自身のイメージとしてありました。でも、高校3年生の夏ぐらいに「実際は厳しいのかも…。全然そんな感じがしないぞ」と思うようになってきて。そこで、自分の進路について柔軟に考えるようになり、「先輩たちの進路を見ていると、サッカー推薦で大学進学をすることが、今の自分にとって1番いい選択だろうな」と思い、大学への進学を決めました。

Q.鹿屋体育大学を選んだ理由は?
坂井:実は最初、第一志望として考えていたのが、関西大学でした。しかし、関西大学の練習参加の時に、たまたま怪我をしてしまっていたので、参加の機会が流れてしまって。それで、次の機会伺っている時に、鹿屋体育大学からお声がかかりました。
第一志望ではありませんでしたが、実際に練習に行ってみたら、皆さんすごくのびのびとサッカーをされていて、楽しそうで。「こんなサッカーもあるんだ…!」と、衝撃を受けたんです。それまでは、ある程度型にはめて、それを一生懸命にこなす練習を積み重ねてきた分、すごく新鮮に感じたことも印象に残っています。
当時の指導者の方にも、「鹿屋体育大学でしっかり努力して、4年間を過ごしなさい」と背中を押してもらったことも、決め手になったように思います。また、大学卒業後のキャリアを具体的に描けたことも、大きかったですね。鹿屋体育大学で体育教員や指導者の勉強をして、そういう道を将来の選択肢として考えるのもいいかな、と考えていました。

「教員になれたらいいな」から日本代表選手へ

Q.大学入学後はどのようなことを目標に取り組んでいましたか?
坂井:前述の通り、「教員になれたらいいな」というふうには考えていましたが、心の底では「やっぱり、プロサッカー選手になりたいな」という気持ちもあったので、まずは、プロになることを目標に頑張っていました。
ありがたいことに、1年生の頃から試合に出させてもらっている中で、天皇杯で徳島ヴォルティスに3対1で勝つことができたり、シュビロ磐田との試合で延長まで持っていけた経験を通じて、「プロ相手でも、個人個人の特徴を組織的に使うことで、互角に戦うことができるんだ」と自信がついたのを覚えています。そこから、大学の九州選抜 で全国選抜と試合するデンソーカップのメンバーに選んでもらったり、プロチームの方が声をかけてくださって練習に参加させていただいたりするようになりました。
その中で、熱心にいつも目をかけてくださったのがサガン鳥栖でした。鹿児島の鹿屋まで毎試合観に来てくれたり、サガン鳥栖への練習参加時にいつも車で連れていってくださったりする中で、サガン鳥栖でプロとして頑張っていこうという気持ちを固めていったように思います。

Q.晴れて、プロへの切符を手に入れた坂井さん。その後は、日本代表としてもご活躍されました。
坂井:サガン鳥栖での契約は5年ほどあったんですが、結果としては、途中でレンタル移籍を挟み、3年ほどお世話になりました。
サガン鳥栖で頑張っている中で、自分にとって魅力的な条件を提示されたり、他チームからの熱意を感じるオファーがあれば、新天地で頑張ってみようかなと思っていた矢先、2014年の大卒2年目(サガン鳥栖在籍時)の時に、日本代表に選出されました。
日本では貴重な左利きのセンターバック&長身という自分の強みを生かしていこうと思って頑張っていた中で、たまたま試合に出た時に日本代表のキーパーコーチがいらっしゃっていて、左利きのセンターバックを探していたみたいで…。そこで、大抜擢していただいたようです。

Q.日本代表後も、多くのJリーグでご活躍されていますが、タイにはどのようなきっかけで渡られたのでしょうか?
日本代表を経験後、当時所属していたモンテディオ山形との契約が終わったタイミングでタイに渡りました。日本人のセンターバックが欲しい、ということでお声をかけていただき、急遽タイに渡ることになったという感じでしたね。
現地のチームの監督が日本人だったということもあって、タイのサッカーの良さと日本のサッカーの良さを同時にとり入れるスタイルにも大きな魅力を感じていました。30歳になる年でしたし、若い選手と一緒に練習しながらサッカーの感覚を教えたりとかもしていました。僕自身、英語もタイ語もできずに渡ったので、 身振り手振りをまじえたコミュニケーションでしたが、言葉が通じなくても、思いが伝わったことで、サッカーがもつパワーを改めて感じました。
そこのチームでは1年ほどお世話になり、その後、ネイビーFCという海軍のチームに移籍したシーズンで、現役生活は一区切り、という決断をしました。

現役時代のYouTube配信で出会った〝果物の王様〟がセカンドキャリアに

Q.引退後はどのようなキャリアを?
坂井:すごくサッカーが好きでしたし、ずっとサッカーで生計を立ててきていたので、最初はサッカー選手以外の職に就くイメージが全然描けなくて…。
振り返ると、ネイビーFC時代に次のチームが見つからなかった期間も、どこか所属チームが決まると思っていましたし、まだサッカーを頑張りたい気持ちが強かったんですよね。サッカー人生に一区切りつける、と決断した後も、しばらくは「またお声かかれば、すぐにやるよ!」といった心構えでいましたし…。少しずつ、自分自身で次のステージに立っていることを受け入れていったように思いますね。

