『わたくしどもは。』、たとえようもなく心細くて懐かしい【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.54】

オール佐渡ロケなんですよ。ちょっとどういう内容の映画か予備知識がなかったんですが、この出演者の顔ぶれで、かつオール佐渡ロケって魅力ありますね。小松菜奈、松田龍平ダブル主演です。プロローグで心中を思わせるような微妙な描写があって、いったんそこから離れるようにして静かに物語が始まる。最初に言っておきますが、この映画の小松菜奈さんは出色です。立ち姿がいい。かろうじて自分のことを取りとめているんだけど、次の瞬間には形を失ってしまいそうな、希薄さ、危なっかしさがいい。

どうやらこれは記憶喪失者の物語らしいんですよ。小松菜奈は目覚めて、自分が誰で、何をしてきた人間なのかまったく思い出せなくなっている。鉱山で掃除の雑用をしているキイ(大竹しのぶ)が面倒を見てくれることになり、家に連れていかれます。そこで、同居するアカとクロという名の女たちを紹介される。で、名なし小松菜奈はミドリと呼ばれることになるんです。キイは関西イントネーションの「黄」だった。黄、赤、黒、そして緑。

とても現実のこととは思えませんね。とても現実のこととは思えない状況に説得力を与えているのはキイ、大竹しのぶの説得力です。状況の辻褄が合わなくなって圧倒的な存在感で持っていってしまう。僕は『 砂の女』(64)の岸田今日子を連想しました。役者の力ってこういうことですよね。非現実を現実に変えてしまう。とにかく記憶のない「ミドリ」はキイに言われるまま雑用をこなす。

見ている側としては色んなストーリーをイメージしなくちゃなりませんね。例えば『 千と千尋の神隠し』(01)のように、名前を奪われた主人公が不可思議な世界に迷い込む物語。「自分が何者なのかを喪失した主人公」というのは、別に記憶喪失じゃなくても物語の王道です。大概は自分を取り戻し、あるいは新たな自分を見つけていく自己回復の物語になる。設定が青春ならば成長物語です。つまり、それは生きる力が主題なんです。

『わたくしどもは。』©2023 テツヤトミナフィルム

が、面白いんですよね。ミドリはキイに言われたことを諾々とこなす。煩悶しない。自分を取り戻そうともがかない。ある日、偶然、自分と同じように記憶を失くした男(松田龍平)と出会い、惹かれ合う。これもすごく変なニュアンスなんですよ。男女の出会いってドキドキしたり、テンションが上ずるじゃないですか。そういう感じじゃないんだ。2つの風船玉がゆら~っと寄り添ってるように、平熱のまま。性欲も恋情も特に感じさせず、ただぼんやり。

僕なんか狐につままれたようですよ。これは妖(あやかし)の世界なのか。「記憶喪失者どうしの恋」ってものがあり得るのか。あり得るとしてこんな風なのか。感情の起伏がホントにない。何かに出くわしてびっくりしたり、そのことを契機に喜怒哀楽の感情をほとばしらせるようなことがない。つまり、心が動いていない。これ言葉を交わして、人間そっくりに見えるけど、もしかすると狐狸妖怪の類いなのか。もしかすると生者でなく亡者なのか。その答えは物語が進むにつれ、だんだんと出るんだけど、この「一体何なんだ?」となってる時間がいちばんゾクゾクして面白かったです。

佐渡の情景は効いてましたね。僕は一度、佐渡でラジオの仕事があったとき、プロデューサーに頼み込んで丸一日前乗りさせてもらったことがあります。今、考えると月~金の帯番組、一日休んで佐渡をぶらぶらするわけですから問題ですよね。よく許してもらえたなぁと思います。レンタカーを借りて北一輝の墓や、点在する能舞台や、順徳天皇の真野御陵(順徳天皇御火葬塚)なんかを見て回った。

忘れがたいのは『 街道をゆく 羽州街道、佐渡のみち』(司馬遼太郎)に出てくる蓮華峰寺(れんげぶじ)という古刹です。フツーは比叡山でも高野山でも「山」でしょう。山を登ってくと色んなお堂が建ってて、ずんずん聖域に踏み込んでいく感覚になる。山岳信仰じゃないけど、「山」が全体として精神性の拠りどころになってるような感じですよね。蓮華峰寺は「谷」なんですよ。深く窪んだ地形の底へ底へとずんずん降りてゆく。途中、色んなお堂が建ってるんだけど、木々が鬱蒼と生い茂り、薄暗くて、何かもうこの世じゃないところへ降りていってるんじゃないかと思った。そのとき考えてたのは「神隠しに遭う」っていったらこんなときかなぁです。あのときの心細い、けれども何か懐かしい心持ちが忘れられない。

佐渡は人気のある観光地でもあるけれど、島のあちこちに時間が滞留している感じがあります。ひょっとして今、見てる情景は順徳天皇や世阿弥や日蓮が見たのとほとんど同じじゃないかと思ったりする。『わたくしどもは。』(23)の登場人物たちは島のなかをむやみに歩いてるんです。思えば北前船で遠国の者がたどり着いたり、金山で働く無宿人の流れ着いた土地でもある。あくまで一旅行者の感傷として、佐渡はそうした「さまよえる魂」にうっかり出くわしてしまうんじゃないかという幽玄さをたたえている。僕は案外、蓮華峰寺の谷底で『わたくしどもは。』の登場人物とすれ違っていたのかもしれません。

文: えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido

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『わたくしどもは。』

5⽉31⽇(⾦)より新宿シネマカリテほか全国順次公開

製作・配給:テツヤトミナフィルム 配給協⼒:ハピネットファントム・スタジオ

©2023 テツヤトミナフィルム

© 太陽企画株式会社