『美しき仕事 4Kレストア版』クレール・ドゥニ監督 風景と肉体を一つに捉える【Director’s Interview Vol.405】

2022年度に発表されたSight & Sound誌「史上最高の映画」に堂々の7位にランクインした『美しき仕事』。孤高の映画作家クレール・ドゥニが、ドニ・ラヴァンを主演に迎え、目が眩むほどに青いアフリカの海岸を背景に、外人部隊とそれを率いる指揮官の訓練の日々を描く。日本では劇場未公開だったため、長らく映画ファンが待ち望んでいた幻の名作が、遂に4Kリマスター版にて公開。本作を携えてフランス映画祭に来日したクレール・ドゥニ監督に、話を伺った。

『美しき仕事』あらすじ

仏・マルセイユの自宅で回想録を執筆しているガルー(ドニ・ラヴァン)。かつて外国人部隊所属の上級曹⻑だった彼は、アフリカのジブチに駐留していた。暑く乾いた土地で過ごすなか、いつしかガルーは上官であるフォレスティエに憧れともつかぬ思いを抱いていく。そこへ新兵のサンタンが部隊へやってくる。サンタンはその社交的な性格でたちまち人気者となり、ガルーは彼に対して嫉妬と羨望の入り混じった感情を募らせ、やがて彼を破滅させたいと願うように。ある時、部隊内のトラブルの原因を作ったサンタンに、遠方から一人で歩いて帰隊するように命じたガルーだったが、サンタンが途中で行方不明となる。ガルーはその責任を負わされ、本国へ送還されたうえで軍法会議にかけられてしまう...。

風景と肉体を一つに捉える


Q:キスやセックスなどの直接的な描写がないにもかかわらず、外人部隊の日常から官能性を感じさせられるのが不思議でした。

ドゥニ:私にとっては難しいことではありません。人の顔や肉体を観察するときに、そこにどんな美しいものがあるのかを見つめる。それを映画でやっているだけです。今回はゴツゴツした岩や強い光の中に、肉体を映し出しました。一見、風景と肉体は相容れないもののようにみえますが、それを一つにして撮影することで、さらに官能性が生まれてきたのだと思います。

Q:そのアフリカの風景がとても美しく撮られていますが、子供時代のアフリカ滞在時の記憶や思いなども反映されているのでしょうか。

ドゥニ:ジブチという場所は硫黄と塩と火山という三つの要素がある独特な所で、スタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』(68)を撮影した際に、「この場所こそ地球の原点だ」と言ったそうです。私がアフリカに滞在していたのは幼少期でしたが、ジブチが持つ激しさや熱さ、厳しさは、小さいながらもすごく感じていました。

『美しき仕事 4Kレストア版』© LA SEPT ARTE – TANAIS COM – SM FILMS – 1998

Q:撮影のアニエス・ゴダールの捉えるアフリカはその熱気まで伝わってきます。当時はどのような話をして撮影に臨まれたのでしょうか。

ドゥニ:とにかくこれは予算が無い作品でした。ちょうどデジタル撮影が始まった頃だったので、デジタルで撮影しようという話になったのですが、ロケハンに行ったところ暑すぎてデジタルカメラでは撮れないことが分かった。それで結局フィルムで撮ることになりました。当初は予算的にARRIFLEX SR3という16mmフィルムカメラで撮る話もあったのですが、私は広い画角で人物も風景も撮りたかったので、結局35mmフィルムカメラで撮ることになりました。

元々はテレビ局からの企画だったので、その時点でもう予算が少なくて…。撮影期間もアフリカで4週間、マルセイユで1日という短いものでした。フィルムも本当に少ししか使えませんでしたね。当時は予算の問題が本当に大変でした(笑)。

映画作りとは物語を一緒に感じること


Q:体の側面を紐で結ぶ手術着のようなものなど、兵士が着る軍服の中には初めて見るようなデザインがありました。全て実際にある軍服で撮影されたのでしょうか?