Q.その後、どのようなきっかけで現在の本業である農業に出会ったのでしょうか?
坂井:きっかけは、サッカー選手時代から配信していたYouTubeの企画でした。
最初は強烈な匂いと高価な値段がついている、というイメージが強かったんですが、「企画だから仕方ない…」と思いながらも、食べてみると凄く甘くて!感じたことのないフルーティーさが脳に突き刺さって、「何だこれ!?」と衝撃を受けました。
それから、シーズン中も毎日買って食べるくらいドリアンが好きになって…。ドリアンへの愛が高じて、「日本人でドリアンを食べたことのない方のイメージも変えていきたいな」と思うようになっていきました。それから、YouTubeでドリアンの苗の様子や実際に切って開けてみたりするような配信をするようになりました。
それがすごく楽しかったので、サッカーを辞める時に「ドリアンで何かやれればいいな」とは、漠然と思っていたんです。なので、最初は「ドリアンを売ろう!」と考えていたんですが、どのドリアン農園に行ってみても、実際にどのように育てて、どのように出荷しているのかという実情までは、あまり見えてこなくて…。「それなら、自分で最初の工程からこだわったものが作れないかな」という思いから、農業を始めました。
農業は自分にも合っているなと感じますし、何より楽しすぎて…。サッカーは引退、と言い切ってしまっていいと心の底から思っています(笑)。

Q.農業に挑戦する中で、今後、ドリアンを日本で普及させたいという目標があるとうかがいました。
坂井:はい。今の日本では平均気温が足りなくて、ドリアンの実がつかないんです。でも、いずれは日本での栽培についても、積極的に挑戦していきたいと思っています。可能な限り、隅から隅まで試行錯誤を繰り返しながら、チャレンジしてみたいですね。あとは、自分自身のチャレンジを通じて、日本人にとって、ドリアンがもっと身近な存在になってくれたらいいなと思っています。好きか嫌いかは分かれると思うのですが、まずは、日本の半分以上の方に「ドリアン、食べたことあるよ!」って言ってもらえるようになったら嬉しいですね。「味、知ってるよ!」とか、「美味しい、美味しくない!」の話ができるぐらい、浸透させられたらいいなと思っています。

「セカンドキャリアをもっと軽やかに考えられるように」 挑戦通じ、サッカー界とも新しい繋がりを

Q.農業への挑戦を通じて、社会との繋がり方やキャリアメイクへの新たな発見はありましたか?
坂井:サッカーの分野では、運動能力や身長が高かったことで、周りより優位に立てたことが多かったなと思うんです。そういう中でずっと生きてきたので、自分自身のことを器用な人間だと思っていました。なので、「他の分野でも、何だってできる!」と思っていたのですが、実際にサッカー以外の分野で頑張るとなると、何もできなくて…。いろんなことが同時にできる方とか、マルチタスクに物事を回せる方とか、抜きに出ているわけではないけれど、いろんなことが満遍なくできる方ってすごいなと感じるようになりました。
アスリートの方々って、自分も含めてですが、基本的にスポーツに全集中してきて、そこからどうやって結果を出すかということに力を注いできていると思います。なので、現役中に次のキャリアについて考えたり、いろんな方とセカンドキャリアについてお話しさせてもらっても、なんだかやっぱり想像しにくいと思うんですよね。
スポーツを頑張ってきた人たちって、マルチにいろんなことをできる人もいると思いますが、1つのものに集中することのほうが得意な人が多いんじゃないかと思います。好きなことにのめり込む力が、すごく高いんです。
好きなことに対してのめり込んだり、深掘りできることは、いろんな場面で役立つことだと思いますし、「マルチにやれないのは、社会人としてダメなんだ」とか、そんなことは全然思わなくていい。それよりも、自分自身にできないことがあった時、できないことを素直に人に頼れたり、逆に頼られたら「何かしてあげよう」っていう気持ちを持って、人間関係を繋いでいく力のほうが、すごく大切だと感じています。
サッカーから農業にステージを変えて挑戦していることを通じて、引退後のセカンドキャリアをもっと軽やかに考えられるようなきっかけに、自分がなれたらいいなとも思っています。

Q.まずは〝好き〟を見つけることがセカンドキャリアへのカギになりそうですね。一方で、〝好き〟を見つけることに苦労されている方は、どうしたらいいのでしょうか?
坂井:僕の場合、現役中から自分の気分がいいように過ごすことが好きだったんですよね。試合前は掃除するって決めて掃除したりとか、柔軟剤の香りにこだわってみたりとか…。小さなことかもしれませんが、そういうことから、どうやって掃除すればもっと綺麗に磨けるのかを試してみたり、どっちの柔軟剤がいいのかを真剣に考えてみたり。その中で、作り上げられた自分自身の価値観が〝好き〟に繋がっていくのかなと思います。なので、どんな小さなことでも、「この〝好き〟はセカンドキャリアに繋がらないかも…」と思わずに、深堀してみたり、追及したりしてみてください。

Q.今後の目標は?
坂井:まずは、本場・タイでドリアンといえば僕の顔が浮かぶくらい、知識を深めたり、経験を重ねていかないといけないなと思っています。そして、自信を持って日本の皆さんにドリアンの特徴や品種、美味しさを伝えていけたらと思っています。ドリアンをきっかけにサッカー界とも新しい形で繋がって、プラスの風を起こせたらいいなとも思っています。日々、頑張っていることをYouTubeにも載せているので、興味を持っていただけた方は是非覗いてみてください!

文/秋山彩惠 写真/坂井達弥さんご提供

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