『守護教師』に学ぶマ・ドンソクのような生き方 『君たちはどう生きるか』との共通点も

マ・ドンソクはもはや一つのジャンルと化している。そのことを裏付けるのが、2018年に日本で公開されたマ・ドンソク映画『守護教師』だ。Netflixで配信が開始されると映画ランキングのTOP10にランクインし続けている。

マ・ドンソクが女子高の体育教師に就任するという胸のときめくあらすじなのだが、その本質は田舎の闇・ミーツ・マ・ドンソク。つまり、田舎の闇を描いたサスペンスに純度100%のマ・ドンソクをブチ込んだジャンル横断的傑作なのだ。

本作は元ボクシング東洋チャンピオンであるマ・ドンソク演じるギチョルが八百長にキレてボクシング連盟の副会長をボコるところから始まる。結果ボクシング界を追放されたギチョルは姉の薦めで田舎の女子高へ転勤することになる。曲がったことが大っ嫌いなギチョルは転勤先でも行方不明者のポスターに書かれた落書きを消し、いじめられている子供がいたらすぐにかけつけるが、不器用な性質故なかなか上手くいかない。そんな中、失踪したクラスメイトを捜索するユジン(キム・セロン)と出会い、田舎の闇に切り込んでいくことになる……。

『守護教師』の舞台となる町はなにも不思議なところのない、ありふれた地方都市だ。ダムを隔てたところにある町はどこか閉塞感があり、通りの外れには忘れ去られたように廃墟が点在している。町の中心では知事選の立候補者が熱の籠った演説をしており、陰鬱な空気をより際立たせている。誰もが「この町にはなにも問題ない」という顔をして過ごしているが、一皮剥ければそこには底知れない闇が広がっている。

実際、一人の少女が失踪しているというのに警察も学校も取り合わない。彼らの言い分は「家出しただけだ」「問題を起こすな」の一点張りであり、誰もが面倒を抱えることを嫌っている。彼らの多くはコミュニティの狭さ故に闇に触れやすく、だからこそ黙認という態度が当たり前になっている。

この問題を報告すること自体を問題とみなすような態度は地方都市に限らず、権力が集約される場では普遍的に見られるものだ。まるで首長が「問題はない」と宣言し、自分たちが見て見ぬふりをすれば面倒ごとが綺麗さっぱり消えてなくなってしまうように。だがたいていの場合、問題は見て見ぬふりをすればするほど膨れ上がるものであり、そして時には見て見ぬふりができない者が現れる。そう、ギチョルのように。

ムキムキの肉体を白シャツにパツンパツンに詰め込んだ本作のマ・ドンソクはまさに純度100%のマ・ドンソク。凄まじい威力のパンチで悪党を昏倒させる一方で、UFOキャッチャーのぬいぐるみをゲットしてキャッキャする愛らしい一面を見せてくれる。そんなギチョル先生だが、一貫しているのは「曲がったことは決して見逃さない」という性質だ。

失踪してしまった親友を探し周囲に協力を求めるユジンだが、周りの大人は彼女を黙らせようとする。そんな中、ギチョルは一人の大人として彼女と向き合う。生徒から煙たがれることもあるが、それでも子供と向き合う大人としての姿勢を崩さない。

本作のマ・ドンソクは体育教師という役柄でありながら授業シーンは存在しない。しかし、だからこそ大人とはかくあるべきだと教えてくれる。大人たるもの問題に対し見て見ぬふりをせず、子供と正面から向き合うべきであると。そして鍵のかかった扉を拳でブチ破れるほどの筋肉を持つべきであると。

断っておくと、本作は『犯罪都市』シリーズのようなマ・ドンソク大暴れ映画ではない。本編の多くは現実的でありふれた厭な話であり、マ・ドンソクのアクションシーン自体それほど多くなはい。しかし、だからこそ「ここぞ!」というタイミングで炸裂するマ・ドンソクの鉄拳に胸が熱くなる。

地方都市の閉塞感も権力の癒着も鍵のかかった扉もマ・ドンソクの鉄拳が吹き飛ばす。このカタルシスは田舎の闇を題材にしたサスペンスにジャンル:マ・ドンソクをブチ込んだことによるところが大きい。本来なら普遍的でままならない話である本作の出来事も、マ・ドンソクの存在によってなんとかなっている。逆に言えば、我々の世界ではどうにもならないということだ。だからこそ、我々一人ひとりがマ・ドンソクであろうとしなければならない。そう、本作はマ・ドンソク映画であり、我々にマ・ドンソクをエンパワーメントする映画でもあるのだ。

少し、本作と『君たちはどう生きるか』のラストについてネタバレさせてもらう。物語の最後、ギチョルは町を去る。ギチョルによってもたらされた変化は、この町からギチョルがいた証を消し去っていく。だが目覚めたユジンの枕元には、ギチョルがUFOキャッチャーでゲットしたあの熊のぬいぐるみが置かれている。まるっとした愛らしいシロクマのぬいぐるみは、パツンパツンの白シャツを着たマ・ドンソクを思い出させる。そう、シロクマのぬいぐるみは『君たちはどう生きるか』(2023年)で眞人が持ち帰った石と同じものだ。『守護教師』を観た我々は、ユジンのようにマ・ドンソクの意志の欠片を持ち帰るのだ。少しでもいい、我々はマ・ドンソクのように生きねばならないのだ。

『守護教師』は田舎の闇を描いたサスペンスであり、そこにマ・ドンソクをブチ込んだジャンル横断的傑作であり、そして我々にマ・ドンソクをエンパワーメントする映画である。ありふれた作品のようで、実のところ唯一無二の魅力を放っている。少なくとも、いざという時に鍵のかかった扉を拳でブチ破れるほどの上腕二頭筋でありたいと思えるのは間違いない。

(文=2号)

© 株式会社blueprint