59才 失くした物と得た物 【連載第4回】 1周忌に現れたダンナの化身?!トンビ。「再婚OK」を胸に「おひとりさま」を生きる!

翌日、疲れがどっと出てほぼ1週間、まともに眠っていなかったことで起きれない私を横目に、娘はテキパキと弟たちに指示を出し手続きを進めてくれた。いつの間にか、子供たちもこんなに頼りになったんだーと、3人の子供を与えてくれたダンナに感謝した。

1ヵ月程で職場復帰。仕事に追われる日々だったが、仕事を終え家に帰る車中では、気を抜くとすぐに泣けた。

春が来てもコロナ禍は変らず。寝たきりで入院中の母には面会できず。お年頃の息子2人は相次いで同棲を始めるべく出て行った。

以前から話は出ていたので、むしろ「大丈夫よ、1人でも」と背中を押したものの、仕事が終わって、まっ黒な部屋へ帰ると涙が出た。酔っぱらって上機嫌のダンナの「おっおかえり」の姿が目に浮かんではまた、泣いた。

夏、入院中の母は2度、危険な状態になったが、都度乗り越えてくれた。それでも入院して2年半が過ぎる頃、面会制限の中たった2人、父と私に見送られ静かに息を引きとった。

天国でダンナと会って、びっくりしてるだろうなーきっとおこられてるだろうなーと久々の再会を想像した。ダンナと母はコロナ禍のわずか1年の間に逝った。さすがの私も仕事を辞めた。定年まで5ヵ月、冬のボーナスまで2ヵ月。頑張れと周囲は言ってくれたが、すべての気力を失くした私には届かなかった。

退職した翌日は、ダンナの1周忌の命日だった。大泣きしながら墓の手入れをしていると、頭上高くトンビがピーヒョロローとうるさいくらいに飛んでいた。「うるせーなっ」とちょっとイラつき、言葉汚くつぶやきながらも特に気にも留めなかった。

ふと気がつくと、ほんの2mもはなれていない細い電柱にトンビが1羽、留って静かに私を見ているのに気づいた。もちろん間近でトンビを見たのは初めてで、そのデカさに驚きながらも花や線香を供え顔を上げるといつの間にかトンビはいなくなっていた。

どこに行った?と不思議に思った。そして気付いた! あのトンビは、ダンナだ!! きっとダンナがいつまでも泣くな、俺は大丈夫と言いに来てくれたんだと確信した。その日の夕焼けは青空の青と優しいピンク色のすばらしい物で思わず写真を撮った。きっとダンナからのおわびのプレゼントだろうと。

この1年、失った物が多く、それも大きすぎる物だった。コロナ禍であたりまえにできていたであろう事すらできない、つらい日々だった。なかなか前に進めない私に、友人の1人が言った。「自分もいつまで生きられるかわかんないんだよー。やりたい事はやっておかなきゃ!」と。

そうだ私は生きている!残された父のため、子供たちのため、孫のためetc……そして何よりも自分のために! 1度きりの人生、予定よりずいぶん早く、「おひとりさま」になったけれど、生きてるんだから!

そういえば最後に一言も残さなかったと思っていたダンナは、ずっと前に「俺が死んだら再婚してよかけんな」と言っていた事を思い出し、あの日何もきいてないとブンブンゆすったけれど「暗証番号」と「再婚OK」という大事なことはしっかり伝えてもらっていた様だ。

ブンブンゆすってゴメン。でも再婚はいいや。気楽な“おひとりさま”にも慣れてきたし、そう悪くもないから。

けど、せっかくおゆるしあるし、彼でも見つけようかな。食事したりドライブできるくらいの。ずっと1人はさみしいもんね。今、流行のマッチングアプリでもしてみるか? スマホもよく使いこなせない私には無理かー(笑)

無職で通帳の残高が減ろうとも、孫の笑顔には代えられないし、ボーっと時間を気にせずベランダの椅子に腰かけ本を読む時間も尊い。年がいもなく、Jポップが好きで、歌を聴きながらテンション上げて床掃除をする時間も尊い。

「人生山あり谷あり」引き算足し算を繰り返し、一喜一憂しながら前へ進んで行こう!!

人生楽しまなくっちゃ! ね!!

<追記>

2人見送って、マイナス2

長男にお嫁さんと娘が生まれプラス2

現在、プラスマイナス0。そして秋には娘に3人目の孫が産まれる。プラス1(笑)


※本記事は、幻冬舎ルネッサンス主催『第2回短編エッセイコンテスト』大賞受賞作品、有村 月氏の『59才 失くした物と得た物』より、一部抜粋・編集したものです。

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