剝げたメッキ

 環境省の中に「特殊疾病対策室」という部署があります。略称は特対室[とくたいしつ]。字面からは分かりませんが、ここが国の水俣病対策を担っています。1971年の環境庁発足以降、庁内組織は何度も改編されましたが、特対室は半世紀近く残っています。水俣病問題が解決していない一つの証しでもあります。

 この特対室が5月1日、あまりにもひどい対応をしました。水俣病犠牲者慰霊式の後にあった伊藤信太郎環境相と患者団体との懇談で、団体側の発言途中でマイクの音を切ったのです。その場では「不手際」と言い訳しましたが、問題が大きく報じられ、特対室長が団体側の持ち時間3分経過を目安に音を切ったことを認めました。

 毎年5月1日は被害拡大の原因者である国の所管大臣らが1年に1回、水俣を訪れる日。患者団体にとって、これまでの苦しい思いを直接伝えられる貴重な機会です。かつて小池百合子環境相や民主党政権の鳩山由紀夫首相時代に取材しました。確かに団体側の求めに対して満足いく回答はほぼありませんが、たとえ団体側の訴えが長くなろうと、大臣らは最後まで神妙な面持ちで耳を傾けていました。

 それがよりによって発言を遮るという非常識な手段に出るとは…。水俣病患者連合副会長の松﨑重光さん(82)は、「痛いよ、痛いよ」と言いながら昨春亡くなった妻悦子さんの話をしていました。その途中で特対室長が「申し訳ありません。話をまとめてください」と言葉を挟み、直後にマイクの音が消えます。松﨑さんの顔はこわばり、戸惑いが読み取れました。

 環境省は事あるごとに「水俣病が組織発足の原点」と繰り返します。しかし、そのメッキが剝げ、環境省の変質した地金が如実に出た瞬間でした。

 この問題を熊日と鹿児島の南日本新聞は社会面で大きく報じました。テレビやSNSでも情報が広がり、全国ニュースになります。批判の声を受けて伊藤環境相は水俣を再訪して謝罪。帰京後、「水俣病問題が終わっていない責任の多くは環境省にある」とまで踏み込みました。

 ところが、またもやメッキが剝げます。この問題を受けて設けた省内横断組織「水俣病タスクフォース」の目的について伊藤環境相は当初、「現行法制で一人でも多く被害者を救済するため」と明言。それが3日後には「再懇談の場を設定するのが目的」と後退させます。

 5月27日付朝刊3面の「水俣病対応 一時しのぎ?」の記事を読んで、なぜ前言を翻したのか合点がいきました。記事の中で環境省職員がこう語っています。「水俣病問題を知れば知るほど、想像以上に解決が難しいと感じたのではないか」。大臣になる人が水俣病問題に詳しい人物とは限りません。職員たちが教授します。被害者を侮るような態度で、解決するという意欲に満ちた説明ができるでしょうか。推して知るべしです。

 タスクフォースとは緊急性の高い課題に一時的に取り組む組織とされます。再懇談して終わり-。まさに一時しのぎになるのではと懸念しています。(編集局長 亀井宏二)

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