「1980」ペク・ソンヒョン、映画のため撮影地に長期滞在“自分のすべてを注ぎ込んだ”

写真=MOVIE&I

俳優のペク・ソンヒョンが、作品の中に入り込むために、全羅南道(チョルラナムド)木浦(モクポ)に滞在したと明かした。

彼は最近、ソウル鍾路(チョンノ)区の某所で、映画「1980」のインタビューを行った。

最近韓国で公開された映画「1980」は、“ソウルの春”が来なかったため一家に襲いかかる物語を描いた作品だ。1980年5月17日、中華料理店を開業したチョルスの家族と隣人の物語で、12・12軍事反乱を防ぐことが出来たらなかったであろう怒りを収めた作品だ。ペク・ソンヒョンは劇中でチョルスの叔父役で熱演を披露した。

「1980」は、2021年にクランクアップし、3年越しに公開された。彼は「監督が本当に苦労していました。そばでフォローしながら応援しました。監督とは映画『雲を抜けた月のように』(2010)を一緒に撮影した縁があります。僕が『ボイス4』というドラマを撮影していた時、監督が事務所に呼んでくれて、『叔父役は、君を念頭において書いた』と言ってくれてとても感動しました。登場シーンの量に関係なく、僕が参加して役に立つことができるなら、最善の努力を尽くすと言いました。実は公開するまで時間がかかって大変だったんです。昨年11~12月までは『もう(公開は)無理なのではないか』と思っていましたが、公開されたこと自体にとても感謝しています」と、カン・スンヨン監督への感謝の気持ちを表した。

カン・スンヨン監督が叔父役にペク・ソンヒョンを起用した理由は何だろうか。彼は「映画の中で叔父役には象徴的な意味があります。撮影中に感じた僕の印象や、1人の人間として関係を結びながら感じた部分を通じて、僕が叔父役をやるべきだと思ったそうです。結果として主演にはなりましたが、最初は特別出演でした」とし、「僕にとっては不思議な撮影でした。コロナという厳しい環境の中で撮影をしながら、ストーリーにも変更がありました。犠牲者、被害者を代弁して、苦しみを表現しないといけない役だったので、とても重要な役になりました。不思議ながらも良い感触でした」と感想を語った。

ペク・ソンヒョンは、木浦でのオールロケーション撮影だったため、実際に撮影期間中は木浦に滞在した。彼は「『ボイス4』の撮影が終わってすぐに木浦に向かいました。低予算の映画に出演することが多かったので、俳優が時間を割いて自分のすべてを注ぎ込んでこそ、映画の完成度が高くなると思っていました。なので当時、所属事務所にも『1人で(木浦に)行っている』と伝えておきました。一緒に行くと事が大きくなると思ったからです。1人で宿に泊まって現場を行ったり来たりしながら撮影に挑みました。この映画がとにかくうまくいってほしいという一心でした」と、知られざる努力を明かした。

劇中で叔父は、兄の居場所を追及する軍人たちから酷い拷問を受け、最愛の妻を失って号泣する。感情表現のシーンで体力的に疲れなかったかという質問に、「長い間休んだ後に撮影に挑むと、キャリアに関係なく体が固まってしまいます。体力的には大変でしたが、幸いにも『ボイス4』で体を完全にほぐしている状態で撮影に挑んだので、演技への集中力が鈍っていませんでした。映画を見ると、明るくて面白い叔父の姿と、感情の面で苦労している叔父の姿が、ちょうど半分に分かれています。美術面の準備でしばらく空白期間がありましたが、木浦の住民の皆さんにたくさん協力してもらいました」と振り返った。

実話を元にした内容であるため、たくさんの準備過程があったはずだ。ペク・ソンヒョンは「ドキュメンタリーや僕が調べられる範囲での映像資料をたくさん観ました。『嘘があってはいけない』というのが目標でした。感情表現のシーンが多かったので、ほとんど撮影が1回で終わりました。何度も撮影すると、どんどん計算するようになってしまいます。でも正真正銘の感情を見せたいと思い、常にキャラクターに入り込んで気持ちを理解できるように努力しました。キム・ギュリさんが『傷ついたら自分に代わって泣いてくれる人がいれば幸せ』と言っていましたが、僕もそう思います。被害者、犠牲者の方々に、『自分のために一緒に泣いてくれる人がいると思ってほしい』という真心が伝わったら嬉しいです」と伝えた。

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