引退・堀江翔太に悔いなし「生まれ変わってもラグビーしません」 痛恨トライ取り消しで準V「最後の最後に運がついてこなかった」

リーグワンプレーオフ決勝、涙でグラウンドを後にする堀江翔太【写真:矢口亨】

リーグワンプレーオフ決勝

ラグビー・リーグワンプレーオフ決勝が26日、東京・国立競技場で行われ、レギュラーシーズン1位の埼玉パナソニックワイルドナイツ(埼玉)は同2位・東芝ブレイブルーパス東京(BL東京)に20-24で敗れた。2季ぶり7度目の優勝はならず。今季限りで現役引退する元日本代表HOの38歳・堀江翔太、32歳のSH内田啓介は途中出場したが、有終の美を飾れなかった。BL東京は14季ぶり6度目の優勝となった。

最後の雄姿に味方も、敵も熱い声援を送った。昨季決勝の4万1794人を上回るリーグ史上最多の5万6486人が集結。試合前のメンバー紹介で堀江の名前を呼ばれると、一番の歓声が上がった。スクラムで優位を取れなかった埼玉だが、6-10の後半に堀江が登場。大歓声を背に最前線に立った。

6-17の苦しい展開だったが、堀江は敵陣残り5メートルの攻防から自らボールをもらい、相手防御に何度も突っ込んだ。すると同23、28分にそれぞれトライとゴール(G)で20-17と逆転。同34分にトライとGを許し、20-24とされたが、試合は終わらない。

同39分、敵陣で連続攻撃を仕掛け、長田智希がトライ。25-24と土壇場で逆転したかに思われたが、直前に堀江のスローフォワード(ボールを前に投げる反則)があり、TMO(ビデオ判定)の末に痛恨のトライ取り消しになった。試合はそのまま逆転できずに終了。BL東京が激闘を制した。

堀江は場内インタビューに対応。「本当にこの世界で15年間、本当に幸せな15年でした。最高のラグビー人生でした。東芝は非常にフィジカルがあってスキルもある。最後までどうなるかわからない試合。最後の最後に運がついてこなかった」と振り返った。

全勝で首位を独走しながら最後の最後で敗戦。「リーグ戦からずっと勝ってきて唯一の負けがこの最後。最後に負けたらプレーオフは意味がない。でも、勝ち続けたのは誇り。出ているメンバー、出ていないメンバー、胸を張っていいと思う」と称えた。

世界で勝てなかった日本代表が戦えるチームに。代表への思いには「ここから嫌なプレッシャーに耐えなくていいのでホッとしている(笑)」と会場の笑いを誘い、「これからの後輩たちには申し訳ないけど、死ぬほど嫌なプレッシャーを抱えていた。代表は相手が格上ばかりでなんとか勝たないとあかん試合で成長できた。ずっと支えてくれた関係者、家族にありがとうと言いたいです」と感謝した。

さらに「今まで本当にありがとうございました。本当に悔いのないラグビー人生。生まれ変わってもラグビーしません(笑)。それくらい悔いなくやれた。皆さん、引き続き日本ラグビーの応援をお願いします」と語ると、万雷の拍手が送られた。

堀江は小学5年でラグビーを始め、大阪・島本高、帝京大でプレー。2009年に初キャップを獲得した日本代表では、11年からワールドカップ(W杯)に4大会連続出場した。スクラムの最前線で体を張り、相手が恐れる強さや高い技術、存在感からついた異名は「ラスボス」。トレードマークのドレッドヘアー、懐の深い人格でチームにも、ファンにも愛される存在だった。

昨季、埼玉は決勝で東京ベイに敗れたが、今季はリーグ最多得点&最少失点を誇り、16戦全勝で首位を独走した。3季連続で決勝に進出。BL東京とは3月9日に対戦し、36-24で勝利していた。BL東京は前身のトップリーグを含め、14季ぶり6度目の優勝を目指したシーズン。主将のリーチは自身のキャリア初となる日本一が懸かり、日本代表でW杯4大会をともに戦った堀江にぶつかる覚悟だった。

堀江は埼玉のロビー・ディーンズHCが指揮を執るバーバリアンズとして、6月22日のフィジー戦(英トゥイッケナム)にも招集予定。現役最終戦の見込みとなっている。

■堀江翔太(ほりえ・しょうた)

1986年1月21日、大阪府生まれ。大阪・島本高から帝京大に進学。08年に三洋電機(現埼玉)入り。13年からスーパーラグビーのレベルズ、16年からサンウルブズでもプレー。09年に初キャップを獲得した日本代表では11年からW杯4大会出場。15年イングランド大会では南アフリカ戦に先発し、“ブライトンの奇跡”と呼ばれた歴史的勝利に貢献。19年日本大会は全5試合に出場し、史上初のベスト8進出を支えた。昨年フランス大会はチーム最年長で4試合中3試合に先発。歴代6位の代表通算76キャップ。力強いスクラム、高い技術や存在感から異名は「ラスボス」

THE ANSWER編集部

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