音だけで伝わる恐怖 収容所所長一家の日常に背筋が凍る 『関心領域』

飯塚克味のホラー道 第80回『関心領域』

何とも恐ろしい映画がやってきた。これまでにもホロコーストを扱った映画は人類の忘れてはいけない汚点として、山のように作られてきたが、本作はこれまでのどの映画とも異なる視点で、我々に問いかけてくる。画面に映るナチスの家族の日常を見て、あなたは果たして自分たちとの違いを明確にできるだろうか?

映画は湖畔でくつろぐ、ある一家の休日から始まる。水を浴び、途中に咲く花々の美しさに感動し、子どもたちは無邪気に遊ぶ。そんな日常だが、徐々に誰もが違和感を覚える。彼らが暮らすのはアウシュヴィッツ収容所の脇。すぐ隣からはガス室で亡くなったユダヤ人を日夜、焼き続ける焼却炉からの煙と、ゴーゴーという炎の何とも言えない音が昼夜を問わず鳴り続けている。だが一家が送る日常は、現代の我々と変わらない、ごくありふれたものなのだ。

映画には収容所の内部は一切映らない。絶えず、地響きのように焼却炉の重低音が鳴り響き、時折、遠くの方で訴えかける何者かの声と、それを打ち消す銃声が聞こえてくるだけだ。この音を聞いて、もし何も感じないのであれば、アウシュヴィッツについて勉強するなり、『シンドラーのリスト』(1993)や『戦場のピアニスト』(2002)、『ライフ・イズ・ビューティフル』(1998)のようなホロコースト映画を一本でもいいから観るべきだ。本作は今年の第96回アカデミー賞において、『オッペンハイマー』(2023)を抑えて、音響賞を受賞しているが、見れば納得、本作における音響表現は、我々の記憶の底にある恐ろしいジェノサイドを掘り返してくるのだ。ホラー映画ではジョン・マクノートン監督の『ヘンリー』(1986)が、殺害後の現場映像に殺人を行っている瞬間の生々しい音を被せることで、五感を刺激するイヤな気分にさせたものだが、それを超える衝撃だったと言えよう。

そんな本作の監督は、2013年にスカーレット・ヨハンソン主演で話題になった侵略SF『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013)のジョナサン・グレイザーだ。その前の作品が、ニコール・キッドマン主演の『記憶の棘』(2004)なので、ほぼ10年に1作の寡作ぶりだが、どれも忘れ難い映画になっている。

本作では舞台となる家のセットのあちこちにカメラを仕掛け、それを一斉にモニターし、俳優たちはそこで一連の芝居をするという、普通では考えられない演出スタイルを取っている。映像も広角ショットばかりで、いわゆる俳優たちのクローズアップなどは存在しない。だが超高画質なので、ブーツを洗う際に血が付いていたり、屋敷で働く使用人が収容所で着用する囚人服を着ているのは分かるはずだ。

中盤になってくると、映画全体に死の臭いが漂ってくるのを感じずにはいられない。人によって死の感じ方は異なると思うが、いつかは誰にでも必ず訪れる死に対する感覚を本作はもたらすのだ。映画を見終えた時、あなたは何を感じるか?自問自答せずにはいられないはずだ。タイトルの『関心領域』という意味についても考えざるを得ない。

またアカデミー賞国際映画賞の受賞時、ジョナサン・グレイザー監督が、ホロコーストを利用してガザへの攻撃を正当化してはいけないと訴えかけたことも忘れてはいけない大事なことだ。肝心なのは、すぐ隣で重大なことが起きているのに、それに目を閉じて知らぬふりをしてはいけないということ。「見ざる聞かざる言わざる」が自身の安全を守ると思わされてきた日本社会だが、そうした考えはもう通用しない、無関心でいることは罪なのだ。2度3度見ると、新たな発見もある作りだが、まずは劇場でこの怖さを体験してもらいたい。


飯塚克味(いいづかかつみ)
番組ディレクター・映画&DVDライター
1985年、大学1年生の時に出会った東京国際ファンタスティック映画祭に感化され、2回目からは記録ビデオスタッフとして映画祭に参加。その後、ドキュメンタリー制作会社勤務などを経て、WOWOWの『最新映画情報 週刊Hollywood Express』の演出を担当した。またホームシアター愛好家でもあり、映画ソフトの紹介記事も多数執筆。『週刊SPA!』ではDVDの特典紹介を担当していた。現在は『DVD&動画配信でーた』に毎月執筆中。TBSラジオの『アフター6ジャンクション』にも不定期で出演し、お勧めの映像ソフトの紹介をしている。


【商品情報】
関心領域
2024年5月24日(金) 新宿ピカデリーほか全国公開
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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