『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』相原裕美監督 音楽業界の経験がもたらすもの【Director’s Interview Vol.407】

1975年、イギリスBBC2の伝説的音楽番組「The Old Grey Whistle Test」に一組の日本人バンドが出演した。バンドの名前は「サディスティック・ミカ・バンド」。メンバーは、ボーカルのミカ、リードギターの高中正義、ベースの後藤次利、キーボードの今井裕、ドラムの高橋幸宏、そしてギターでリーダーの加藤和彦という、今では考えられないほど豪華なメンバー。YouTubeやSNSにあがっている映像を見ると、約50年前とは思えない洗練されたパフォーマンスに驚くばかり。皆の上手すぎる演奏にも惚れ惚れしてしまう。

そんなサディスティック・ミカ・バンドを率いた“トノバン”こと加藤和彦は、バンドリーダー、ソロアーティスト、作曲家、プロデューサー、アレンジャーと幾つもの顔を持ち、手掛けたアーティストや楽曲は数えきれない。そんな孤高の天才・加藤和彦の軌跡を追うドキュメンタリー映画が『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』だ。トノバンを知る多くの人々の証言から、加藤和彦という人物が炙り出される構成となっている。

本作の企画・構成・監督・プロデュースを手がけた相原裕美氏は、レコード会社のビクターエンタテインメント(以下:ビクター)で数々のミュージックビデオのプロデュースを手がけてきた、まさに音楽畑の出身。映画監督としては異色の経歴を持つ相原氏だが、いかにして監督となり本作を作ることになったのか。話を伺った。

きっかけは高橋幸宏の一言


Q:高橋幸宏さんの一言が本作製作のきっかけだったそうですね。

相原:『音響ハウス Melody-Go-Round』(20)の関係者試写の後で、幸宏さんが「トノバン(加藤さん)ってもうちょっと評価されてもいいんじゃないかな」とポツリと話されていて、それがずっと心に残っていたんです。2019年の11月くらいのことでした。その後、2020年の2〜3月ぐらいから加藤さんのことを調べ始めたのですが、改めてすごい人だなと。それで映画にしようと思ったのが5月くらい。そこからいろんな人に電話したり会ったりして取材を始めました。コロナの真っ只中でしたから、なかなか大変でしたね。

Q:相原さんは昔から幸宏さんと懇意にされているのかと勝手に思っていましたが、出会いは『音響ハウス Melody-Go-Round』と最近だったようですね。

相原:その前の『SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬』(18)で初めてお会いしました。もちろん一緒にご飯を食べるような間柄ではなく、あくまで仕事のつながりです。幸宏さん、細野さん、教授といったら、もうレジェンドですから。「ご飯食べに行きましょう」みたいなノリじゃないですよ(笑)。

『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』ⓒ2024「トノバン」製作委員会

Q:そもそもトノバンのことはどれくらいご存知だったのでしょうか。

相原:もちろん「帰って来たヨッパライ」やサディスティック・ミカ・バンド、通称「ヨーロッパ三部作」と言われているアルバムなどは知っていました。僕は音楽業界にいましたが、担当したのはサザンオールスターズをはじめ、バンドが多かったんです。そんなこともあって、加藤さんと仕事をする機会はこれまで無かった。加藤さんは、音楽だけでなくファッションや食事などのセンスも一流で、ちょっと雲の上のような存在でしたね。

Q:リサーチや取材はどのようなところから始めたのでしょうか。

相原:基本的には本やCDを調べました。「エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る」(SPACE SHOWER BOOKS) *などを読んで、どういう人たちが加藤さんと関わっていたのかを調べ、その人たちに連絡を取っていった形です。僕自身ずっと音楽業界にいるので、1人介すると大体目当ての人に繋がる。「ビクターにいました」って言うと、相手のハードルも下がりますしね。音楽業界を知らないスタッフだと、こうスムーズには行かなかったのではないでしょうか。

*)加筆、再構成され「あの素晴しい日々 加藤和彦、「加藤和彦」を語る」(百年舎)として、2024年5月に復刻。

音楽業界の経験がもたらすもの


Q:『音響ハウス Melody-Go-Round』でも多くのミュージシャンや音楽業界の方が出演されていて、相原さんのキャリアが活かされています。音楽をテーマにしたドキュメンタリーの監督は元々やりたかったことだったのでしょうか。

相原:実は『SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬』は、たまたま監督をすることになったんです。『SUKITA〜』は当初別の監督を立てていたのですが、その人が超売れっ子だったこともあり、スケジュールが合わなくなってしまった。ロンドンに行って撮影する必要もあるし、鋤田さんからも「どうするんですか?」と…。それまでの自分のキャリアはプロデューサーがメインでしたが、『SUKITA〜』はドキュメンタリーだし元々は自分が考えた企画、まぁ監督も出来ないことはないかなと。それで「じゃあ、僕が監督をやります」と始めたのが『SUKITA〜』でした。

『音響ハウス〜』は『SUKITA〜』のマスコミ試写の際に、昔からの知り合いの音響ハウスの社長から「PR映画を作りたい」という話からスタートしたもの。1本やって大体勝手もわかっていましたし、また監督をすることになりました。だから“流れ”で監督をやることになった部分は大きいですね。

