古里の風景復活 地元行事再開、つないだ野馬追の伝統

大熊町騎馬会の出陣式に臨んだ小野田さん(右)。奥は行事を見学する地元の子どもたち=24日、大熊町役場

 相馬野馬追の舞台である相双地方は、2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で大きな被害を受けた。被災を乗り越えて勇壮な伝統行事を継続していく騎馬武者の姿は、本県復興の象徴としても位置付けられてきた。今年は双葉町騎馬会による騎馬武者行列が14年ぶりに復活するため、野馬追が繰り広げられる5市町全てで、休止していた関連行事が再開する節目となった。

 野馬追には宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉(しねは)郷の五つの「郷」の騎馬武者が参加する。しかし、原発事故で避難指示が出た地区では、騎馬武者が避難先から駆け付けて祭事に加わってきた。小高郷に相当する南相馬市小高区で、神旗争奪戦に参加した武者が地元に凱旋(がいせん)して戦果を報告する「帰り馬行列」が再開したのは、避難指示が解除された後の17年だった。標葉郷の浪江町では18年、大熊町では22年に復活した。

 地元での行事ができなかった状況を騎馬武者はどのように受け止めていたか。大熊町の行列再開の議論を進めた町騎馬会長の小野田淳さん(49)は「大熊から出陣し、大熊に凱旋する。震災前まで当たり前だったことを何としても復活させたかった」と振り返る。物心ついた頃から生活と共にあった地元の野馬追行事は「古里」を強く感じさせる役割を果たし続けていたのだ。

 野馬追の歴史に詳しい南相馬市博物館主任学芸員の二上文彦さん(51)は「それぞれの地元での行事には独特の温かみがあり、住民にとってはそれが野馬追そのものだろう」と、雲雀ケ原祭場地で行われる文化財としての野馬追とは違った魅力があると指摘する。地元での行事の復活は「地区の原風景のパズルがまた一つ埋まっていく過程といえるのではないか」と語る。

 「地元で復活した行事を見た子どもたちが『自分もやってみたいな』と、将来の野馬追を担ってくれるかもしれない。伝承の意味でも大きな意義がある」とも訴える。酷暑を避けた5月の空の下、それぞれの古里で幅広い年代の住民が野馬追に親しむ。「新しい時代の野馬追が、始まったのかもしれませんね」。二上さんは野馬追の将来を見据えた。

          ◇

 この連載は佐藤健太、丹治隆宏、渡辺晃平、菅野篤司が担当しました。

© 福島民友新聞株式会社