「京急蒲タコハイ駅」中止騒動 駅は公共の場というが…広告は不満側の基準に合わせないといけないのか

イベントを伝えるポスター(C)日刊ゲンダイ

5月30日までに、京浜急行電鉄とサントリーが18日から京急蒲田駅で実施しているコラボイベント「京急蒲タコハイ駅」の企画の看板が取り外された。アルコール依存問題を考えるNPO団体「ASK」から行われた抗議への京急側の対応だ。

抗議を行った理由として、同団体は公式サイトで主婦連合会と連名で、「駅・電車などの交通機関は、不特定多数が利用する極めて公共性が強い場です」と、酒のイベントたる「京急蒲タコハイ駅」の開催中止および看板の撤去を要求。実際には看板の取り外しのみが行われた形だ。

この動きに関しては28日に各メディアが、京急が看板を外す意向であると報道。これが報じられるや、ニュースサイトのコメント欄には《なんでも不満側基準に引きずり込もうとするのは、変だと思う》といった同団体への疑問の声が相次いだ。

近年はNPO団体などが広告へ抗議を行い、その結果、広告やポスターが撤去されるという事例が多くみられるが、同時に、これを疑問視する人々の声も多い。広告とは公の場での情報発信の最たる例だが、その発信方法はそもそもどうあるべきなのか。

同志社女子大学でメディアエンターテインメントを研究する影山貴彦教授は、「数ある情報発信の方法の中で、広告というものは、そもそもが抗議の声に対して弱く、ひとたび抗議活動が起これば撤回されやすい情報発信手段である」と説明。それでいて、「広告主の意図を世に伝えなければならず、両者のはざまを縫いながら進まなければならないというせめぎ合いだ」と指摘する。ただし、「そのせめぎ合いが過酷であっても広告主は情報発信をあきらめるべきではない」と語る。

「何か抗議があるたびにイベントの規模を縮小するといった、『抗議になびく』という対応を続けていれば、広告主たる企業の経済活動は制限されていくでしょう。抗議の声を真摯に受け止めつつ、広告主と抗議団体がお互いヒートアップすることなく解決策を模索するという流れが今後の世の中で主流になっていってほしいと考えています」

最後に、近年、今回のようなせめぎ合いが多くみられるようになったのは、「広告の社会からの見られ方に変化があったからではないか」とも語った。

「近年はネット広告を目にする機会が増えましたが、ネットの閲覧を妨害するかのような出現方法に辟易としている方は多いのではないでしょうか。となれば、広告というものが時に『邪魔者』として見えてくることもあるでしょう。ひと昔前では存在し得ない状況であり、その結果か、学生たちの広告への目線が以前よりも厳しいものになっていると感じます。これが社会全体にも言えるとするならば、広告への目線が以前よりも厳しくなり、結果として抗議を招きやすくなっているのかもしれません。このような状況も勘案しつつ広告を出していけば、息苦しいとも思える状況が変わる可能性はあるのではないでしょうか」

近年の状況は、広告が進化するチャンスなのかもしれない。

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