『夜のクラゲは泳げない』は“推し”を持つ全ての人に刺さる 現代の推し活の“裏と表”

ここ数年で一気に世間に浸透した推しという概念。『【推しの子】』や『推しが武道館にいってくれたら死ぬ』などの推しを掲げた作品のヒットも記憶に新しい。推し活は、人生を豊かにしてくれる楽しみであり、実生活での疲れを癒してくれるもの。そんな現代の推し活の“裏と表”がつめこまれているアニメが『夜のクラゲは泳げない』だ。

本作で推し活の印象を色濃く残すのは、やはりアイドル時代の花音を推していた少女、高梨・キム・アヌーク・めい。ちなみに生涯単推しを決めた同性の推しアイドルがいる筆者は、めいの心情に痛いほど共感して、毎話これでもかと泣いている。憧れの“ののたん”になるために美容院でいつも通りの髪型にするか聞かれためいが、「いえ今日は、私の好きなものになりたいです」と答え、花音と同じ髪型になるシーンは、自分にも覚えがあった。友達でも家族でも恋人でもない。でも確かにそこにいる、大好きな推しの存在を描いた第2話「めいの推しごと」は紛れもなく神回だった。

花音から「いつか有名になって、私の曲を書いてね!」と書かれたチェキは、めいにとって宝物であり、夢であり、希望だったのだろう。ファンの人数だけ、アイドルとの物語がある。そのひとつひとつのストーリーが、凝縮されたものがチェキなのである。めいの行動はわかる、わかる……の大渋滞で、その後につづくストーリーも毎話胸がいっぱいになってしまう。

ただし、本作が素晴らしいのは、そうした推し活の温かな描写だけでなく、闇の部分も丁寧に書いている所だ。「推しは推せるうちに推せ」という言葉があるように、いつ推しがいなくなるかはわからない。グループの解散を告げる「大切なお知らせ」やメンバーの規則違反、さらには推しが運営と揉めることだってあるだろう。そうした結果、推しが自分が追っていた何者かではなくなることはざらにある。

覆面シンガーが花音だと特定しためいは、会うなり「解釈違い」だと今の花音を否定するような言葉をぶつける。けれど、それはアイドル時代の“ののたん”への愛ゆえの苦悩の裏返しなのだ。キラキラと輝く推しという存在はいつか絶対に終わりが来る。しかもいついなくなるかわからない、儚いものなのである。

推し活というのは、実際のところ、こちらのメンタルも試される。好きだからこそネットの情報が気になってしまったり、もっと言えば大好きな推しが売れないことだってある。そこが描かれているのが自称銀河系最強アイドルの卵、みー子こと馬場静江と娘の亜璃恵瑠のエピソードだ。

小さい頃は引っ込み思案で友達もできなかった亜璃恵瑠。そんな彼女の心の中に忍び寄る孤独の影に、ひとすじの光をもたらしてくれたのが母親のみー子だった。静江の溢れんばかりの愛情とアイドルならではのキュートな明るさが、亜璃恵瑠の心を少しずつ照らしていった。

しかし、30歳を超えてもアイドルであり続ける静江に「お母さんは変だ」というクラスメイトたちの冷ややかな視線と悪意のある言葉が、亜璃恵瑠に容赦無く突き刺さる。そんな彼女の心を支えたのが、「誰かを好きな気持ちが間違いなわけがないです!」というめいの言葉。世間の目がどうであろうと、自分の好きな気持ちに素直でいい。自分の絵に自信をなくしたまひる(ヨル)に、花音が「私がヨルの絵のこと大好きなんだって!」と伝えるシーンにも、そんなメッセージが込められている。大切なのは、自分がその人の何かを好きだと思えたこと。それだけでいいのだ。

一方で、本作でもう一つ描かれているのが「推される側の事情」だろう。人気VTuberとして活動するまひるの幼なじみ・キウイがひきこもりであるように、推される側もまた、人知れぬ悩みを抱えているのだ。

リアルの人間関係に悩むキウイにとって、インターネットは心を晴らす大切な場所だった。対照的に、リアルでは充実した日々を送るまひるだが、ネットの心無い言葉に傷つくこともある。現実とネット。その2つの場所を上手く行き来することは、実は容易なことではないのかもしれない。花音に至っては、リアルな世界での母親との確執さえもがアイドル活動に影を落としている。一見キラキラと輝くステージの裏側では、推される側もまた、様々な葛藤を抱えているのだ。

推す側と推される側、両者の心の機微を丁寧に描き出している『夜のクラゲは泳げない』。彼女たちの物語は、私たちに問いかける。他の誰の声でもない自分の気持ちを、大切にできているのか。自分の“好き”に正直に生きることができているだろうか、と。
(文=すなくじら)

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