火炎光背 色鮮やか 復元終え堂内に安置 木造不動明王坐像 修復作業中に焼失 平泉・達谷西光寺

建て替え中の不動堂内に安置された木造不動明王坐像の光背。像の修復を終える来秋には落慶法要が営まれる=平泉町・達谷西光寺

 国史跡・達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂で知られる平泉町の達谷西光寺(達谷窟豪侑別当)が所有する県指定有形文化財「木造不動明王坐像(ざぞう)」の光背が完成し、同寺境内で建て替えが進む不動堂内に安置された。同像の修復作業中、2021年に発生した火災で焼失したものを一から作り直し、より建立当時に近い形に復元。不動堂の完成と像本体の修復を終える25年9月には落慶法要が営まれる。

 光背は、仏が発する光を視覚的に表現した装飾で、不動明王像では煩悩を焼き払う炎を表現しているため火炎光背と呼ばれている。

 完成した火炎光背は、幅約3メートル、高さ4メートル以上ある大きなもので、丈六(約2・75メートル)の像後部に取り付ける円光背と、その周囲を囲むように配した五つの火炎部分で構成。焼失後、修復に携わる木彫家の三浦哲朗さん(73)=一関市千厩町=から提供されたヒバ材を用いて京仏師の佐久間溪雲さん(67)=同市大東町=と共に約1年半かけて作り直され、京都での塗色や金箔(きんぱく)などの装飾を終えて同寺に納められた。

 今月29日には、作業に当たった2人が堂内に入り、光背の状態を確認。作り直しに際し図面など詳細な資料はなかったが、佐久間さんは「失ってしまった光背より平安時代のものに近く、参拝者が見上げた際の像とのバランスなどを考えて作業に当たった」と語った。

 同寺の不動明王坐像は、平安時代当時の同寺飛び地境内だった姫待滝にあり、奥州藤原氏2代基衡が再建した不動堂の本尊として祭られていたものを1789(寛政元)年現地へ遷座。カツラ材の寄木造で、平安当初の姿をとどめている顔面と胴体胸部の一部以外、岩座と呼ばれる台座部分や今回焼失した火炎光背などは江戸時代に後付けで作られた。像本体は2019年度から県の補助事業で修復作業が進められている。1975年県文化財指定。

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