中村雅俊さん「芸能生活50年。人に恵まれ、作品に恵まれ、今日までやってこられました」

長髪、下駄ばき、ラッパズボン。自由な風をまとった中村雅俊さんがお茶の間に登場してから、今年で早くも50年。デビュー当時から変わらず、俳優、歌手として活躍を続ける中村さんに、これまでと、これからの思いを伺いました。

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PROFILE
中村雅俊さん・俳優、歌手

なかむら・まさとし●1951年、宮城県生まれ。
74年にドラマ「われら青春!」で主役デビュー。同作の挿入歌「ふれあい」で歌手としても活動を開始。以降、俳優、歌手として活躍中。
現在、ドラマ「フクロウと呼ばれた男」がディズニープラスにて独占配信中。
5月29日には、ベストアルバム『SONGS~Masatoshi Nakamura 50th Anniversary All Time Best~』を発売。
7月5日からは「中村雅俊Billboard Live 2024 〜REUNION〜」を開催。

毎日が精いっぱい。必死すぎてくじけるヒマもないくらい

「特別な経験だったからかな。あの頃のことはよく覚えているんですよ」

そう言って、トレードマークのやさしげな目を細めて笑う中村雅俊さん。思いをはせる「あの頃」とは、ドラマ「われら青春!」で鮮烈なデビューを飾った当時のこと。

「大学3年の終わりに文学座の入所試験を受けて、4年生の12月にはドラマ『われら青春!』への出演が決まって。翌年4月にドラマの放送が始まったと思ったら、7月にはシングル『ふれあい』が発売されたんですよね。わずか2年ほどの間にこれだけのことが起こるなんて、あまりにラッキーすぎると思いませんか(笑)。普通に考えたらプレッシャーに負けてしまうくらいの重責だけど、当時の俺は目の前のことに必死で。毎日が精いっぱいでしたね」

当時は口の悪いスタッフも多く、「それはもう、ずいぶん怒られましたよ」と苦笑い。

「だけどくじけたことはなかったなぁ。くじけるヒマもなかったというか。口は悪いけど、スタッフさんたちも実はやさしくてね。酔うと言ってくれるんですよ。みんなに役名で呼ばれていたんだけど、『俊は芝居も下手で、歌もそんなにだけど、みんなでスターにしてやろうぜ』って。その言葉を聞くたびにジーンときてね。何をどう頑張ればいいかはわからないけれど、とにかく頑張らなきゃって。そんな気持ちにさせてくれる人たちが、俺のまわりにはいつもいてくれたんです」

厳しくもあたたかなスタッフに囲まれ、俳優としての第一歩を踏み出した中村さんだが、なかでも出会いに感謝している人が。

「プロデューサーの岡田晋吉さんは、俺を見つけてくれた人。そして脚本家の鎌田敏夫さんは、俺のキャラクターをつくってくれた人。俺を見つけ、育ててくれたお二人への感謝の気持ちはずっと胸にありますね。あらためて振り返ってみると、人との出会い、作品との出会いに恵まれてここまでやってこられたんだなと思います」

当時の記憶とともによみがえったのか、こんな思い出話も飛び出した。

「『われら青春!』の第1話の試写を見て、びっくりしましたよ。『俺の目、こんなにたれてたっけ⁉』って。本当に驚くくらい下がってたなぁ。ドラマの撮影では、被写体に光を当てるレフ板というものを使うんだけど、当時のものは、ものすごくまぶしくてね。そのせいだと俺は思っています(笑)」

そう話す中村さんの目は……? たくさんの人に愛される、あのまなざしがそこにはあった。

「俺は役者だから」と言い訳していたこともありました

俳優業とともにスタートした、歌手・中村雅俊としての活動。デビューシングル「ふれあい」は120万枚を超える大ヒットとなり、その後もヒット曲を連発。コロナ禍を除き毎年コンサートツアーを開催するなど、歌も精力的に続けている。

「俳優としてデビューしたときは、まさか歌うとは思っていなかったんですよ。だから歌っていても言い訳している部分がありました。『俺は役者なんだから』って。でも考えてみたら、役者だからって歌詞を間違っていいわけはないんです。そのことに気づけてから、100%歌手、100%俳優という意識で向き合うようになりました。ちゃんとできているかはわからないけれど、そういう気持ちでパフォーマンスすることが誠意だと、俺は思っています」

