家計簿の歴史と普及の道のり:日本における家計簿のはじまりとは?

先行きが見通せない世界情勢が続く昨今、新NISAもはじまり、資産運用や管理への意識はさらに高まりつつあります。そうした中で、家計簿を活用した、日々の生活の中でのお金の動きの把握と管理の重要性も高まってきています。

一方で、家計簿についての意識調査では、過半数以上の人が家計簿に挫折した、と回答するなど、日々の家計管理の難しさに悩む人は少なくありません。

そこで、家計簿をテーマにその歴史や、家計簿によって生活にどのような効果があるのか、データ活用という観点でどのような価値があるのか、シリーズで紹介します。

この記事では、家計簿の起源から、現代に至るまでの変遷を探ります。

家計簿はいつできたのか? 家計簿を発案した明治のキャリアウーマン

家計簿は、個人や家族の経済活動を記録するための手段として、古くから使われてきました。

個人の家計の記録は、少なくとも江戸時代のころから記録が残っているといいます。しかし、江戸時代の家計の記録は収支を時系列に記録するだけのもので、今のように、名目ごとにカテゴライズしてわける、ということはなかったようです。

「家計簿」という概念が広がったのは、明治時代、羽仁もと子という人が提案したことがきっかけです。

日本の女性ジャーナリストの先駆けとして、新聞社で活躍した羽仁もと子ですが、家庭と仕事を両立するなかで、自分と同じような境遇の家庭に向け、家庭生活雑誌『家庭之友』を創刊します。その流れの中、1904年に『羽仁もと子案・家計簿』を創刊。名目ごとにカテゴライズした「家計簿」を世に広めました。

仕事と家庭の両立に試行錯誤しながら、自分自身の体験をもとに世間にハウトゥを発信する羽仁もと子は、現代的なキャリアウーマンに通ずるものがありますよね。

その後、『家庭之友』は『婦人之友』と名前を変え、羽仁もと子は夫の吉一とともに、婦人之友社を設立します。

戦争の中で、重要性が高まる家計簿

さらに時代が進むと外国で実施されていた家計消費統計に注目していた専門家を中心に、家計簿記帳を用いた調査が始まります。

日本における家計簿を使った最初の家計調査となるのが1916年、高野岩三郎による「東京に於ける二十職工家計調査」です。生活水準の向上を目指す調査に共感した職工たちの協力のもと、行われたそうです。

その後、戦後恐慌や昭和恐慌を経て家計への関心は高まり、次々に大規模調査が行われるようになりました。

さらに、戦時下においては、勤労再生産の促進や物品の節約を鼓舞することが期待され、家計簿で、家計を管理することが推奨されるようになったということです。そのため、紙不足の中でも、『生活家計簿』という家計簿が例外的に発行されていたそうです。

進むデジタル化。現代における家計簿

現代においては、テクノロジーの発展により、スマートフォンの家計簿アプリやスプレッドシートなど、デジタル化された家計簿が普及しています。これにより、より手軽に家計の管理が可能となり、多くの人々が家計簿を活用しています。

さらに、最近ではキャッシュレス化の進行とともに、家計簿アプリや会計アプリに自動で、決済の記録を紐づけられるようになるなど、簡易化が進んでいます。

簡単に詳細な家計の記録がつけられるようになる中、短期的な家計の記録だけでなく、家計のデータをもとに、中長期的なマネープランが提示されるサービスも増えてきています。

人生100年時代に突入する中、家計簿はより幅広い用途で使われるようになってきています。こうして振り返ると、家計簿は、時代の変化に合わせて進化していることがよくわかりますね。

身近でありながら、奥深い家計簿の世界、次回も深ぼっていきます!

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