Kis-My-Ft2 宮田俊哉 作家デビュー作『境界のメロディ』評:音楽の楽しさと今を目一杯に生きる大切さ

Kis-My-Ft2のメンバー、宮田俊哉が5月24日発売の『境界のメロディ』(メディアワークス文庫)でライトノベル作家としてデビューした。ミュージシャン出身の小説家には芥川賞を受賞した辻仁成や町田康がいるし、宮田と同じアイドル出身でも、NEWSの加藤シゲアキが直木賞に2度ノミネートされ、吉川英治文学新人賞を受賞する活躍ぶりを見せている。それでもライトノベルの分野で小説を出すのは珍しい。アイドルとしてのファンと読者層の世代が重なるライトノベルで、宮田は何を伝えたかったのか?

高校生だった時に知り合ったカイとユニットを組んで音楽を始め、メジャーデビュー寸前までいったキョウスケだったが、突然の事故でカイが死に、デビューの話は流れキョウスケ自身も音楽活動から離れてしまった。そして巡ってきたカイの3年目の命日。法要に出てからカイとよく行っていた中華料理屋に寄って、いつも食べていた具なしのかに玉を1人で味わってからマンションに戻ると、部屋の中から誰かの笑い声が聞こえてきた。

いったい誰だ。そう思って入った部屋で「よう!」と挨拶してきた男こそが、3年前に死んだはずのカイだった。自分がもう死んでいることは知っていて、なぜ戻ってきたのかと聞くと、「忘れ物、取りにきた」と答えた。その忘れ物が何かをカイ自身もよく分かっていなかったようだったが、キョウスケの部屋の引き出しから、事故が起こった日に2人である人に贈ろうとしていたプレゼントを見つけたカイは、「忘れ物が何かわかったよ……」とつぶやき、キョウスケに向かってライブをやろうと言い出した。

死んでしまった人が、生前にやり残していたことがあったり、伝えられなかった思いがあったりした時、亡霊となって現れたり、少しの時間だけ蘇ったりして思いを果たすストーリーが過去に幾つも作られている。死者に代わって無念を晴らそうと動くキャラクターが出てくるストーリーもある。『境界のメロディ』の設定にはそうした作品群に重なるところがあって、願いがかなって感動が浮かぶ小説なんだろうといった想像が浮かぶ。

そうした一面は確かにある。渡し損ねていたプレゼントを改めて渡したり、事故に遭った日に予定していながら出来なかったライブを行ったりして、カイは自分の心残りをひとつひとつ埋めていく。突然自分の人生が断たれてしまうような事態に陥った時、どんな思いを残しているのかを考えてみたくなる展開に触れることで、読者は無念を抱かずに済むように、生きている今のうちにやりたいことを全力でやり切ろうと決心する。

小説と違って現実では、人は死んでしまったら絶対に生き返れない。やり残してしまったことをやり直すこともできない。生きているからこそできるのだ。生きてさえいれば何だってできるのだ。そんなメッセージがストーリーから伝わってくる。

実際、カイがもういない世界で今も生き続けている人々が、カイを失ったことで止めてしまった自分の時間を、もう一度進み始める姿を描いているところが『境界もメロディ』にはある。キョウスケの部屋に残されていたプレゼントは、2人が通っていた中華料理屋の娘で、2人の音楽のファンだったユイに贈ろうとしていたものだった。カイがいなくなった世界でユイは辛い気持ちを引きずっていた。カイに促されるようにして復活したキョウスケの音楽を聴いたことで、ユイは悲しみを振り切って改めて歩き始めようと決意する。

残された人たちの背中を押して回るカイの活動はその後も続く。キョウスケとカイが初めて路上ライブを行った時、いろいろと教えてくれたサムライアーというバンドがあった。いっしょにメジャーデビューすることが決まりながら、カイが死んでデビューできなかったキョウスケたちとは違って、サムライアーはメジャーデビューを飾り、大きな会場でライブを開ける人気バンドとなっていった。

そんなサムライアーにも、カイを失ったことで止まってしまっていた時間があった。カイはキョウスケと一緒にサムライアーを見に行って、バンドが抱えている悩みに気づいてどうにかしてあげたいと考える。ここで示されるのが、広く支持されるために自分たちの音楽性を曲げるべきか、それとも自分たちが本当にやりたい音楽にこだわり続けるべきかといった、プロとして音楽活動に携わる人たちが直面する問題だ。結果として示される答えは、迷えるクリエイターにとって大きな指針となる。

アイドルグループとして活動し、ほかにも俳優や声優といった多方面で活躍している宮田も、ファンの支持に応えたいという思いと、自分がやりたいことをやり抜きたいという思いの板挟みになったことがあるのだろうか。グループの中で方向性や考え方が分かれるようなことがあった時、同じように悩んでケンカして仲直りしたのだろうか。20年に及ぶ芸能活動における彼のスタンスについても考えてみたくなる。

カイと親しかった人たちが、彼を失って心に開いた穴を埋めていった先で、パートナーだったキョウスケ自身の「忘れ物」も見つかって、一応の大団円を迎えることになるが、それで終わりとはしたくない気持ちを、宮田は持っている様子。あとがきではサムライアーのその後を描くスピンオフを書いてみたいと言っている。『境界のメロディ』の特集が組まれた『ダ·ヴィンチ』2024年6月号に掲載されたインタビューでは、アニメ化への思いを訴えている。どのようなキャストやキャラクターデザインや監督で映像化されるのかを想像してみたくなる。

カミツキレイニーの『魔女と猟犬』(ガガが文庫)や、九岡望『プラントピア』(電撃文庫)といったライトノベルの表紙を手がけ、ゲームやバーチャルYouTuberのキャラクターデザインでも活躍するLAMを迎えたイラストに描かれたカイやキョウスケ、そしてサムライアーのメンバーは誰もがカッコ良く、動いているところを見たくなる。そこに、同時発売されたドラマCD付き特装版でキョウスケを演じた声優の伊東健人,カイを演じたSnow Manの佐久間大介による声が付けば完璧だ。

宮田自身も声優として活動しており、6月14日公開のアニメ映画『ブルー きみは大丈夫』で主人公のブルーを演じて美声を聞かせてくれている。自分の小説のアニメ化なら絶対に出たいだろう。ドラマCDではナレーションを務めているが、演じるとしたらどの役が良いかも考えてみたくなる。

そうしたメディアミックスの可能性も想像すると楽しいが、小説家としてデビューした以上は創作活動を続けてくれるかに期待したくなる。カイとキョウスケがであった音楽室や路上ライブの現場といった場所の風景が思い浮かぶ文章と、人なつっこくて強引なところもあるカイをはじめとしたキャラクターの性格が滲むようなセリフ回しの巧みさ、そして、読む人を感動させるストーリーを構想する力があれば、小説家として続けていけるだろう。そこには、エンターテインメントの世界で長く活動を続けてきた経験も織り込まれれば、どれだけの面白い世界が生まれるか。期待が膨らむ。

一足早く著作『トラペジウム』がアニメ映画になった乃木坂46一期生の高山一実は、アイドルになって活躍した中で経験したことを小説に盛り込み、決して華やかなだけではないアイドルの世界、芸能界の世界で生きていくために大切なことを描いてみせた。高山より長いキャリアと幅広い仕事の経験を持つ宮田なら、もっとシリアスなストーリーを紡げるのだろうか。それとも大好きだという『灼眼のシャナ』や『ゼロの使い魔』といったライトノベルのような、エキサイティングでファンタスティックなストーリーを創造してくれるのだろうか。

楽しみだ。

(文=タニグチリウイチ)

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