パリ五輪ボクシング男子71kg級代表・岡澤セオン選手 第二の故郷に金メダルで”恩返し”を【メダルへの道】

2024年7月26日に開会式が行われるパリオリンピックのメダル候補を紹介する「メダルへの道」。今回は、2度目の出場で金メダルを狙う、ボクシング男子71kg級代表の岡澤セオン選手(28)を取材しました。期待を受けて臨んだ東京五輪でメダルを逃した悔しさ、それでも応援し続けてくれる第二の故郷への“恩返し”を誓う、岡澤選手の思いに迫ります。

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一度は引退を決断…それでもボクシングを続けさせてくれた第二の故郷への思い

ガーナ人の父と日本人の母のもと山形県で生まれた岡澤選手。

高校に入りボクシングを始めると、フットワークを武器に日本トップレベルの選手へと成長します。

しかし、大学で日本一になることができなかったため、卒業後は競技から引退することを決断。そんな岡澤選手でしたが、大学の後輩に紹介された鹿児島県体育協会の関係者に、「国体が行われる鹿児島に来ないか」と誘われボクシングを続ける道を選びました。

岡澤選手:
僕にボクシングをやってほしいと言ってくれる人がいるならやろうと思えたので、鹿児島に行くことを決めました。

その後、鹿児島県鹿屋市に拠点を移し、トレーニングを積むと、わずか1年で全日本選手権を優勝。
さらにアジア・オセアニア予選で5位に入り東京五輪への出場を勝ち取りました。

岡澤選手:
チャンピオンじゃない僕をチャンピオンにしてくれて、オリンピックにも出させてくれて、本当に第二の故郷だなって感じがします。

そんな“第二の故郷”鹿屋市の大きな期待を背負って臨んだ東京五輪。
結果はメダルにはほど遠い、まさかの2回戦敗退となってしまいます。

岡澤選手:
自分では絶対メダルは取れると思って臨んだ大会だったので、正直ショックは大きかったですね。」

自信を持って挑んだ大会だったために、結果を出せなかった自分のふがいなさに落ち込んだ岡澤選手でしたが、鹿屋の人たちの応援で再起すると、東京五輪の3カ月後に行われた世界選手権で、日本人初制覇の快挙を達成します。

岡澤選手:
(東京五輪で)一回裏切ってしまって、それでも応援してくれているということに感謝しかない。

今度こそ期待に応えるべく、積極的な海外遠征で腕を磨き、2023年のアジア大会では当時の世界王者を破り優勝。見事2大会連続のオリンピック出場を決めます。

応援してくれる鹿屋市の人たちへの“恩返し”

久々に鹿屋市に戻った岡澤選手が向かったのはジムの近くにあるラーメン店。普段は減量などでラーメンを食べることは少ないという岡澤選手ですが、鹿屋に帰るとこの店に来るということです。

久しぶりに来た岡澤選手をお店の人が優しく迎えます。

岡澤選手:
帰ってきたなって感じがしますね。

店には2019年に岡澤選手がサインした色紙が飾ってありました。

岡澤選手:
あそこの日付を見て、本当に東京オリンピックに出る前から応援してもらっていたんだなっていうのを感じます。

岡澤選手は「これぐらいしかできないですけど…」と謙遜しつつも、オリンピック出場を決めた選手しか持つことができないというベルトをお店の人に見せます。その重さに驚く店員さんたちでしたが、「ありがとう持ってきてくれて」と喜んでいる様子でした。

店員:
鹿屋市民全員で応援させていただきます。

岡澤選手:
ありがとうございます。頑張ります。

そして、再びサインを求められた岡澤選手が色紙に書き込んだのは、「絶対に金メダル!!」という文字。応援してくれる第二の故郷への“恩返し”が岡澤選手の『メダルへの道』です。最後にパリ五輪への意気込みを聞きました。

岡澤選手:
本当にいろんな人に恩返しをする時間にするためにもパリ五輪は絶対に金を取ります。

(2024年5月24日「めざましテレビ」放送より)

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