今回はちょうど3作目ということもあり、音楽をやっている人、音楽家を扱いたいと思っていました。そう思っていた時に、ちょうど幸宏さんからトノバンの話があったんです。

『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』ⓒ2024「トノバン」製作委員会

Q:本作は多くの方のインタビューによって構成されています。この構成にした意図があれば教えてください。

相原:途中で泣き叫んだりするようなドキュメンタリーが嫌いでして(笑)。監督の演出が入りすぎているものはドキュメントではないなと。それだったら劇映画を作った方が良い。取材相手のキャラクターも含めて淡々と映し出すのがドキュメントだと思っているので、それで色んな人の証言を集めた構成にしました。今回はメインとなる人物が加藤さんですが、その人物を炙り出していくことこそがドキュメントなんだろうなと。

Q:証言されている豪華なメンバーはどうやって決まったのでしょうか。

相原:今年5月に復刻した「あの素晴しい日々 加藤和彦、「加藤和彦」を語る」というインタビュー本があるのですが、それに基づいている部分が大きいですね。ある意味、その本がこの映画の背骨のような感じになっています。

Q:錚々たるミュージシャンたちにとどまらず、プロデューサーのクリス・トーマスやレコード会社のディレクター、レコーディングエンジニアなど、裏方の話も面白いです。スタジオのスピーカーを全部取り替えた話や、レコーディングするテープを切ってつなげる話など、驚きもありました。

相原:テープには16チャンネルのトラックが入っているので、昔は普通切らなかったんです。1つじゃなくて16の音が全部入ってるやつを切っちゃうなんて、昔はありえなかった。74年当時はそうでしたが、80年代になったら普通に切るようになってましたね。実際に僕も切ってました。そういうレコーディングの中身みたいなところは、音楽業界を経験している自分だからこそ判る話かなと。それでその辺りのエピソードも入れてみたんです。

『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』ⓒ2024「トノバン」製作委員会

Q:映画の後半では豪華なトリビュートバンドも登場します。このバンドは相原さんの声がけで集まったのでしょうか。

相原:音楽プロデューサーの牧村憲一さんの力が大きいですね。牧村さんはすごいプロデューサーですよ。最初のキャリアは「中津川フォークジャンボリー」のスタッフから始まって、小室等さんの「六文銭」のマネージメント、シュガー・ベイブにも関わり、大瀧詠一さんの「サイダー73」のディレクターもやっていました。大貫妙子さんもずっと担当されていましたね。竹内まりやさんを見つけてデビューさせて、彼女の事務所の社長もやっていましたし、89年にはフリッパーズ・ギターを見つけてデビューさせている方です。もちろん加藤さんともお付き合いがあって通称「ヨーロッパ三部作」の「うたかたのオペラ」「ベル・エキセントリック」のアルバムのときにアシスタント・プロデューサーをやられてました。

牧村さんはロック、フォークの黎明期からお仕事をされていて、そのときの熱い気持ちみたいなものを何か形に残したいと、いろんな本を書かれたりトークイベントをやったりしていて、僕はそこで知り合いになったんです。今は色々と一緒に仕事をしていて、今回のトリュビュートバンドも「ディレクターは高野(寛)くんにしよう」と牧村さんが提案してくれました。

撮り下ろしからアーカイブまで、膨大な素材


Q:撮り下ろしだけではなくアーカイブ映像なども活用されています。幸宏さんのシーンはアーカイブだったのでしょうか。

相原:あれはNHKのアーカイブですね。幸宏さんは病状が進んでいたこともあり、タイミング的に取材することはかないませんでした。関係者にアーカイブの存在を教えてもらい成立したものです。

Q:坂本龍一さんは電話の声で出演されていますが、あれもアーカイブですか。

相原:そうですね。Rittor Musicから「バハマ・ベルリン・パリ~加藤和彦ヨーロッパ3部作」というムック本が今回復刻されたのですが、当時その本に載った坂本さんのコメントがあったんです。それの大元の電話取材音声です。当時の編集者が「もしかしたらまだ音声が残っているんじゃないか」と探してくれたものです。そうやって、加藤さんとお付き合いのあった方々の協力無しでは、今回は作れなかったと思いますね。

Q:吉田拓郎さんと松任谷正隆さんもラジオのアーカイブとして出演されています。

相原:拓郎さんにも出演依頼をしたのですが、すでに引退されていてテレビなどの出演も全て終わった後でした。「ちょっと映画の出演は(難しいか)なぁ」という話になったとき、ラジオで松任谷さんと拓郎さんがたまたまトノバンの話をしていたと教えてもらったんです。聞いてみたら、内容的にもバッチリだった。それでTokyo FMの知り合いに頼んで使わせてもらいました。

Q:トノバン本人が出ているインタビュー映像もありましたね。

相原:2〜3ヶ所で使用しました。本当はもっと入れたかったのですが、当時の加藤さんの素材が全然無いんです。70年代ぐらいのアーカイブってほとんどなくて、テレビ局では全部消されちゃっているみたいですね。

