『スティング』映画自体が持つ“騙し”のテクニック

『スティング』あらすじ

1930年代のシカゴの下町で、詐欺師の3人組が通りがかりの男から金を奪った。しかし彼らが手にしたその大金は、ニューヨークの大物ロネガンの賭博の上がりだった。怒った組織は、仲間の一人を殺害する。残った仲間の一人フッカーは、賭博師ゴンドーフの助けを借りて、復讐のため、ギャング相手に一世一代の大イカサマを企てる……。

1930年代アメリカへの郷愁


第46回アカデミー賞(1974年)で、作品賞、監督賞、脚本賞を含む7部門で受賞を果たし、数々の賞レースを席巻した映画『スティング』(73)。『明日に向って撃て!』(69)の主演コンビであるポール・ニューマンとロバート・レッドフォード、そしてジョージ・ロイ・ヒル監督による、1930年代のシカゴを舞台にした、この小気味の良い犯罪映画は、興行的にも成功を収め多くの観客を魅了した。

ここでは、そんな人気作『スティング』の逸話を紹介しながら、脚本や演出にまで行き渡った本作ならではの工夫や、そこに反映されているものが何を意味しているのかを、あらためて考えてみたい。

1930年代のアメリカといえば、大恐慌の影響で失業者が街にあふれていた時代。そんな殺伐とした社会を、本作はテーマパークのように郷愁的かつ魅力的に描いている。象徴的なのは、誰もが聴いたことのあるピアノ曲「ジ・エンターテイナー」が醸し出す陽気な雰囲気だ。

これは、「ラグタイム王」と呼ばれたスコット・ジョプリンの曲を、本作に参加している作曲家のマーヴィン・ハムリッシュが編曲したもの。ハムリッシュはこのほかにも、ジョプリンの曲の数々をアレンジしたものに自作の曲も加え、サウンドトラックを制作した。この仕事によってハムリッシュはアカデミー賞歌曲・編曲賞を受賞することとなり、ジョプリンの往年の功績もまた再評価されることとなった。

『スティング』(c)Photofest / Getty Images

とはいえ、音楽のジャンルである「ラグタイム」が流行したのは1930年代以前であり、スコット・ジョプリンは1917年に死去しているので、本作の全編で流れるような音楽は、その時代を正しく代表するものになっているとは言いづらい。だが、この曲調が『スティング』の世界観にマッチしているのも確かなことだ。それは、ジョージ・ロイ・ヒル監督が子どもだった年代への郷愁を、実際よりも強調しようとする意図があったからだろう。

さらに、章仕立てで進む本作は、章の切り替わりごとに、「タイトルカード」と呼ばれるレトロな挿絵付きの文字が表示されていく。このレタリングと絵柄は、アメリカの老舗雑誌「サタデー・イブニング・ポスト」の古い号の表紙をイメージしたものである。

本作でアカデミー賞美術賞を獲得した、ハリウッド美術の巨匠ヘンリー・バムステッドと、舞台美術家のジェームズ・W・ペインの仕事も素晴らしい。街並みや路地裏、バーの内装やメリーゴーラウンドのある娼館など、社会の片隅の“情緒”を、分かりやすいかたちで表現し、まさに舞台美術のようなドラマティックな効果を与えている。

コミカルなロバート・レッドフォード


ロバート・レッドフォードが演じたのは、ストリートで稼ぐ詐欺師として生きているジョニー・フッカー。彼はイリノイ州の街ジョリエットで、仲間であり詐欺の師匠でもあるルーサー(ロバート・アール・ジョーンズ)らとともに、ある男の運んでいた大金を騙して奪うことに成功する。しかし、その金はアイルランド系のギャングのボス、ドイル・ロネガン(ロバート・ショウ)のものであったことが発覚。ルーサーは殺害され、フッカーも殺し屋から狙われ続けることになる。

進退きわまったフッカーはシカゴに到着すると、ルーサーが生前頼るように言っていた凄腕詐欺師ヘンリー・ゴンドルフ(ポール・ニューマン)を訪ねる。しかし、彼もまたFBIに追われ、娼館に隠れながら日陰者として日々を生きる状況にあった。そんな、意欲を失った飲んだくれの姿はフッカーを失望させるが、ゴンドルフはかつての仲間であるルーサーが殺されたことを知ると、昔からの詐欺仲間たちを召集、フッカーらとともに、ロネガンに対して一世一代の「スティング(騙し)」を仕掛ける作戦を立てる。

