「自分の人生をすごく楽しくしてくれたのが陸上」引退表明 パラ陸上のレジェンド山本篤さんに迫る

<山本篤さん>
「自分の中でうそをつきながら陸上を続けることも可能かもしれないが、でも、その状況で陸上をやっていても自分自身は楽しめない」

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5月27日、現役引退会見を行った、パラ陸上の第一人者・山本篤さんです。

<山本篤さん>
「1つのことに取り組んで没頭すると、こんなに可能性があったのだなというのを見つけることができた。義足になっても楽しむ方法はあるんだよというのを伝えたいと思う」

掛川から世界へと羽ばたいたレジェンドに引退の舞台裏を聞きます。

<滝澤悠希キャスター>
「26日をもって現役を引退された山本篤さんにスタジオにお越しいただきました。現役生活本当にお疲れさまでした。先週まで神戸で行われていた世界パラ陸上に出場してパリパラリンピックを目指されていたわけですが、突然の引退発表には驚きました。いつごろから考えていたのでしょうか」

<山本篤さん>
「一番最初に考えたのは、昨年あった世界選手権の時でした。腰を痛めてけがというのがあるので、これからどうしようって思ったんですけど。でも、もう1シーズン頑張ってみようと思って、今回万全の状態で世界選手権を迎えて、その次の日ですね。そのあたりに引退を決断しました」

<滝澤悠希キャスター>
「スタジオにはこれまでパラリンピックで獲得したメダルと競技用の義足、ブレードをお持ちいただきました。やっぱりこの金属部分はずっしり重たいんですね。どれくらいの重さがあるんですか」

<山本篤さん>
「だいたい3キロから3.5キロぐらいだと思うんですけど、人間の足は大体、僕が切断しているところは5キロぐらいあるので、それよりは軽くなってます。やっぱりモノなので、持つとちょっと重たく感じますよね」

<滝澤悠希キャスター>
「日常生活で使っているものと何が違うんでしょうか」

<山本篤さん>
「日常生活で使っているものは歩きやすく作っているので、安定性を求めていますけど、競技用のやつは安定性というよりも、やはり速く遠くに飛ぶということを求めているので、踵が付いてなかったりして、安定はしないんだけど、走ったり跳んだりするのに適しているっていう感じです」

<滝澤悠希キャスター>
「それぞれの特性があるということですが、大変貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました」

<井手春希キャスター>
「あらためて山本さんのプロフィールをご紹介します」

世界一美しいとも評される跳躍。掛川市出身・山本篤さん、高校生の時、事故で左足を失いますが、山本さんを突き動かしたのは可能性のある限り挑戦するという信念でした。

<山本篤さん>
「義足でできないと言われていることができて、色々なことに挑戦したいという気持ちはものすごい増えました」

大学で陸上部に入るとめきめきと成長。北京パラリンピック男子走り幅跳びで銀メダルを獲得し、日本パラ陸上界初の義足のメダリストとなりました。その後、スノーボードにも挑戦し、平昌パラリンピックに出場。二刀流アスリートとして日本のパラスポーツ界を引っ張ってきました。

<滝澤悠希キャスター>
「夏と冬の二刀流ということですけれども、パラリンピック合わせて5回出場されているわけが、どんな競技人生でしたか」

<山本篤さん>
「本当に自分の人生をすごく楽しくしてくれたのが、陸上なのかなっていうふうに思いますし、やはりパラリンピックで5回、その他にもいろんな海外遠征に陸上があるからこそ行けたというのはものすごく自分の中では楽しかったなっていう思い出です」

<滝澤悠希キャスター>
「陸上を始めて22年、パラスポーツを取り巻く環境は変わったでしょうか」

<山本篤さん>
「すごく変わりましたね。僕がスタートした時には、パラリンピックっていう認知度というのはもうほとんどなかったんですね。でも、今はやっぱり東京パラリンピックがあったことによって、ほとんどの人が知ってくれましたし、やっぱりいろんな企業だったりとか、応援してくれている人っていうのがすごく増えたなというのを感じます」

<滝澤悠希キャスター>
「山本さんですけれども、静岡国際陸上にも毎年出場しまして、エコパスタジアムで勇姿を見せ続けてくれました。地元掛川への思いはどんなものがありますか」

<山本篤さん>
「エコパは家から一番近い競技場で10分ぐらいで行ける競技場なんですね。そういう地元で毎年試合があるというのは、いろいろな人に見てもらう機会でもありましたし、いままでだと健常者の大きな大会に障害者が入ってやるというのがなかなかなかったんですけど、静岡国際が日本で初めてそういうことをやってくれて、本当に毎年出てすごく思い出深い大会ですね」

<滝澤悠希キャスター>
「地元の声援はパワーになっていましたか」

<山本篤さん>
「ものすごくパワーになりましたね」

<井手春希キャスター>
「長年、山本さんを取材してきたSBSには貴重映像が残っています。2008年、北京オリンピックパラリンピックを前に知事への表敬訪問の映像には、山本さんの他にサッカーの岡崎慎司さん、さらに卓球の水谷隼さんと、もうまさに静岡スポーツ界のレジェンド大集合で、もう豪華なメンバーですけれども、山本さんこの時のことを覚えていますか」

<山本篤さん>
「覚えてます。岡崎選手は、北京オリンピックを機に海外に出ていってどんどん活躍しましたし、水谷選手もその後金メダルを取って、すごいオリンピック選手です」

<滝澤悠希キャスター>
「山本さんはパラスポーツ界の第一人者としてこれまで活躍されてきました。今後はどんなことにチャレンジしていくのでしょうか」

<山本篤さん>
「今後は指導者として今も2人の選手を見てますけど、その選手が世界に、世界で活躍できる選手になるようにコーチングをしていきたいなと思ってますし、プレーヤーとしては今度はパラゴルフの方にチャレンジしたいなというふうに思っています」

<滝澤悠希キャスター>
「パラスポーツにとって静岡はどういうことが体制として作られていけばいいなというふうに今後考えますか」

<山本篤さん>
「やっぱりやれる環境ですね。というのがすごく大切で、この義足自体もすごく高いもので、なかなかいきなり買えって言われても買えないので、でもチャレンジができる場所っていうのがあると、どんどんどんどん広がっていくし、やれるんだって分かるともっともっとやってみたいという気持ちになれるので、そういう体験だったりとか、気軽にできる場所っていうのが必要なのかなと思いますね」

<井手春希キャスター>
「最後になりますが、ふるさと静岡のみなさんにメッセージをお願いします」

<山本篤さん>
「今まで応援ありがとうございました。パラ陸上選手としては引退しましたけど、これからの人生もずっとチャレンジしていきたいと思います。僕自身もチャレンジしますし、みなさんもたくさんチャレンジしていってほしいなと思います。これからも応援よろしくお願いします」

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