どちらにも全力投球するあまり、疲労が重なって病院に搬送されたこともあるという。それでも「大変だと思ったことはない」ときっぱり。

「歌うことも演じることも、やっぱり好きだし、どちらも楽しいんですよ。だから大変なことがあっても、つらく感じないというか。子どもの頃からそうだったかもしれないな。うちは貧乏だったけど、大変だった記憶はなくて。何やかんや毎日楽しく過ごしていましたね」

好きという思いと、前向きな心のもちようと。きっとそれらが、中村さんのこれまでを支えてきたのだろう。けれども、中村さんを形づくるものとして忘れてならないものがもう一つ。パートナーの存在だ。

「妻とは相性がすごくいいんだと思います。彼女の前では気を使うこともないし、居心地がいい。料理もすごく上手でね。健康のために続けているのはウォーキングくらいですが、元気でいられるのはきっと妻が作ってくれるバランスのいい食事のおかげ。感謝の気持ちは、言葉で伝えていますよ。家事も言われれば喜んで。今やっていること⁉ 自分の部屋の掃除と、食後に食器を運ぶことと……あとゴミ出し! これは頼まれれば、ですけれど(笑)」

誰かのせいにしたくないから選択は常に自分自身で

栄養バランスバッチリの食事で、健康面の心配もなし。健やかな体と心で、6月からは東京・明治座にて開催される芸能生活50周年記念公演に臨む。音楽劇とコンサートの2本立てというのが、俳優、歌手の顔をもつ中村さんらしい。

「お芝居の舞台は故郷、宮城県の女川。東日本大震災で妻と、経営する店を失ってしまった男の物語なのですが、根底には復興という思いを込めています。コロッケさん、久本雅美さんという共演者の顔ぶれを見てもわかるとおり、楽しい作品になるはずです。第2部のコンサートでは皆さんに楽しんでいただける曲をと、選曲の真っ最中。皆さんが知っているおなじみの曲? それとも……と、悩んでいるところです」

生き馬の目を抜くといわれる芸能界で、50年もの間、第一線で活躍するというのは、容易なことではないはずだ。どんな思いでこの50年を過ごしてきたのか、あらためて尋ねてみると……。

「嘘はつかない。自分のことも大切にするけれど、人のことも同じくらい考える。それは無意識のうちにではありますが、大切にしてきたことかもしれません。そして、自分の気持ちや意志は、ずっと大切にしてきました。自分で決めた道を進んでいけば、何があっても自分の責任だと納得できる。そうでないと、誰かを責めてしまうかもしれないじゃないですか。それは嫌だなと思うから」

すべての責任を自らに課し、選択してきた道の先に今がある。ではこの先の道のりを、中村さんはどう歩んでいくのだろう。

「70歳を過ぎてから、時間には限りがあるという意識が強まって。すぐにどうこうというわけじゃないんですが(笑)、丁寧に生きていかなくちゃいけないなという思いが生まれましたね。それは、今やっていることの延長線上にあるもの。歌うこと、演じることを丁寧に。そして、ずっと続けていけたらいいなと思っています。新しくやってみたいこともあって。最近、園芸に興味があるんです。テレビで見て、面白そうかもと。できれば食べられるものを育ててみたいな。ちょっと楽しそうじゃないですか?」

INFORMATION

中村雅俊芸能生活50周年記念公演

宮城県女川の海岸近くにある「スターリバー・カフェ」。50年前に星川誠の両親が開き、誠が引き継いだ店の中には、古く汚れたジュークボックスが置かれていた。2024年のある日、動かないはずのジュークボックスが音楽を鳴らし始めて……。第1部は、昭和歌謡とともにつづられる音楽劇。第2部のコンサートでは、心に残るヒット曲、名曲の数々を明治座ならではの演出でお届けする。

出演/中村雅俊、コロッケ、久本雅美 他
上演台本・演出・振付/玉野和紀 脚本/堤 泰之
日程/6月2日(日)~18日(火)
会場/明治座(東京都中央区日本橋浜町2-31-1)
料金/S席1万3000円、A席7000円

●明治座チケットセンター ☎03-3666-6666(10:00~17:00)
https://www.meijiza.co.jp/info/2024/2024_06/

※この記事は「ゆうゆう」2024年6月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。

撮影/中村彰男 取材・文/恩田貴子

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