サラブレッドの三大始祖

サラブレッドの三大始祖をご存知でしょうか?
世界中にいるすべてのサラブレッドの父系の血統を遡っていくと、わずか3頭の馬に辿りつきます。この3頭をサラブレッドの三大始祖といいます。
三大始祖の馬名は、ダーレー・アラビアン、ゴドルフィン・アラビアン(またはゴドルフィン・バルブともいう)、バイアリー・タークです。

今回は、サラブレッドの三大始祖についてまとめました。

バイアリー・ターク(Byerley Turk)

写真はイメージです

バイアリー・タークは、三大始祖のうち一番早く誕生しました。
1679年頃オスマン・トルコ帝国で生まれ、イギリスに渡り軍馬として活躍したそうです。その後種牡馬入りし、1705年に亡くなったと言われていますが、その生涯については諸説あります。

イギリス軍がオスマン・トルコ帝国軍との戦いの際に、敗走するトルコ軍よりバイアリータークを奪取し、イギリスに持ち帰りました。捕獲時の推定年齢は8歳とのことです。

バイアリー・タークの名前の由来ですが、イギリス軍のバイアリー大尉(のちに大佐)が軍馬として騎乗していた馬であることから、この名前が付きました。タークとは、「トルコの馬」という意味です。
軍馬として活躍しつつ、競走馬としてもレースに出走していた時期もありましたが、バイアリー大佐が軍を退役したことでバイアリー・タークも軍馬を引退し、種牡馬となったそうです。

種牡馬としてのバイアリー・タークは繁殖牝馬に恵まれず、産駒に活躍馬はいませんでした。

そのバイアリー・タークの名を世界に知らしめたのは、5代目産駒のヘロドです。バイアリー・タークは、ヘロドを介して後世に影響を与えました。特に、現在のサラブレッドの毛色に鹿毛や黒鹿毛が多いのは、バイアリー・タークの血統を引き継いでいるからなのだそうです。

日本では、バイアリー・タークの血統を引き継ぐパーソロンが種牡馬として輸入され、その子のシンボリルドルフやメジロアサマ、さらにはトウカイテイオーやメジロマックイーンへとその血統が引き継がれました。

ダーレー・アラビアン(Darley Arabian)

ダーレー・アラビアンは1679年頃、オスマン=トルコのアレッポ(現在のシリア北西部の都市)で誕生したと言われています。

アレッポに駐在していたイギリス領事トーマス・ダーレーが、自身の父親への贈り物として遊牧民からダーレー・アラビアンを買い取り、1704年にイギリス本国へ送ったそうです。

ダーレー・アラビアンについて、トーマス・ダーレーは「整った容姿と非常に優雅な身のこなしは、私をすぐに夢中にさせました」と周囲の人に語っており、彼の弟リチャード・ダーレーにも、その容姿の素晴らしさを褒める手紙を送っていたほどです。
ダーレー家の所有となった後は、当初の名前「マンニカ」から「ダーレー・アラビアン(ダーレー家が所有するアラブ馬)」と名前が変わりました。

イギリスでは主に乗馬として用いられていましたが、種牡馬としても共用されていました。産駒は少ないものの、5代目に現れたエクリプスを介して、後のサラブレッド界に大きな影響を与えました。

ダーレー・アラビアンは、レオナルド・チルダース大佐が所有していたベティリーデズと交配し、バトレットチルダースが誕生しました。さらにバトレットチルダースの直系曾孫からエクリプスが誕生しました。

エクリプスは、通算成績18戦18勝の無敗の名馬として、18世紀最強の馬と称されています。直径の子孫たちは19世紀に活躍し、その結果、現在いるサラブレッドの90%以上がエクリプスの直系子孫となっています。

ゴドルフィン・アラビアン(Godolphin Arabian)

写真はイメージです

ゴドルフィン・アラビアンは、サブレッド三大始祖のうち一番最後に誕生しましたが、資料が少なくその生涯は謎に包まれています。

ゴドルフィン・アラビアンは1724年頃、フランスの植民地であったチュニス(現在のチュニジア)に生まれ、その後フランス国王ルイ15世への献上品としてフランスに送られました。
ルイ15世は、長旅で瘦せこけた上に気性の激しかったゴドルフィン・アラビアンを気に入らなかったため、イギリス人のエドワード・コークが買い取ってイギリスへと渡ることになりました。

イギリスへ渡ったゴドルフィン・アラビアンは、イエ・アラビアン(「イエメン出身のアラブ馬」という意味)という名前で、当初は乗馬や当て馬として共用されていました。

ゴドルフィン・アラビアンの名前が有名になったのは、別の種牡馬との種付けを嫌がった繁殖牝馬に種付けをおこない、ラスとケードが生まれたことによります。
ラスは、フライングチルダース以来の名馬としてその名を馳せました。またケードは、その後マッチェム系と呼ばれる父系を確立しました。
この頃にはエドワード・コークは他界し、ゴドルフィン・アラビアンはゴドルフィン伯爵フランシス卿に買い取られて現在の名前で呼ばれるようになりました。
ゴドルフィン・アラビアンとは、「ゴドルフィン伯爵が所有するアラブ馬」という意味ですが、一節にはこの馬がバルブで生まれた馬であるとのことから、ゴドルフィン・バルブとも呼ばれています。

ゴドルフィン・アラビアンの血統は、現在トロッターとしてフランスで活躍しています。

また謎に包まれたその生涯は、1948年に米国の女流作家マーゲライト・ヘンリー女史によって
「King of the Wind(名馬風の王)」という著書名で出版されています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回はサブレッド三大始祖についてまとめました。

三大始祖が生存していた時代には、「サラブレッド」の概念は確立していませんでした。後に「サラブレッド」という品種が確立され、馬の父系先祖を辿った時に、個体の記録が公式に残っているものとして行きつく最古の馬たちが上記の馬たちです。

サラブレッドは馬の品種の中では比較的新しい品種ですが、日本でも競走馬として活躍した後は乗馬として様々なクラブで活躍しています。
皆さんの愛馬がどの馬の子孫なのか、調べてみるのも面白いのではないでしょうか?

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