小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=146

 出来あがった食物を運ぶには、去る日、ダニエルから渡された母の形見の弁当箱がある。四段重ねのもので、両側に一つずつ重ねるための案内がついていて、持ち運びに便利だ。それを手にすると、いま母は、どうしているのだろう、と脳裏をかすめるが、田守は直ぐにそれを打ち消した。
 田守は、つばの広い麦藁帽子を目深に被って、半ズボンに靴という恰好で弁当を片手に山小屋をでた。二人の作業場までは約一キロある。照る日は暑く、道を行くだけで汗びっしょりになった。いや、道などという代物ではない。深い草を押し分け、踏み拉いてイグル川の方向に進むだけだ。
 ジョンは上半身裸で鶴嘴を岩と樹木の間に打ち込んでいた。逞しい全身の筋肉が躍動し、働くことがさも楽しいといった動作である。時に、鶴嘴は石にあたり火花を散らす。久しく雨のない土地は乾いていて、大きな土くれが片方に山と盛り上がっている。
「予想はどうかい」
 近づいた田守は訊いた。
「カスカーリョ(砂利)層に入ったから、これからが勝負だ。そう簡単には見つからん」
 喋りながらも鶴嘴を振るう手は休めない。黒光りする上半身に汗が流れ、野獣の体臭が漂う。
「ジュアレースは?」
「川の中にいるよ。運んだ砂利を水篩にかけているんだ。ダイヤモンドを選別するのはあの手より他にない」
 眼を移すと、背中を赤銅色に焦がしたジュアレースが、中腰になって泥まみれの砂利を篩にかけている。辺りは泥で濁るが、四、五メートル下流ではもう浄化されて澄んだ水流となる。
 篩の中に残った砂利は手でかき混ぜながら丹念に選別する。時に角度のはっきりした黒炭のような石が混じっていた。
「田守よ、この石、何か解るかい」
 ジュアレースは黒い小粒の石をつまみ上げた。
「黒炭だろう」
「これがダイヤモンドのはじまりだ」
「冗談言うな。ダイヤモンドは白だろ」
「何億年か後に、白くなるんだそうだ」
 その時、
「オーイ、そこ退けよ。この大木が倒れるぞ」
 ジョンが叫んだ。見上げると、ジョンの掘っていた樹の根周りが急に弛んで傾きはじめ、ギギィと音を立てている。二人は素早く遠退いた。瞬間、轟音とともに川を橋渡しにして大木が倒れた。千切れた葉雨が二人の頭上に舞い散った。ジョンは両手を得意気に突き上げて野人そのものの叫び声をはり上げた。

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