2年前までバスガイド、ラストチャンスでアイドル→「運動できない」のにプロレスラーデビュー 人生激変・鈴木志乃の物語

試合前のリングで歌を披露する鈴木志乃【写真:東京女子プロレス提供】

プロレスのことは知らなかったが「そんなことは言っていられない」

アイドルを目指していた少女は、短大を卒業しバスガイドになった。そのバスガイドの仕事は楽しかったが、コロナ禍により仕事がなくなってしまう。「私の本当にしたいことは何だろう……」そう考えた彼女は、アイドルの道を再び模索することにした。しかし、その道に「プロレス」がくっついてきた。この2年で、急激に人生が動き出した東京女子プロレス・鈴木志乃の物語。(取材・文=橋場了吾)

2022年3月に開催が発表された『アップアップガールズ(プロレス)』オーディション。そのオーディションを見た鈴木志乃は、プロレスを全く見たことがなかったのに応募した。

「プロレスの存在は知っていましたけど、試合は全然見たことはなかったですね。アジャコングさんのことはいろいろな番組で拝見していましたけど、どのようなものかは何も知らない状態でした。アイドルはずっと好きだったので、アップアップガールズ(プロレス)というグループは知っていたんですが、ほかのアイドルより露出の多い服装(プロレスのコスチュームのこと)をしているなあというイメージで(笑)」

その鈴木は、つい2年前まで現役のバスガイドだった。

「学生時代からずっとアイドルをやりたかったんですが、オーディションは落ちてしまうし、(出身地の)静岡にはアイドルを目指している友達も少なくて……周囲からは凄くでしゃばりな子と思われていましたね(笑)。なので、あまり自分の夢を周りに言うこともなく、アイドルになるのは難しいなと思っていたんです。その中で「車内のアイドルを目指そう!」と思ってバスガイドになりました」

バスガイド時代に、鈴木はいろいろな体験をした。

「車内でご案内していると、お客さんは注目してくれるんです。楽しいですし、うれしい経験でもあったのですが、だんだんと物足りなさを感じていた自分もいました。”車内のアイドル”ながら、自分の表現したことへのお客さんの反応の気持ちよさを知ってしまって……。そんな中、コロナ禍で仕事がなくなり、出向という形でチケットを売る職場に行ったことがあるんですが、そこでバスガイドの仕事でいっぱいいっぱいになっていた自分を振り返る機会があったんです。そのときに、自分が本当にやりたいものがアイドルだということに気づきました。どこかでアイドルへの未練が残っていたんでしょうね。それで、そのタイミングでみたアップアップガールズ(プロレス)のオーディションを受けることにしました」

当時の鈴木は23歳。アイドルに応募するのは、最後のチャンスだと感じていた。

「プロレスのことはよくわからなかったんですが、とにかく受けてみようと。実はコロナ禍前の21歳のときに、アイドルになれるチャンスがあったんですが、急に怖くなって逃げてしまって(辞退して)、そのことがずっと引っかかっていて……。募集を見たときから、アップアップガールズ(プロレス)の試合を見始めて、(プロレスを)できる・できないはともかく(笑)、やってやろうと。ただ私、体育は全然ダメで(笑)。しかも会社員という後ろ盾がなくなる恐怖もあったんですが、これまでオーディションで落ちたり辞退したりした後悔を思い出して、そんなこと言っていられないと思い応募しました」

豊かな表情も魅力の鈴木【写真:橋場了吾】

自分の人生でこんなに名前を呼んでもらえる日が来るなんて

実は鈴木が運動を苦手としていることは、オーディション会場でも話題になっていた。

「ジムに行って、道場に行って、レコーディングをして、というアップアップガールズ(プロレス)ならではのオーディションだったんですが、道場にいた(中島)翔子さんが『凄い子、来たね』と。前転だけで道場のほとんどの時間を使ってしまったのは、私が初めてだったみたいで……なぜ私が受かったのかはいまだに謎なんです(笑)」

同年8月に練習生「シノ」としてお披露目され、その2週間後にはアイドルとして横浜アリーナで初めてのステージに立った。

「私はそのときには『アッパーキック!』を歌ったんですが、お客さんが皆で踊ってくれて、びっくりしてしまって。私たちを見て、楽しい気持ちになってくれているのが伝わってきて、私、凄い世界に来てしまったなと思いました」

そして翌23年3月6日、東京女子プロレス新宿FACE大会でデビュー。カードは渡辺未詩&乃蒼ヒカリvsらく&鈴木志乃。アップアップガールズ(プロレス)の先輩に囲まれたタッグマッチだった。

「本当に恵まれたデビュー戦だったなって思います。ただ新宿FACEはお客さんが近いので、横浜アリーナよりも緊張しました……。実はデビュー戦の日、試合前に撮影があったんですが、食事ものどが通らず顔面蒼白で。その日撮影した写真は、全部苦笑いになっていたような気がします。試合は緊張でほとんど覚えていないんですが、自分の人生で名前をこんなにお客さんに呼んでもらえる日が来るなんて、思ってもみませんでした」

無事、アイドルとしてもプロレスラーとしてもデビューした鈴木志乃。しかしここから、苦しい1年が続くことになる。

(26日掲載の後編へ続く)橋場了吾

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