【解説】 トランプ前大統領はなぜ無罪を勝ち取れなかったのか

ケイラ・エプスティーン、BBCニュース(ニューヨーク市の裁判所で)

ドナルド・トランプ前米大統領に対してニューヨークの陪審団が有罪評決を出したことは、一般の人々には衝撃だったかもしれない。しかし、この裁判を注視してきた人の一部は、驚かなかった。

立証責任が検察側にあったため、この裁判では前大統領が有利なはずだった。しかし、弁護団は有力な反論を用意できず、検察側の主張の弱点を突こうとする戦略にも欠陥があったため、弁護は有効性を欠いていたと、複数の弁護士や元検察官がBBCに話した。

しかも、そもそも弁護団が入廷する前から、一つの要素のせいで、厳しい戦いになることは決まっていた。

「この裁判で弁護側が抱えていた最大の問題は、依頼人だ。ドナルド・トランプが依頼人だったことだ」。ニューヨークで民事訴訟を扱うミッチェル・エプナー弁護士は、そう話した。

ストーリーの欠如

トランプ前大統領を有罪とするには、(1) 彼が業務記録を改ざんし、(2) その目的は別の犯罪を隠すもしくは犯すことだった――と、陪審団を確信させる必要があった。

マンハッタン地検が描いた事件の構図は、次のようなものだった。いわく、大統領になる前のトランプ氏の承認を得て、当時の顧問弁護士マイケル・コーエン氏がポルノ映画スターのストーミー・ダニエルズ氏に13万ドルを支払った。二人にあったとされる性的関係についての口止め料だった。二人の関係をダニエルズ氏が口外して、2016年大統領選挙の選挙活動を邪魔したりすることのないようにするための支払いだった。トランプ氏は後に13万ドルをコーエン氏に弁済した際、口止め料だったことを隠すため、業務記録の改ざんという詐欺の仕組みを承認した――という内容だ。

そうすることで前大統領は選挙規則に違反した、これは「純粋かつ単純な、選挙詐欺」だった――と、検察は主張した。

検察は裁判で、証人を20人近く呼び、多くの重要書類を提出した。その中には、前大統領の署名が入ったコーエン氏あての小切手もあった。

前大統領は、業務記録の改ざんをめぐる34件の罪状について無罪を主張した。

しかし、「弁護側は陪審員が納得できるようなストーリーを持ち合わせていなかった」と、マンハッタン地検で30年働いたジョン・モスコウ氏は言った。

弁護側は、検察の主張に反証する必要はなかった。しかし例えば、前大統領がなぜコーエン氏に払い戻しをしたのか、その背景としてもっともらしい理由を陪審員に提示できていれば、弁護の役に立ったはずだと複数の専門家が指摘した。

前大統領側のトッド・ブランチ弁護士は最終弁論で、改ざんされた文書について従来と違う説明をした。金銭の支払いは、コーエン氏が2017年に行った実務への報酬であって、弁護士費用として計上したのは不正ではないと主張したのだ。

弁護側はまた、前大統領がダニエルズ氏に金銭を支払ったのは家族を守るためだけで、有権者を欺くためではなかったと主張した。しかし、その言い分をさらに発展させて構築しなかったと、前出のエプナー氏は指摘した。

「弁護チームは、特定の弁護方針を選ばなかった。合理的に選べたはずの方針はどれも、ドナルド・トランプが選べなくしてしまったからだ」とエプナー氏は言った。「弁護側はあれこれ目くらましをまき散らすことで、陪審員を混乱させようとした」。

肝心な点を見逃す

米ジョージ・ワシントン大学ロースクールのランダル・イライアソン教授は、検察が綿密な資料を使って業務記録の改ざんを明らかにしたものの、重要な第二の犯罪を実行するもしくは隠蔽(いんぺい)する意図が実際に、前大統領にあったと立証する証拠は「ないに等しかった」とBBCに話した。

前大統領のチームは、検察側のこの弱点を突くことに注力しなかった。ブランチ弁護士が最終弁論で、陪審員らに対し、合理的な疑いを抱く理由を列挙しただけだ。弁護側はそれよりも、事件の中心的な出来事は実際には起こらなかったか、目撃者がうそをついたという主張に力を入れた。