『スティング』(c)Photofest / Getty Images

この作戦、非常に大掛かりで手が込んでいる。ゴンドルフはシカゴで競馬のブックメーカー(ノミ屋)を営んでいる人物になりきり、馬券を売る賭博場に見せかけた部屋を用意し、詐欺師たちに客や従業員をそれぞれ演じさせる。その場所で、ロネガンに大金を賭けさせて奪おうというのである。そのために、ゴンドルフが装う人物の部下でありながら、内通者として確実に儲けられる情報をロネガンにリークする役をフッカーが演じ、必ず勝てるとゴンドルフに信じさせようとするのである。

面白いのは、ロネガンから命を狙われているフッカー自身が、内通者としてロネガンに接近する役を担うという意外性だ。ロネガンはフッカーの顔を知らないので、確かにそれも可能ではあるのだが、ロネガンが雇った殺し屋から逃げ回りながら、それでいてロネガンに接近するというのは、なんとも大胆だといえる。

このように、殺し屋から終始逃げ回ってばかりの役を演じている、コミカルなレッドフォードだが、そんな彼にジョージ・ロイ・ヒル監督は、アニメのキャラクター、ロード・ランナーをかたどったオブジェを贈ったとされている。アメリカの人気シリーズ『ルーニー・テューンズ』で走ってばかりのロード・ランナーと、本作のレッドフォードを重ねたのだ。

映画自体が持つ“騙し”のテクニック


さて、ロネガンを騙す下準備としてロネガン本人と知り合うために、ゴンドルフは走行中の列車の中でおこなわれるポーカー勝負に参加することになる。イカサマを駆使しても勝とうとするロネガンに対し、逆イカサマを仕掛けて勝利することで、リベンジを誘おうという企みなのである。

大勝負を前にして、フッカーの前でトランプのカードを巧みにさばき、優れたカード技術を見せるゴンドルフ。このシーンでは、見事にカードを操る手元を捉えた映像がじっくりと見せられる。当然観客は、「どうせこの場面は別人が吹き替えているのだろう」と思うはずである。しかし、カメラがそのまま上を向くと、そこにはゴンドルフを演じるニューマンの顔があり、「あれっ、カードをさばいていたのは、本当にニューマン本人だったのか」と、驚かせる仕掛けが用意されている。まさに“騙し”の演出だ。

しかし、である。ニューマンは実際にはカード技術を身につけることはせず、ここで実際にカードをさばく手元を演じているのは、プロのマジシャン、ジョン・スカーンだとされている。これはいったい、どういうことなのだろうか。そこで、よく映像を確認してみると、手元の見事なカードさばきシーンが終わる少し前に、じつは両手が画面外に消える瞬間があることがわかる。おそらくはこの短い一瞬が編集点となり、ジョン・スカーンとニューマンが入れ替わっているものと考えられる。このような数段構えで観客を欺く仕掛けこそが、『スティング』の真骨頂なのである。

こういった“騙し”のシーンに象徴されるように、デヴィッド・S・ウォードによる脚本も“騙し”に挑戦的だ。本作には、観客を引っかけるクライマックスの大仕掛けが用意されているが、その前に殺し屋をめぐるサプライズが描かれるところがポイントなのだ。

『スティング』(c)Photofest / Getty Images

人間の心理として、意外な展開に翻弄されると、そこに注意が向くことで、より大きなサプライズの正体に気づきにくくなる。これは、「サスペンスの帝王」アルフレッド・ヒッチコック監督も常套的におこなった、観客誘導術に近いものだ。これもまた、『スティング』が仕掛ける“騙し”のテクニックの一つだといえるだろう。

本作に仕掛けられている人心を掌握する技術は、ある意味で本物の詐欺に接近していると言えないこともない。しかし考えてみれば、映画という表現媒体自体が、そもそもさまざまな撮影、編集などのトリックを利用して観客を騙し、表現し得ないはずのものを表現してきた歴史がある。本作『スティング』は、そんな映画作品の歴史を飲み込んで、観客に昔ながらの娯楽を提供した一作だといえるのだ。

文:小野寺系

映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。

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