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秋篠宮家の次女・佳子さまに「お相手候補」報道が相次いでいます。昨年末に29歳を迎えた佳子さまは、22年に歯科医師との交際報道もありました。今回は歴史エッセイストの堀江宏樹さんによる連載「日本の“アウト”皇室史!!」から、一般人と結婚した皇女5人の歴史を振ります。
※2021年11月6日公開時を再編集しています。
目次
・昭和天皇の長女:港区の300坪のお屋敷でセレブ生活!
・昭和天皇の第3皇女:エリート夫が愛人と“変死”!
・昭和天皇の第4皇女:お相手は「牧場主」
・昭和天皇の第5皇女:夫は清貧サラリーマン、年収200万円
・旧皇族・久邇宮家の娘:交際5年半も、4年で離婚!
昭和天皇の長女:港区の300坪のお屋敷でセレブ生活!
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――今回からしばらくは、昭和天皇の娘、皇女についてお聞きしたいです。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 昭和天皇には5人の皇女がおられました。夭逝なさった久宮祐子内親王以外の4人の内親王が成人し、そして結婚もなさったということですね。というわけで、トップバッターは“長女”の照宮成子(てるのみや・しげこ)内親王です。
まだ戦前の1943年、成子内親王は、東久邇宮盛厚(ひがしくにのみや・もりひろ)王と結婚なさいました。お相手は「天皇の娘(内親王)は、皇族の男性に嫁ぐ」という古くからのルールに従い、宮内省(当時の宮内庁)内で慎重に人選がされたことがわかっています。ちなみに成子さまのご結婚について、世間一般ではとくにニュースにはならなかったようですよ。
――今だったら大ニュースになりますよね。報道が規制されていたということでしょうか?
堀江 それもあるでしょうが、結婚相手はあくまで皇族男性の中から選ばれるということで、「意外なあの方に決定!」というようなニュース性が乏しかったのでしょう。
昭和天皇の第3女:エリート夫が愛人と“変死”!
――前回から、昭和天皇の第3皇女である和子内親王の結婚についてお話を伺っています。一介の主婦となるべく、家事の修行を積まれた和子さんは、ついに3回目の縁談で、鷹司平通(たかつかさ・としみち)さんとの結婚を決められましたが、新婚生活はどうだったのでしょうか?
堀江 最初は、とても良かったのです。さすがに元・侍従長の百武三郎さんのお家に1年間“ホームステイ”しただけのことはあったようですよ。宮内庁の経費で派遣されてきた女官と女嬬(にょじゅ)、つまり、家事指南役のメイドと、家政婦の2人が当初いたそうなのですが、それも約10カ月で御所に戻ってしまったほど、和子さんの家事スキルは高かったようです。
――和子さんの夫になられた平通さんのご経歴、お人柄は?
堀江 1959年(昭和34年)の「週刊読売」(読売新聞社)4月5日号には、「東大工学部卒の技術屋で教養、趣味とも一流人」とありますが、 実際は大阪理工科大学(現近畿大学)卒業だそうです。
しかし、現代日本でいうワンルームとはニュアンスがかなり異なり、「23平方メートルくらい」の一部屋で書斎、食堂、応接室、居間を兼用。そこにはピアノ、テレビ、食卓、ソファーなどが置いてあったそうな。つまり、ダイニングキッチンですね。1階にはほかに応接間や、女中部屋がありました。2階にご夫婦の寝室などはあったのだと思われます。