ドゥニ:あれは全て本物の軍服です。汗をかいたときにベタつかないように、袖なしのベストみたいにして、側面を開いて風通しが良くなるようにデザインされたものです。実際に使われているものですね。

兵士たちがシャツにアイロンがけをするシーンがありますが、あれも実際に自分たちで1着1着、丁寧にアイロンがけしてもらいました。兵士たちはきちんと折り目がついたシャツでないと外出できません。彼らにはその訓練もしてもらいました。

『美しき仕事 4Kレストア版』© LA SEPT ARTE – TANAIS COM – SM FILMS – 1998

Q:そういった兵士たちの日常が粛々と描かれますが、撮影当時はどのように演出されたのでしょうか。

ドゥニ:役者たちと映画作りを一緒にやること自体が演出でした。映画作りとは物語を一緒に感じることだと最初に伝えたんです。そして脚本をよく読んでもらいました。その後、実際に外人部隊の兵士だった方を交えて、役者に軍隊のトレーニングを2ヶ月間やってもらいました。予算が少なかったので場所はパリの体育館でしたね。たった15人でしたが、一つの部隊がそこには出来ていました。

Q:兵士たちの中でもドニ・ラヴァンは佇まいからダンスシーンまで、その存在感が際立っていました。

ドゥニ:実は私にとって強い存在だった人は、ドニではなく彼の上官役にあたるミシェル・シュポールでした。ゴダールの『小さな兵隊』(63)に出ていた役者さんですね。とても力強く演じてくれて、彼が上にいてくれたからこそ成立した部分もありました。ミシェル・シュポールは映画にとって一つの光のような存在で、皆撮影中は彼のことを「司令官!」と呼んでいましたよ。

大好きな大島渚監督作品


Q:過去の作品が4Kリマスターで蘇り、観客の前に再びその姿を表すことは、生みの親としてどんな思いがありますか。

ドゥニ:私の中では私と共にずっとあった作品なので、特別な思いなどはなかったのですが、ただ2年前にミシェル・シュポールが亡くなったこともあり、彼に対する思いというものがこの映画と共にある気がしました。彼が亡くなったときに『美しき仕事』の一部が死んでしまったような、そんな気持ちになりました。

撮影した当時と今とでは、一言で言えば「戦争」が大きな違いとしてあると思います。イラクやアフガニスタンでも戦争があり、今はイスラエルやパレスチナ、イエメンそして紅海の方でも戦争が起きている。私が撮影した当時はそういうことは一切ありませんでした。24年という時間は映画にとってどんな意味があるのでしょうね。

『美しき仕事 4Kレストア版』© LA SEPT ARTE – TANAIS COM – SM FILMS – 1998

Q:作品はとても美しく、どこか『戦場のメリークリスマス』(83)を思い出しました。意識されたところはありますか。

ドゥニ:大島渚監督の作品は大好きです。デヴィッド・ボウイを最も上手に撮ったのは、『戦場のメリークリスマス』の大島監督だったのでないでしょうか。あの作品も、軍隊の中に何か得体の知れないものがある物語でしたが、男だけの世界に何か秘密があるという部分では、確かに『美しき仕事』に通じるものがあったかもしれません。大島監督は欲望の暴力というものを描いた人だと思いますね。それが男と男であっても、男と女であってもね。

監督:クレール・ドゥニ

1946年4月21日、パリ生まれ。植民地行政官の娘としてカメルーンやソマリア、ジブチなどアフリカ諸国で少女時代を過ごす。フランスに帰国後、教師の影響から映画に目覚め、とりわけ日本映画に傾倒した。仏の映画学校IDHECで学んだ後、ロベール・アンリコ、ジャック・リヴェット、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュらの助監督を務める。ヴェンダースらの勧めによって映画監督の道に進むことを決意、短編映画からキャリアをスタートさせ、1988年にヴェンダースのプロデュースで自身のカメルーンで過ごした少女時代を題材にした『ショコラ』で監督デビュー、カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選ばれるなど大きな注目を集めた。その後、『ネネットとボニ』(96)でロカルノ国際映画祭金豹賞、『Stars at Noon(原題)』(22)でカンヌ国際映画祭グランプリ、『愛と激しさをもって』(22)でベルリン国際映画祭最優秀監督賞(銀熊賞)を受賞するなど世界的に知られる映画監督となる。『美しき仕事』(99)は、ロッテルダム国際映画祭KNF賞など多数の賞を受賞し、『ムーンライト』(16)で知られるバリー・ジェンキンス監督も影響を受けた作品として挙げるなど、海外の映画ファンの間でカルト的人気を誇る作品である。その他の代表作に『パリ、18区、夜。』(94)、近年の作品に『ハイ・ライフ』(18)などがある。

取材・文: 香田史生

CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。

撮影:青木一成

『美しき仕事 4Kレストア版』

5月31日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次ロードショー

配給:Gucchi’s Free School 協力:JAIHO

© LA SEPT ARTE – TANAIS COM – SM FILMS – 1998

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