能登半島地震からまもなく5カ月が経過する中、石川県の被災地では、がれきや土砂が今も残されたままです。住宅が全壊し、ビニールハウスで避難生活を続ける家族を現地で取材しました。
■柿木哲哉記者
「地震で大規模な火事があった輪島朝市通りでは、焼野原のような光景になっています。地震の痕跡が所々に残ったままです。」
石川県輪島市にある観光名所「輪島の朝市通り」。地震後の大規模火災で200棟以上が燃えました。かつて市場に出店していた女性は、進まない復興に不安を感じています。
■かつて市場で出店していた人
「若い人が金沢などに出ていっていて、人が帰ってこない。商店街はあっちもこっちも壊れているので早く撤去して次の段階に移ることを考えたいがそれが進まない。」
市街地に向かうとビルは倒壊したまま残され、がれきが道路に散乱していました。
能登半島の先端にある珠洲市でも、あちこちで住宅が倒壊したままに・・。
農家の畠田和美さんは地震発生当時、家の中にいました。
■畠田和美さん
「これは地球が破滅するほどの揺れと思った。戸とかもぱたんと倒れているのをみながら、ああ~つぶれてくといいながらここに埋まってた。」
家の中に一時閉じ込められましたが、救助され命は助かりました。しかし、自宅は全壊に。
■畠田和美さん
「(Q.いまはどちらで生活?)いまは日中はここです、ほとんどの生活はここ。」
自宅の敷地内にあるビニールハウス。農家と暮らしの両立を考え、日中は家族9人でここで避難生活を続けています。畠田さんの4歳の息子も、この生活に慣れてきたと言います。
しかし、ハウス内の気温計を見ると40度目前に。常に暑さとの戦いです。
■畠田和美さん
「日中は暑いです。ずっとハウスの中でメロン作ったり、いろんなことしてたから暑さにはなれてるけど、暮らすところではない。」
水道は2週間ほど前に復旧し、ようやく全てのライフラインが整いました。
■畠田和美さん
「(地震発生直後から)変わった景色とかあるか聞かれるけど、変わった景色はない。変わったのは季節だけ。」
生活再建の見通しはたっていませんが、畠田さんは家族と共にこの場所で生きていくことを決めています。
■畠田和美さん
「いまは(泣く)いろんな人がたすけてくれる・・。まだまだすることはいっぱいあるけど、またここで頑張っていけたら。」