「憎い地震…」突然の廃業 それでも前へ 約100年の老舗鮮魚店 歴史と思いつなぐ「食器」【新潟】

思い出が詰まった元助の食器

新潟市西区にある老舗鮮魚店が能登半島地震の影響で廃業に追い込まれ、約100年の歴史に幕を閉じました。突然の出来事からまもなく5カ月。現実を受け止め、少しずつ前を向く4代目夫婦を取材しました。

■小竹寿子さん
「もう無惨にガチャガチャね、なんか寂しいですね。お~…。終わるってこんなもんなんだ。こんな感じで、なんか一瞬なんですね。」

能登半島地震から1カ月以上が過ぎたころ、建物の取り壊しが始まりました。思い出が詰まった食器類も次々と処分されていきます。
■小竹寿子さん
「やっとコロナが落ち着いてきて、じゃあまた来年も頑張ろうねなんて言ってた矢先のことで。」

創業1916年、「鮮魚仕出し元助」。
100年以上、地域に愛されてきましたが、地震の影響で外壁がはがれるなど大規模半壊の被害を受け、廃業を決断しました。
■小竹正さん・寿子さん
「そっちは全部刺身が並んで、あとはメガニとか、お正月の氷頭なます、手作り寒天もあった。」

4代目の小竹正さん(64)と妻の寿子さん(55)。現実を受け止める暇もないまま、片付け作業に追われていました。
■小竹寿子さん
「このおかもちの中に入れて運びました。これ全部なくなってもまだ足りないぐらいでね。みんなでね、頑張ってきたんですけどね。」

浜焼き用の炭も…仕出しに使っていた食器類も…すべて処分です。
■小竹寿子さん
「まさかこんな終わり方が来るとは思ってもみなくて。でも跡継ぎもいないし、終らせなきゃいけない時が来たんだなって。」
■小竹正さん
「あと何年続けられるかなとは思っていたんですけど、ちょっと早過ぎたかなって。」

年末は大盛況でした。毎年、元助のタコを求めて、遠方から足を運ぶお客さんも少なくありませんでした。
■小竹寿子さん
「年明けたらタコ入ってくると思うんだって、入り次第連絡させていただきますってお客さんと約束してたんですけど、それが叶わなくて。」

鮮魚店の命とも言える、冷蔵庫も処分します。

■小竹正さん
「冷蔵庫無くなると、本当に(お店)やめるんだなって感じですよね。」
■小竹寿子さん
「冷蔵庫越しにお客さんと会話するのがほんとに毎日楽しくて。」

本格的に建物の取り壊し作業に入る2月、寿子さんは、思いの詰まった食器が処分されていく様子を悲しそうに見つめていました。
■小竹寿子さん
「ね~とうとうね、始まっちゃった。現実ですよね。ほんとに終わっちゃうんだ…。なんか虚しいね。」

再開を望む声は多数届きましたが、跡継ぎもいない中、夫婦でイチからの再建は厳しいものがありました。
■小竹寿子さん
「ほんと、ほんとに憎い地震でしたよね。生活が、もう人生が、ほんと一変しちゃいましたもんね。」

建物はなくなり、さら地になりました。

2人が訪れたのは、4月オープンしたばかりの海鮮居酒屋。

■小竹正さん・寿子さん
「ごめんくださーい。お邪魔します。」

ここにあるのは、元助で使っていた食器。常連客からのつながりで、櫻澤進店長が開店に合わせ食器を受け継ぎました。
■櫻澤進店長
「合計すると多分ね、100枚以上もらってます。8割ぐらいはそうですね。基本的にはこのお皿全部使うようにしてます。」
■小竹寿子さん
「あ~懐かしいね~。これもう鮭。キングサーモン。仕出しでね、運んだね。なんかこう、嬉しいです。ほんと使っていただいて。」

店はなくなりましたが、苦楽をともにした食器との再会に思い出がよみがえります。
■小竹寿子さん
「このやっぱ皿には思いが強いから。」
■櫻澤進店長
「皿に思い出って残りますよね。そういう思いを引き継いでいるんで、大事にしていこうと思うんで。」

正さんは、このタイミングで引退を決めました。一方、妻の寿子さんは、3月から新潟市内のすし店で調理補助として働いています。
■小竹寿子さん
「今までほんとに、お父さんにおんぶに抱っこだったんで、今度は私がおんぶしてやろうって、はい私は思ってます。」

地震から間もなく5カ月、現実を受け止め、少しずつ前を向いています。
■小竹寿子さん
「やっぱ商売してたっていうのも、楽しかったし、ありがたかったし、働けるってすごく嬉しいことだなって(思った)。当たり前じゃないんだよねって。ほんとに、いろんなものを失ったけど、でも失うことばっかりでもなかったかなとか。また是非お邪魔して、なんかまたね、この皿たちとも再開したいというか、念を送りたいというか。思いをね、活躍してくれよって。」

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