しかし陪審員らは、弁護団のその主張は信用できないと、その後の証拠や証言から判断した可能性がある。

もっと効果的な弁護としては次のようなものがあり得たと、イライアソン氏は話した。

「議論のため、これらすべてがあったと仮定しよう。セックスがあり、口止め料があり、トランプはそれを知っていた。いいだろう。だがそれが罪状ではない。トランプの実際の意図と認識を示す証拠は、何があるのか? そこがこの事件で足りないところだ」

前大統領側のスーザン・ネクレス弁護士は、ダニエルズ氏への反対尋問で、同氏を身の上話で金と名声を手に入れようとしているうそつきだと印象づけようとした。

「特定の人物をうそつきに仕立て上げろと、依頼人から大きな圧力があった可能性が高い。まったく意外ではない」と、ニューヨーク・ロースクールのアナ・コミンスキー教授は言う。「それは必ずしも最善の弁護戦略ではない。(弁護側が)勝つのに、ストーミー・ダニエルズがうそつきである必要はなかった」。

「コーエン要因」

弁護側の最大の勝機は、検察の最重要証人だったコーエン氏の信用を失墜させることにあった。

コーエン氏は確かに、多くの攻撃材料を長年にわたって自ら作り出してきた。議会での偽証など、犯罪行為について有罪を認めた。元上司を公の場で繰り返し攻撃した。法廷で偽証した疑いも浮上した。

ブランチ弁護士はこれらの点を攻撃。最終弁論ではコーエン氏を「GLOAT」(史上最大のうそつき=Greatest Liar of All Tim=Greatest Liar of All Time)と呼んだ。

ブランチ弁護士は公判で、コーエン氏が2016年10月24日に口止め料について前大統領に電話したという、コーエン氏の証言に重大な疑念を投げかけた。前大統領は当時、ボディガードの電話を使っていた。

前出のコミンスキー氏は、「これは弁護側にとって大きな得点だと思った。(コーエン氏が)真っ赤なうそをついたか、記憶違いをしたと決定的に示す可能性があったからだ」と話した。

だが、弁護側はいくつかの失敗もした。

コーエン氏に対するブランチ弁護士の最初の実質的な質問は、挑発的なものだった。TikTokで自分の悪口を言っただろうと、その文言を具体的に示しながら問い詰めたのだ。

コーエン氏は落ち着いて、「私が言いそうなことではある」と答えた。

これを受けてホアン・マーシャン裁判長は、ブランチ弁護士を近くに呼び、「なぜ自分をこの場の主人公にしようとするのか」と諭した。

「あれは驚くほどひどい瞬間だった」と、前出のエプナー氏は話した。「真昼の決闘で、彼は惨敗した」。

弁護側がコーエン氏の主張を崩すため、実質的な証人として呼んだのは、ロバート・コステロ弁護士一人だけだった。

ただ、コステロ氏の証言内容は、本人の電子メールと矛盾していた。そして、コステロ氏の証人席での態度に激怒したマーシャン判事が、法廷を空にしてから、コステロ氏を叱責するという、異例の混乱も生じた。

「これはそういう事件」

しかし、弁護側にできたことはたくさんあったと、どの弁護士も考えているわけではない。

「弁護側に何かミスがあったとは思わない」と、2021年までマンハッタン地検で幹部検事だったキャレン・アグニフィロ氏は話した。「これはこういう形になる事件だった」。

前大統領と犯罪を結びつける証拠は強力だったと、他の人たちも言った。

「これよりはるかに弱い証拠で有罪になる人もいる」と、前出のモスコウ氏は述べた。

一方で、検察の法的手腕が勝因だったと、法曹関係者の意見が一致しているわけでもない。

政治的に進歩的だと自認する米ボストン大学ロースクールのジェド・シュガーマン教授は、今回の裁判では選挙詐欺の側面は政治的効果のために誇張されていたとみている。そして、重罪での起訴に値する根本的な犯罪は、ついに明確にされなかったとした。

また、検察の勝利は突き詰めれば、リベラル寄りの司法管轄区で裁判を起こしたことと、有利な陪審員を選んだことが理由だと考えていると述べた。

「トランプの過ちは、マンハッタンで犯罪『ぽい』まねをしたことだ」。シュガーマン氏はこう話した。

(英語記事 Hush-money trial was Trump's to lose. Here’s why he did

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