パレスチナでの教育について     イスラム圏の教育事情 その3

林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・米英のジャーナリズムでは、ユダヤ系の記者や編集者の占める比率が高い。

・もちろん書き手としての立場は人それぞれで、イスラエルに批判的な人も少なくない。

・古来戦争とは、外交や宣伝によって相手方を孤立させるという手段も重視されてきた。

若い読者は意外に思われるかも知れないが、私がまだ小中学生だった1970年代の『少年ジャンプ』には活字のコラムも載っていた。

中でも印象深かったのは、教育評論家と称して当時マスメディアへの露出も非常に多かった人が書いたものである、概略紹介すると、パレスチナの小学校では算数の授業で、

「イスラエル兵が20人攻めてきました。(味方が反撃して)8人殺して5人捕虜にしました。逃げたのは何人でしょう」

などという問題が出される、というのである。20-8-5という算数の問題を、このように学ばせることで、イスラエルに対する敵愾心を植え付けているのだ、と。

数字の詳細まではちょっと記憶に自信が持てないが、論旨は今でも鮮明に覚えている。それほど衝撃的な内容だった。

本連載でも幾度か紹介させていただいているが、私の母親は教師であったので、やはり会話の詳細までは記憶していないのだが、前述のコラムの内容をかいつまんで話し、そんなことがあり得るのだろうか、と訊ねたところ、言下に、

「満更ありえない話でもなさそうだわね」

と言われたことだけは、結構はっきり覚えている。

私の親の世代は、戦前・戦時下の軍国教育にどっぷりつかっていたので、その記憶から、前述のような答えになったのかも知れない。もちろんこれは、成長してから思い至ったことであるが。

中東における民族紛争の歴史は古いが、近代においては1948年のイスラエル建国に対して、これを認めなかったアラブ諸国との間で世に言う中東戦争が起き、勝ち残ったイスラエルが領土を拡大した。

パレスチナの地はイスラエルによる実効支配下におかれ、抵抗と弾圧の繰り返しは今も続いている。

こうした歴史の知識や、紛争の背景にある宗教問題などは、だいぶ後になってから学んだのだが、1968年のミュンヘン五輪に際し、当時はアラブ・ゲリラと呼ばれていたイスラム過激派のテロ集団によって襲撃され、多くの死傷者を出した事件があって、日本の小学生でさえ、それなりの関心は持っていたのである。

ただ、成人して以降の私は、ジャーナリズムの世界で決して短くはない経験を積んできた。

あまりにもツボにはまったコメントや記事に関しては、まずは疑ってみる、というのが習い性となっている。

つまり今の私が、くだんのコラムを読み返したならば、そこに「捏造の臭い」を嗅ぎ取ったに違いないのだ。

そもそもこの教育評論家という人は、実際にパレスチナを訪れて授業参観したわけでもなんでもない。

今このような話がネットニュースで流れたり、ブログなどに書かれたら、たちまち

「ソースを示せ!」

というツッコミが殺到するのではあるまいか。

本職のジャーナリストではないので、少し割り引いて評価しなければならない面はあると思うが、伝聞だけでは「見てきたような嘘を言い」ということにもなりかねない。

そういうお前自身はどうなのだ、と言われそうだが、たしかに私自身もパレスチナを訪問したことはない。したがって、くだんのコラムに関して、以下に述べることは中東問題に長年深く関わってきた専門家の意見を借りた伝聞であることを明記しておく。

その専門家に言わせると、

「そういう(コラムに書かれた算数の問題のような)授業をする教師がただの一人もいない、と断じる根拠もありませんが、十中八九、捏造だと思います」

ということになる。

そもそもパレスチナを舞台とした紛争は半世紀以上の長きにわたっているわけで、今や親類縁者が誰一人紛争の犠牲となっていないパレスチナ人は、ごく少数にとどまる。実際に中東各国でパレスチナからやってきた人たちと交流し、自宅に招かれたときなど、玄関脇に何枚も遺影が飾られていたそうだ。

とどのつまり、多くのパレスチナの若者にとって、イスラエル(軍)に対する憎悪は、まさしく血肉となっているので、学校でおかしな教え方をする必要など、どこにあるのか、という話なのである。

しかしそれならば……と、新たな疑問を抱かれた読者もおられようか。

くだんのコラムの内容が捏造だとすると、一体どこの誰が、いかなる目的でそのような情報を流したのか。

くだんの書き手は、残念ながら数年前に他界されているので、今となっては質問することもかなわないのだが、私なりに色々読んでみた限りで、どうやら米国のマスメディアが発信源ではないだろうか、と推測するに至った。

まず、米英のジャーナリズムにおいて、ユダヤ系の記者や編集者が占める比率が高いことは、前々からよく知られている。

もちろん書き手としての立場は人それぞれで、たとえば今次のガザ地区における紛争に関しても、イスラエルの行動に対して批判的な人も少なくない。

しかし、1970年代初頭の段階では、前述したミュンヘン五輪における、パレスチナ武闘組織「黒い9月」によるテロ事件によって、イスラエル政府および米国イスラエル・ロビーの、PLO(パレスチナ解放機構)憎しの感情は頂点に達した感があった。このPLOの中でも最大派閥であった、有名なアラファト議長率いるファタハが、直接的な反イスラエル軍事行動を担わせるべく、組織した集団が「黒い9月」である。

1960年代、PLOはヨルダンに拠点を置いていたのだが、その過激な活動を持て余した当時のフセイン国王が、武力をもって彼らを追放したが、その事件が「黒い9月」と呼ばれ、テロ組織がその名を冠したものと聞く。

実際問題として、イスラエル当局はミュンヘンでの事件を受け、PLOの幹部複数を暗殺すべく、専門の「ヒットチーム」まで組織した。この経緯と彼らの活動は、ノンフィクション、フィクションとりまぜた、複数の書籍の題材となっている。

そして、ここが肝心なところだが、古来戦争とは、直接的な軍事力だけではなく、外交や宣伝によって、相手方を孤立させる、という手段も重視されてきた。

パレスチナの小学校における「反イスラエル教育」の話もまた、そのような、つまり今風に言えばネガティブ・キャンペーンの一環で、教育評論家と称された人が乗せられてしまった、という可能性は捨てきれないと、今の私には思える。

次回は、イスラム圏における宗教教育の実情について見てみることにする。

【取材協力】

若林啓史(わかばやし・ひろふみ)。早稲田大学地域・地域間研究機構招聘研究員。京都大学博士(地域研究)。

1963年北九州市生まれ。1986年東京大学法学部卒業・外務省入省。

アラビア語を研修し、本省及び中東各国の日本大使館で勤務。2016年~2021年、東北大学教授・同客員教授。2023年より現職。

著書に『中東近現代史』(知泉書館2021)、『イスラーム世界研究マニュアル』(名古屋大学出版会)など。『世界民族問題辞典』(平凡社)『岩波イスラーム辞典』(岩波書店)の項目も執筆。

  • 朝日カルチャーセンター新宿教室(オンライン配信もあり)で7~12月、博士の講座があります。講座名『紛争が紛争を生む中東』全6回。5/17より受付中。詳細および料金等は、同センターまでお問い合わせください。

トップ写真)2014 年 8 月 26 日に終結したイスラエルとハマス間の 50 日間の戦争の後、傷んだ教室で新学期を迎えるパレスチナの学生たち。2014 年 9 月 14 日、パレスチナ・ガザ地区

出典)NurPhoto/Corbis via Getty Images

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