お客の話を聞いてあげるのも、ドライバーの仕事のうち【タクシードライバー哀愁の日々】

お客様との会話も大事(写真はイメージ)

【タクシードライバー哀愁の日々】#20

ある日のこと。高齢の女性が手を上げているのを見つけてクルマを止めた。いつもの街を流していたのだが、なかなかお客に巡り合えず「どうしたものか。場所を変えるか」と考えていたときだっただけに「ラッキー」と思わず頬がゆるんだ。

「運転手さん、聞いてよ」

その女性、クルマに乗り込むや否や、元気な声で私に話しかけてきた。勤めている会社の規定では、行き先の確認以外では原則として会話は慎むことになっているが、それはドライバーから話しかける場合のみで、お客から話しかけられたときは別だ。私は「どうなさいましたか」と応じた。すると「待っていました」とばかりに彼女が話しはじめた。

「うちの宿六がね、どうしようもないのよ」

この“宿六”という言葉、若い世代には馴染みのない言葉だろう。“宿”とは“家”とか“夫”という意味で“六”は“ろくでなし”のこと。つまり、妻がダメな夫を蔑んで指す言葉だ。お客はとにかく元気で、明るい女性。昼下がり、長く空車でクルマを走らせた私だったが、ちょうどいくらか眠気が襲ってきそうなときだったので、眠気覚ましにはうってつけのお客だった。

彼女いわく「定年退職してからは、どこへ出かけるでも、なにをするでもなく、一日中、家の中。しかも朝からテレビの前にでんと座ってちっとも動こうとしない。ずっと一緒のあたしゃ、朝昼晩とご飯を食べさせている」のだとか。開口一番“宿六”なのだから、聞いてほしいのは亭主への怒りということはすぐに察しがついたが、大酒のみとかギャンブル依存とか浮気といった修羅場の話ではない。家事をなんにもしない亭主への愚痴だった。

だが、その“宿六”はサラリーマンを勤め上げて退職金ももらい、それなりに蓄えもあるうえ、月々の年金もちゃんともらっているらしい。ただ、なんにもせずに家にいることが彼女のストレスになっているようだ。家業の倒産で50歳にして妻と別れざるを得なかった私としては「いやいや、立派なご主人」と反論したい気もしたが、立場上、出過ぎた言葉は慎まなければならない。彼女にしてみれば、見ず知らずでなんの利害関係もないタクシードライバーの私に、ただ話を聞いてもらいたいだけなのだ。

始終夫と一緒の妻の耐えがたい日々……。要は、世の熟年夫婦の間によくある「亭主元気で留守がいい」のワンシーンなのだ。「奥さんとしては大変ですよね」とか「男はどうしようもないですからね」などと、とりあえず差しさわりのない返答を私は心がけた。お客の話を聞いてあげるのもタクシードライバーの仕事。目的地が近づいてきたころ、私は我が身を照らし合わせながら、意を決して自分の正直な思いを打ち明けてみた。

「ご主人、本当に幸せだと思います。3食食べさせてもらえる。私は訳あってこの年で独り者、コンビニ弁当や立ち食いそばばかりです。内心では、ご主人も奥さんには感謝しているんですよ。なによりご主人は、奥さんや家族のために勤め上げられた。それだけでたいしたもんじゃないですか」

すると彼女は、わずかに笑みを浮かべてこう言った。

「まさか運転手さんから主人のことを褒めてもらえるなんて……。その通りかもね。ちょっと主人を見直すことにするわ。いいお話聞かせてくれてありがとう。少しだけどお釣りはけっこうです」

そう言い残してクルマを降りていった。少しクルマを走らせてから、私は湘南で暮らす別れた妻を思った。「元気で暮らしているかな」と……。

(内田正治/タクシードライバー)

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