『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』ⓒ2024「トノバン」製作委員会

Q:インタビューはそれぞれどれくらいの時間をかけて撮ったのでしょうか。

相原:人によって違いますが、新田和長さん(当時のプロデューサー)が一番長かったかな。3時間ぐらい撮りましたね。そのうち5分の1も使ってないと思いますが(笑)。

Q:撮影素材はすごい分量になってそうですね。編集は大変だったのではないでしょうか。

相原:結構細かく削りましたが、それでも最初にできたバージョンは6時間半ありました(笑)。『SUKITA〜』も最初はそれぐらいありましたね。そこから削る作業は大変なんです。だって削りたくないから(笑)。でも僕は元々プロデューサーなので、それでは儲からないとキッチリ削りました(笑)。

編集の具体的な作業としては、まずインタビュー音声を全て文字起こしして、それを元に自分で文字編集を行い、そのデータを元に編集スタッフに繋いでもらいました。そこから削っていくわけですが、自分一人だけだとどうしても無理。編集スタッフの客観的な視点でドンドン削ってもらいました。「ここも削っちゃったの?」と思うこともありますが、そうでもしないと短く出来ませんね。

Q:文字で編集することも相当大変ですよね。

相原:いやぁ、大変ですよ。パソコン上だとA4一枚程度しか見れないので、出力してバーっと並べて構成しています。ジグソーパズルみたいになってますね(笑)。

加藤和彦の再評価プロジェクト


Q:相原さんのキャリアについても、ぜひ聞かせてください。レコード会社のビクターを退職されてから映像制作会社を立ち上げたそうですが、松居大悟監督と一緒に映画も作られていますよね。それは独立してからのタイミングだったのでしょうか。

相原:松居くんと一緒にやったのは、独立してからかな。ビクターからクリープハイプをデビューさせるにあたりミュージックビデオを作ることになったのですが、クリープハイプと松居くんは仲が良いらしいと。だったら尾崎世界観と松居くんでミュージックビデオを撮ろう、となった。松居くんはどちらかというと映画畑なので、それならミュージックビデオに前後をつけたショートムービー的なものをやろうと。そんな話からですね。

Q:その後、相原さんはプロデュース業務を行いつつも、こうして映画監督もやるようになりました。ご自身のキャリアで、自分が監督として映画を撮るようになることは想像されていましたか。

相原:想像してなかったですね。鋤田さんに「どうすんだよ?」って詰められなければやってなかったです(笑)。

『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』ⓒ2024「トノバン」製作委員会

Q:期せずして映画監督になられたわけですが、今回の『トノバン』も『SUKITA〜』や『音響ハウス〜』も、どれも「映画を撮りたい」というよりも「鋤田さんや音響ハウスや加藤和彦さんを世間に知らしめたい」というところから出発していますね。「監督になりたい」というよりも「表現したいもの」が先にあった感じなのでしょうか。

相原:確かにそうですね。映画を撮りたいというよりも、幸宏さんの「加藤さんの再評価が出来たら」という意を汲んで、その上で自分ができることは?というところから始まっています。それで映画を作りました。

この映画と同じタイミングで、加藤さんのCD作品集が出たり、本の復刻版が出たり、今後はトリビュートコンサートも控えています。加藤さんの再評価で皆さん盛り上がってきましたね。映画が引っ張った部分はあるかもしれませんが、映画単体を超えた一つのプロジェクトになっています。今回の出資会社は、何かしら加藤さんと関わりのあった会社ばかり。今回は、加藤さんの再評価に向けて何をやろうか?というところから始まった仕事なんです。

Q:監督だけではなくプロデューサーもやっていますが、出資を募ることも担当されたのでしょうか。

相原:そうですね。最初に取材とリサーチをして企画書を作り、それを持って出資者を集めてまわりました。全部で12社くらい集まったので、そこまで多いと小口でもいける。そこも良かったところですね。

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企画・構成・監督・プロデュース:相原裕美

1960年生まれ、神奈川県出身。コネクツ合同会社 代表、プロデューサー、映画監督。ビクタースタジオでレコーディングエンジニアを経験した後、1984年ビクター音楽産業(株)(現ビクターエンタテインメント)ビデオソフト制作室に異動、制作ディレクターとなる。オリジナルビデオ企画編成の傍ら、ミュージックビデオの黎明期と重なり、同社アーティストのミュージックビデオを演出・プロデュース共、数多く手掛ける。主なアーティストはサザンオールスターズ(メンバーのソロも含む)、ARB、Cocco、頭脳警察、フライングキッズ、永瀬正敏、斉藤和義など多数。その仕事の中で当時新人だった岩井俊二や下山天ら映画監督を見出した。2003年スペースシャワーミュージックアワードでプロデュースした「東京」桑田佳祐(演出:信藤三雄 脚本:リリー・フランキー)がVIDEO OF THE YEARを受賞。2004年同社映像制作部を設立し同部部長、お笑いレーベル『コンテンツリーグ』の設立や映画に参入。2009年同社退社後、2010年コネクツ合同会社を設立。

取材・文:香田史生

CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。

撮影:青木一成

『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』

5月31日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開

配給:NAKACHIKA PICTURES

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