『虎に翼』伊藤沙莉が時を経て“はじまりの場所”へ “食べること”が意味する“生きること”

直言(岡部たかし)が亡くなって、猪爪家はがらんとした空気に包まれた。そこに来客が訪れる。復員兵の小笠原(細川岳)が取り出したのは、見覚えのある品だった。『虎に翼』(NHK総合)第44話では、大きな円を描くように“はじまりの場所”へ戻ってきた。

収容先の病室で隣のベッドにいた小笠原に、優三(仲野太賀)は寅子(伊藤沙莉)のお守りを渡した。お守りのおかげだろうか、小笠原は回復して帰国したが、優三は帰らぬ人となった。優三を助けられなかったと悔やむ小笠原は、「ほんの短い間でしたが、とても優しい良い男でした」とその死を悼んだ。

夫はもう帰ってこない。引揚船のニュースで優三の名前が読み上げられることはなく、夫を知る人の言葉は、優三がすでにこの世にいないことを物語っていた。急に力が抜けて、何もする気がなくなったかのように無表情な寅子。心配したはる(石田ゆり子)は、直言のカメラを売った金で、寅子に好きなことをするように言った。

寅子が向かったのは闇市の屋台。と言っても、机といすを並べただけの簡素なものだ。インフレと食糧難で、肉も酒も手に入れるのは簡単ではない。お腹は空いているのに、ごちそうを前にして寅子の心は動かなかった。思い出すのは優三のことだ。美味しいものは2人で分け合って食べよう。そう話した優三は帰ってこなかった。

『虎に翼』第1話は、寅子が河原で新聞を読む場面で始まった。時代は戦後で、そこから時計の針を巻き戻し、寅子が明律大学女子部に入学し、仲間と切磋琢磨しながら、困難を乗り越えて女性初の弁護士になる様子を描いてきた。結婚、出産。事務所を辞めて寅子は家庭に入った。戦争が始まり、寅子は夫と兄、父を失った。

寅子は感情が死んだ状態にある。そこからどうやって第1話の場面につながるのか。食べ物がのどを通らない、文字通り生きる気力をなくした寅子が、屋台の店主(金民樹)に励まされて、視線が外部へ転じる。優三と過ごした思い出の河原で、悲しみがせきを切ったようにあふれ出した。

食べること一つ取っても、そこには様々な意味がある。映像作品では、生きることの象徴、死との対比を担うことが多い。焼き鳥の串を見つめながら、優三への思いと理不尽な死への怒りをぶつける伊藤沙莉の演技は、相反する感情を涙と表情に昇華していた。

小道具としての焼き鳥の真価はその後に発揮された。包んでいた新聞紙を広げて、目に飛び込んできたのは新憲法の条文。ここで第1話につながる。寅子の視線は、憲法14条にくぎ付けになった。

一言一句を目で追い、嗚咽する寅子。全ての人の平等を宣言する条文は、それまでの人生を肯定するメッセージとして響いたのではないか。愛する人の死を受け入れる過程と作品の主題を提示する練られた演出だった。

第44話はドラマ全体の転換点だった。第1話の時点から振り返ると、第9週までは過去のエピソードで、ここからは現在進行形のストーリーが語られる。寅子にとってまだ見ぬ未来であり、新憲法とともに歩むことになる。
(文=石河コウヘイ)

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