「余計な一言」でトラブルになりがちな60代おひとりさま男性をアップデートさせた「資産の使い道」

<前編のあらすじ>

原博司(63歳)は父親が残してくれた資産もあり、かつ、公務員としての退職金もまとまって入ったため、ちょっとした資産家になった。老後はのんびり夫婦で楽しもうと考えていた時に妻を病気で亡くした。1人残された原は、生きる気力を削り取られるような日々を送っていた。このまま、消えてなくなりたいと思っていたある日……。

世間を狭くする頑固者のもう一つの顔

その日、原は自分の余計な一言で行きつけの喫茶店のマスターとの間がけんのんな一瞬になってしまったことを後悔しながらマンションに向かっていた。特に、その店のコーヒーがおいしいわけではなかったが、その店のBGMが気に入っていた。黙って1人でコーヒーを飲んでいても、その音楽を聴いているだけで満足感があった。せっかく、落ち着いて時間を過ごせる場所だったのに、さっきの一件で、ちょっと行きづらくなってしまった。今度は駅の反対側の店まで足を延ばしてみるかなどと考えながらマンションのエントランスに入った時に、「おじいちゃん!」と呼びかけられた。びっくりして顔を上げると、孫の健太(8歳)が満面の笑顔で飛びついてきた。

原はびっくりしながらも、喜んで健太を抱き上げた。「重くなったな。どうしたんだ、お母さんは?」と確認すると、ひとりで来たという。原が駅前に引っ越したことで、電車に乗れば健太は1人でも来られるようになったという。引っ越す前は、駅からバスに乗る必要があったため、とても健太ひとりでは遊びにこられなかったが、今のマンションなら一人でも大丈夫だと言って母親に許可をもらってやってきたらしい。「じいじ、遊ぼうよ。さっきから待ってたんだよ。ピンポンしても誰も応えてくれないから困っちゃった」と、健太は原の手を引っ張ってエントランスのオートロックを解除させた。どうやら健太は、正月に買ったテレビゲームがやりたくて原を訪ねてきたらしい。

健太がテレビの前でゲームを始めてから原は電話で娘の早智子(37歳)を呼び出した。早智子は呼び出し音が鳴る前に電話に出た。早智子は、「健太、着いた。よかった。いつも小学校には電車で行っているから電車に1人で乗るのは大丈夫なんだけど、お父さんのうちはいつもと反対方向だから。一緒に行きたかったんだけど、健太が1人で行くと言い張って、最後は根負けしちゃった」と言って力なく笑った。早智子は、後で迎えにいくと言ったが、原が送り届けることにした。

誰かのために役に立つなら

原にとって健太が初孫だった。今では、健太の他に3人の孫がいた。中でも健太が一番、原になついていた。健太の父親、早智子の夫である井上純也(40歳)は商社に勤めていて、海外も含めた出張が多かった。今も、ベトナムに長期出張中で年内は戻れないだろうということだった。健太は早智子に連れられて小さな頃から、よく原の家を訪ねてきていた。特に、公子が亡くなってからは「おじいちゃんが寂しいから」と1月に1回くらいはやってくるようになっていた。

小さい頃から父親不在の期間が長い健太にとって、原は父親の代わりのような役割があるようだった。テレビゲームをひとしきり遊んだ後で、健太は腹の手を引いて「公園へ行ってサッカーしよう」と言い出した。サッカーは健太の父親の井上が得意で、健太とはよくボールを蹴って遊んでやっていた。原はスポーツが得意な方ではなかったが、健太に頼まれると断れず、ボールを出して近所の公園に向かった。

原が郊外の戸建てを売却し、駅前のマンションに引っ越したことによって、長男の翔一(40歳)や早智子らがよく訪ねてくれるようになった。子どもたちにすれば、公子を失くして1人で暮らし始めた原が心配なこともあったのだろう。毎週のように、週末には翔一か早智子が孫を連れてやって来た。そうして孫の相手をしていると、原の気持ちが少しずつ変化してきた。公子を失って、文字通りの「余生」と思われていた日々が、「孫のために何かできるのではないか」と考え始めたのだった。

きっかけさえあれば、人生は豊かに

健太は、1人でやって来た後は、毎週のように原を訪ねてくるようになった。翔一の息子の湊(7歳)とは1つ違いで仲が良く、原と翔一と一緒に4人でサッカーボールを追いかけることが多かった。健太が土曜日にやってきて1泊するようになると、湊も同じようにしたいと言い出し、週末が急ににぎやかになった。

原は、遊び疲れて眠ってしまった2人の孫の寝顔を見ながら、「親が許してくれるのなら、孫と一緒に海外でしばらく暮らすというのも悪くない」と考えていた。今の時代、いずれかの外国語に堪能なことは有用なスキルになり得る。そのためには、現地で暮らして身につけることが一番だ。子どもが小さい間に1年か2年の語学留学のつもりで預けてくれないものだろうか。どのみち、今持っている資産を墓場まで持って行ってもしかたがない。仕事もないことだし、一人暮らしだから、どこで暮らしても問題ない。孫のスキルアップにつながるのであれば、やりがいもある。そう考え始めると、原は久しく忘れていたワクワクした気持ちになってきた。改めて信託銀行を訪ねて、資産運用の相談をしようと思った。ただ使うだけでなく、増やしながら使い、次の世代に残す工夫もしてみたいと考えていた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

風間 浩/ライター/記者

かつて、兜倶楽部等の金融記者クラブに所属し、日本のバブルとバブルの崩壊、銀行窓販の開始(日本版金融ビッグバン)など金融市場と金融機関を取材してきた一介の記者。 1980年代から現在に至るまで約40年にわたって金融市場の変化とともに国内金融機関や金融サービスの変化を取材し続けている。

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