紙ならでは

 こういうのは自分から言わないところに価値があるのだ、と知りつつ、実は…と打ち明け話を一つ。山梨県のオーバーツーリズムを書いた22日付の本欄、テーマに合わせて黒い三角の段落マークを「富士山」の形に並べてみた▲余分なことを考えつくのではなかったとすぐに後悔した。意外に大変なのだ。言い回しをあちこち変えて文字を足したり削ったり…と悪戦苦闘の末に何とか完成。居合わせた記者に「見て見て」と声をかけたら▲持つべきものは素直な後輩である。仕事を中断させたことを迷惑がるでもなく「おおっ」と笑顔で驚いてくれた上に「紙ならではですね♪」-この反応には静かに感動▲なるほど考えてみれば、妙な思いつきを形にできたのはこの新聞が「紙の印刷物」であればこそだ。ネットではこの欄も横書き。1行の字詰めも違うから苦労も台無し▲ニュースの速報性ではテレビやネットに勝てない。新聞の印刷には大量の紙やインクが必要で、輸送や戸別配達には車やバイクを何台も使う。新聞社はこの先、持続可能性が極めて危うい…同じ話を前も書いた▲でも、生き残ろうと願うのなら、他には無理でも紙ならばできることを探さなければならない。どんなことが-と自問自答を続けたい。それが黒い三角の配置かどうかは別として。

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