米ハワイの日本語放送局リスナー広島訪問 パールハーバーと平和公園の姉妹公園協定で 小学生の英語ガイドや被爆者らと交流

広島市と姉妹都市のハワイ・ホノルル市の話題です。現地の日本語ラジオ局のリスナーたちが広島を訪れました。企画したのは、広島出身の女性アナウンサーです。その思いとは。

記念撮影の様子
「3、2、1、アロハ~」

5月21日、アメリカ・ハワイの日系人ら24人が広島市を訪れました。ホノルル市にある日本語放送局「KZOOラジオ」の観光ツアーに参加した人たちです。

KZOOラジオは全米で唯一の24時間の日本語放送局で、1963年の開局から去年で60年となりました。これを記念し、2月にハワイ線就航70年を迎えた日本航空と合同で、今回の観光ツアーを企画しました。

担当したのは、アナウンサーで、呉市出身の 上原美砂 さん、54歳です。ホノルル市の男性と結婚したのを機に28年前、現地に移住しました。

KZOOラジオ 上原美砂 さん
「やっぱり私のふるさと呉市のある広島県に絶対、みなさんをお連れしようということで、ラジオで募集をして。そして、あと昨年、ハワイのパールハーバー国立公園と広島平和公園が姉妹公園提携を結びました。松井市長も昨年の12月、ハワイに来てくださって、パールハーバーを本当にお時間をかけて見てくださったんですね。ですので、平和公園にもぜひ連れていきたい」

この日は開局記念ツアーの一行と、広島のリスナーたちの交流会が開かれました。

上原さん
「広島でオンラインでラジオを聞いてくださっている方がたくさんいらっしゃって、50人余りのみなさんでこうやって、おりづるタワーのみなさんのご協力でパーティーができたこと、本当に感謝しています」

今回のツアーで平和公園を訪問するにあたって、上原さんは、おりづるタワーのアンバサダーを務める1人の男の子にガイドを依頼しました。

小学5年 佐々木駿 くん
「こんにちは。駿です。10歳で、広島市に住んでいます」

駿くん
「じゃあ、行きましょうか。ぼくについてきてください」

佐々木駿くんは、幼い頃から英会話を習っていて、勉強を兼ねて平和公園でボランティアガイドをしています。

駿くん
「原爆慰霊碑には日本人だけでなく、留学生など外国人も含め、死没者の名簿が納められています。実は、ぼくのひいおばあちゃんも被爆者でした」

駿くんは平和公園の施設を1つひとつ説明しながら案内していきました。「原爆の子の像」の前では、2歳で被爆し、10年後に白血病で亡くなった 佐々木禎子 さんがモデルであることに触れました。

駿くん
「禎子さんが12歳で亡くなると、同級生たちが募金活動をして、この碑を建てました」

上原さん
「わたしも広島出身で、恥ずかしくなりました。駿くんのガイドとかを聞いて。なんて、1つひとつの施設を大切に受け継いで。それを語っていっている彼の姿勢にすごく感動して」

ガイドを終えた駿くんに、1人の女性が語りかけました。

沖縄出身の日系人
「わたしもね、戦争のとき、5歳だったけど、だいぶ覚えてるの。沖縄で」

駿くん
「沖縄で戦争が?」

アメリカに移住する前、戦時中の沖縄で地上戦を体験したといいます。

沖縄出身の日系人
「B29のね、ウォーンという音とか、艦砲射撃の音とか、そして死体が荷車に横たわっていて、もう恐怖心で大変でした」

記者
「でも今、そのアメリカ…」

沖縄出身の日系人
「そうなんです。今、アメリカ国民になっちゃった」

この日、ハワイの日系人たちは、8歳のときに被爆した 小倉桂子 さんの証言を聞きました。平和公園とパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定に基づくものです。

被爆者 小倉桂子 さん(86)
「午前8時15分、目がくらむような閃光で目の前が真っ白になりました。その直後、強烈な爆風で息ができず、立っていられません。まるで台風の中にいるみたい。わたしは道路にたたきつけられ、意識を失ったのです」

小倉さんはおよそ1時間の被爆証言を終えると、最後にこう語りかけました。

小倉さん
「よく『アメリカを憎いと思ったか』っていうふうにアメリカから来られた方、言われますけれども、実際の感情としては明日を生きるのが精いっぱい。それに圧倒的な力の差を感じましてね。もう吹っ飛んでしまうぐらいだったんですね。必死だった。そして今思うに、わたしたちの願いはここにある『For we shall not repeat the evil』、こんなことは絶対に繰り返されてはいけない』ということ」

日系3世の女性
「おそらく、わたしが日本出身ではないせいで、日本とアメリカはいつもいい関係だと感じていました。悪い感情はなく、平和を促進したいと考えていることを知ってうれしいです」

上原さん
「ハワイと広島というのはお互い、戦争が始まって、戦争が終わったという関係の地域なんですけれども、それを許し合う心、そして前に進む。ハワイと広島をつなげる架け橋のお手伝いができればいいなって本当に思いました」

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