故・川田亜子さんトラブル判明した「謎の最期」から16年…TBS安住紳一郎アナが“あの曲”を再び

亡き後輩を思い続ける安住アナ(C)日刊ゲンダイ

《たくさんの方からリクエストをいただいております》

26日放送のTBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」の番組後半で、MCの安住紳一郎アナ(50)がこう紹介し、流れたのがKOKIAの「ありがとう」(1999年)という楽曲だ。毎年この時期、安住アナが同番組でこの曲をかけるのが定番となっている。放送前日の5月25日が、安住アナの後輩でTBSアナウンサーだったフリーアナの川田亜子さん(享年29)の命日だからだ。08年5月25日に、川田さんが亡くなってから16年が経過した。

昨年5月21日の放送で、安住アナは「早いもので亡くなって15年。あっという間でした。私たちの後輩、川田亜子アナウンサーに届きますように。KOKIAの『ありがとう…』をお聴きください」とコメント。今年は川田さんについて特に言及することはなかったものの、安住アナは例年通り「ありがとう」を番組で流した。

《安住さん、今年もありがとう》《どんなに偉くなっても、川田アナのこと忘れずに曲をかけてくれるのが嬉しい》といった声がリスナーから聞かれた。

02年、TBSに入社した川田さんは美しいルックスと明るい性格で、主にバラエティー番組などで活躍。だが、以前から報道番組志向だったことから、07年3月にTBSを退社。フリー転身後、報道番組「サタデースクランブル」(テレビ朝日系)のキャスターを務めたが、およそ1年後、東京・港区の自宅近くの路上に停めていた自動車の中で自ら命を絶った。

「安住さんは自分の番組に出演してくれた一般人にも時折、LINEなどで近況をたずねるほど律儀な人だと言われています。川田さんへの思い入れは特に強く、あの日の出来事は何年経っても忘れられないのだと思います」(TBS関係者)

18年5月27日の放送で、安住アナは嗚咽を漏らしながら川田さんについて次のように語っている。

《川田亜子って女性アナウンサーが私の後輩におりまして。ちょうど一昨日で亡くなってから10年で。友人とか家族の別れとはまた違いまして。本当にもう少し何かできたんじゃないかなと、変わらずにずっと考えています》

念願のキャスター就任も不安定な精神状態を告白

局アナ時代に孤立していた川田さんを突き放したことがあったと告白した安住アナは、《どんな謝罪をもっても許されないことだと思ってて。俺が、この放送局のアナウンサーを続けている限りは、川田のことを考えてあげたいってずっと思ってるんです》と後輩への後悔を口にしている。

謎の死を遂げた川田さんについてはさまざまな憶測が流れた。

「TBS退社後に所属した事務所幹部のA氏との親密関係が噂された一方で、取材で知り合った米国人の平和活動家B氏との関係も取り沙汰されました。川田さんは亡くなる数日前に、ブログで母親への感謝や精神的に不安定な様子であることを告白していました。メモ書きの遺書には家族への感謝の気持ちが書かれてあっただけで、真相は謎のままです」(芸能ライター)

川田さんが亡くなった後、深い関係にあったとされる米国人のB氏が、A氏に対し損害賠償請求裁判を起こしている。

「所属事務所幹部のA氏とB氏は川田さんの紹介で知り合っている。核兵器解体事業に携わっていたB氏は『ロシアの核兵器解体現場を撮影させる』との約束で、A氏から1000万円を受け取ったものの、約束が果たされなかったことでトラブルに発展したと言います。B氏はうつ病だった川田さんがA氏からの電話にずっと怯えていたと主張し、『自殺の原因を明らかにする』とA氏に訴えを起こした。A氏もB氏に反訴するも、結局B氏の敗訴で終わりました。A氏は川田さんとの関係を否定していますが、こうしたトラブルの板挟みになったほか、キャスターに就けていたものの、仕事が激減していたことなどが背景にあったのではと言われています」(週刊誌記者)

安住アナは川田さんへの後悔、思いを変わらず持ち続けているという。

(本多圭/芸能ジャーナリスト)

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